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宣戦布告なかった真珠湾攻撃 日本のイメージ悪化、原爆投下にも

戦争をする前に、攻撃を宣言する宣戦布告。国際法上、重要な手続きと言われています。宣戦布告が大事だとされる理由はどこにあるのでしょうか?

絵はがきとしても印刷された、真珠湾攻撃のため航空母艦の飛行甲板上で整備を受ける零戦(ゼロ戦・零式艦上戦闘機)の写真
絵はがきとしても印刷された、真珠湾攻撃のため航空母艦の飛行甲板上で整備を受ける零戦(ゼロ戦・零式艦上戦闘機)の写真 出典: 朝日新聞

目次

 戦争をする前に、相手国に攻撃を宣言する宣戦布告。国際法上、重要な手続きと言われています。黙って攻撃する方が勝つ確率は高くなりそうですが、わざわざ攻撃することを相手に伝える宣戦布告が大事だとされる理由はどこにあるのでしょうか?

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宣戦布告なかった真珠湾攻撃

 1941年12月8日、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃します。宣戦布告なしの開戦でした。当初、日本政府はオランダのハーグで開かれた国際会議で締結され、日本も1912年に批准していたハーグ第3条約を守るつもりでした。条約では「戦争開始には、明らかな事前通告が必要」と定めていました。

 通告が遅れたのは、外務省の不手際だと言われています。1994年、外務省は、対米開戦通告が遅れたことについて「日本大使館の職務怠慢」とする報告書を公開しています。

 宣戦布告なしの開戦は、日本のイメージを悪化させたと言われています。「だまし討ちの日本」「ずるい日本」という印象を世界にあたえることになりました。

攻撃を受け炎上する米海軍主力艦=1941年12月8日
攻撃を受け炎上する米海軍主力艦=1941年12月8日
対米開戦通告の遅れは「日本大使館の職務怠慢」とする報告書公開 外務省が1945年から62年までの外交文書を公開し、この中で開戦通告の遅れは情勢認識の甘さと職務怠慢が原因だったとの報告書を同省が敗戦直後の46年にまとめていたことが明らかになった
1994年11月28日:週間報告(1994年11月20日~11月26日):朝日新聞紙面から
50年前のきょう12月8日の早暁、日本軍は当時イギリス領だったマレー半島に上陸を開始した。そして約1時間後、日本海軍の機動部隊がハワイ真珠湾の米軍基地に殺到した。3年9カ月におよぶ太平洋戦争の始まりである。いずれも宣戦布告なしの開戦であった。経緯はどうあれ、これが「だまし討ちの日本」「ずるい日本」というイメージを世界にあたえることになった。
1991年12月8日:日本はなにを学んだか 真珠湾50年(社説):朝日新聞紙面から
当時、開戦に関する国際法として通用し、日本も1912年に批准していたハーグ第3条約は、戦争開始には、明らかな事前通告が必要、と定めていた。日本政府、軍部とも、ぎりぎりのところで、この国際法は遵守することに決めていた。
1991年8月20日:「真珠湾騙し討ち」は在米大使館員の怠慢 日米開戦50年:アエラから
しかし、その時、ワシントンの日本大使館は、驚くべき無規律、無責任状態にあった。実務責任者だった井口貞夫参事官は、前日の6日夕、全員待機の非常態勢を取るどころか、館員に帰宅を促してさえいた。その一方、数人の人たちを誘って、深夜まで中華料理店で、酒食に興じた。
1991年8月20日:「真珠湾騙し討ち」は在米大使館員の怠慢 日米開戦50年:アエラから

アメリカ参戦のきっかけに

 宣戦布告なしの開戦によって、アメリカの戦意が高まったと言われています。真珠湾の攻撃の後、日本軍は敗戦を重ねます。半年後のミッドウェー海戦は空母4隻を失い、敗戦への道をたどります。

 真珠湾攻撃があった時のアメリカ大統領、ルーズベルトはドイツと戦争中だったイギリスを助ける考えでしたが、アメリカ国内は欧州の戦争に関わりたくないという世論が支配的でした。真珠湾攻撃は、アメリカの国内世論を変えるきっかけとなり、第二次世界大戦にアメリカが参戦することになりました。

炎上する重巡洋艦三隈(みくま)。ミッドウエー海戦米軍機の攻撃を受けて炎上、1942年6月7日沈没した
炎上する重巡洋艦三隈(みくま)。ミッドウエー海戦米軍機の攻撃を受けて炎上、1942年6月7日沈没した 出典: 朝日新聞
真珠湾への奇襲は成功するが、標的の空母は不在。しかも宣戦布告が遅れたことで米国民の戦意を高める結果に。半年後のミッドウェー海戦は空母4隻を失う惨敗だった。早期講和の道は閉ざされ、五十六は前線基地への視察の途中に撃墜されて戦死した。
2011年12月16日:昭和史、今こそ伝えたい 「聯合艦隊司令長官 山本五十六」に主演・役所広司:朝日新聞紙面から
三九年、ドイツと英仏の間で第二次大戦が始まった。ルーズベルトは英国を助ける決意を固めていたが、国内では欧州の戦争にかかわりたくないという世論が支配的だった。「ルーズベルトはアメリカを戦争に引きずり込もうとしている」 三選を目指す彼は、ライバルの共和党候補から激しい攻撃を受ける。「自国領土が攻撃されないかぎり、青年を戦場に送ることはしない」と公約せざるを得なかった。この深刻なジレンマを救ったのが、日本の真珠湾攻撃だった。
1999年11月28日:F・ルーズベルト 真珠湾は陰謀?(100人の20世紀:98):朝日新聞紙面から

原爆投下にもつながった真珠湾攻撃

 悪化した日本のイメージは、最終的に1945年8月に投下された原爆にもつながったと言われています。

 1945年8月9日 トルーマン大統領はラジオ演説で「真珠湾で我々を無警告で攻撃したものに対して、また、米国人の戦争捕虜を餓死させ、殴打し、死刑にしたものに対して原爆を使用した」と述べています。原爆投下が戦争終結を早めたという考えは、アメリカで今も根強くあります。

 真珠湾攻撃自体は成功をおさめた日本ですが、その後は国際的に孤立し、原爆投下による敗戦という結果をむかえます。戦争全体を見た場合、宣戦布告の持つ意味は大きかったと言えそうです。

背番号「86」のユニホームを着て、試合前に黙禱(もく・とう)する広島の選手たち=2015年8月6日
背番号「86」のユニホームを着て、試合前に黙禱(もく・とう)する広島の選手たち=2015年8月6日 出典: 朝日新聞
ビジネス街での集会で、通行人たちは無表情に通り過ぎていく。米国では、広島、長崎への原爆投下について「戦争の終結を早めるために必要だった」という考えが根強い。代表でメッセージを読み上げた元米軍人のリチャード・グリードさん(66)は「原爆は決して使ってはいけない兵器だ。ほかに選択肢がなかったとは思わない。市民を標的にしたのは明らかに一線を越えている」と話した。
2015年8月6日:元米軍人団体「心から謝罪」 NYの総領事館に花束、原爆犠牲者悼む:朝日新聞紙面から
原爆投下への米国側の反応 45年8月9日 トルーマン大統領のラジオ演説 「真珠湾で我々を無警告で攻撃したものに対して、また、米国人の戦争捕虜を餓死させ、殴打し、死刑にしたものに対して原爆を使用した」
2007年7月23日:原爆正当化どう克服 米側「終戦早め米兵100万人救った」:朝日新聞紙面から

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