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任天堂の岩田社長、天才プログラマーの顔 糸井重里が「神」と呼ぶ腕
任天堂社長の岩田聡さんが亡くなりました。55歳でした。もともとプログラマーだった岩田さん。その腕は「天才」と呼ばれるレベルでした。
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任天堂社長の岩田聡さんが亡くなりました。55歳でした。もともとプログラマーだった岩田さん。その腕は「天才」と呼ばれるレベルでした。
腕利きプログラマーだった岩田さんらしい商品が「ニンテンドー・ディーエス(DS)」です。二つの画面、タッチパネル、音声入力に無線機能など、てんこ盛りです。岩田さんが「DS」の狙いについて、こう語っていました。
「ゲームが売れないのは少子化のせいでも、携帯電話のせいでも、不景気のせいでもない。作り手が手詰まりになっているから」
言葉通り「DS」は大ヒットに。発売から4年3カ月で世界販売台数が1億台を突破しました。
岩田さんは、2002年6月、任天堂の社長に就任します。入社して2年足らず42歳でした。経営難に陥ったハル研究所を、任天堂の支援を受けて立て直した手腕を買われての人事でした。創業家出身で半世紀余り社長を務めた故山内溥さんから、社長室で50年の歩みを2時間説かれ、後継を託されました。「えらいことだ」と思った岩田さん。でも「こんなやりがいのある仕事はない」と引き受けました。
就任時、「ゲーム業界はわずか20年の歴史。私はだれにも教わらずゲームをつくってきた。必要なのは年齢ではなく、経験でしょう」と意気込みを語っていました。
2014年には、YouTubeやニコニコ動画へのプレイ動画の投稿を公認。ゲームの二次創作の重要性にいち早く、理解を示しました。そして2015年3月、DeNAとの業務・資本提携を発表。ゲーム専用機に注力してきた任天堂にとっては大きな戦略転換となる決断を下しました。
プログラマーとして、社長として、異彩を放った岩田さん。早すぎる死が惜しまれます。