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任天堂の岩田社長、天才プログラマーの顔 糸井重里が「神」と呼ぶ腕
任天堂社長の岩田聡さんが亡くなりました。55歳でした。もともとプログラマーだった岩田さん。その腕は「天才」と呼ばれるレベルでした。
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任天堂社長の岩田聡さんが亡くなりました。55歳でした。もともとプログラマーだった岩田さん。その腕は「天才」と呼ばれるレベルでした。
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任天堂社長の岩田聡さんが亡くなりました。55歳でした。もともとプログラマーだった岩田さん。その腕は「天才」と呼ばれるレベルでした。入社2年で社長に抜擢、今年3月にはスマホゲームの大手DeNAとの提携を決断するなど、型にはまらない異能のゲーム人生でした。
岩田さんは、札幌の高校時代から、関数電卓を使ってゲームをプログラムしていました。高校時代、新聞配達でためた金で、プログラムのできる電卓を買い、バレーボールやミサイル射撃のゲームを作ります。授業中の時間も使って作りこんだゲームに級友は驚き、のめりこんだそうです。
1978年に東工大に入ると、秋葉原に通い出します。昭和通り近くのマンションの一室。設立間もないゲーム会社が、プロ顔負けの技術を認め、アルバイトに雇います。当時、社員5人だったハル研究所です。父親の猛反対を押し切って入社。後に社長にまでなります。
「救いの神が降りてきたようだった」。コピーライターの糸井重里さんは、一緒にファミコンゲームの名作「MOTHER」の続編を開発していたころの思い出を、そう語っています。開発が滞っていた1993年の暮れ。岩田さんは「いまのプログラムを生かして作ると3年かかる。一から作れば1年以内にできる」と断言。実際、その通りにやってのけました。