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石田純一、高校球児だった過去 「馬のように走って鍛えた」

さわやかなプレイボーイのイメージが強い石田純一さんですが、高校時代は球児でした。甲子園をめざし泥だらけになりながら猛練習をしていたそうです。

実は球児だった石田純一さん
実は球児だった石田純一さん 出典: 朝日新聞

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 素足にローファー、さわやかなプレイボーイのイメージが強い石田純一さんですが、高校時代は球児でした。青山高校のエースで4番。今のキャラとは違って、泥だらけになりながら猛練習をしていたそうです。

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自身が出場した試合の公式スコアを手にする石田純一さん=2015年6月、東京都中央区、白井伸洋撮影
自身が出場した試合の公式スコアを手にする石田純一さん=2015年6月、東京都中央区、白井伸洋撮影 出典: 朝日新聞

義父はプロ野球の元監督

 石田純一さんは、1980~90年代、「抱きしめたい!」「想い出にかわるまで」などのトレンディードラマで活躍しました。現在の妻は、プロゴルファーの東尾理子さん。理子さんの父は、プロ野球西武の元監督、東尾修氏です。

西武ライオンズの元監督・東尾修
西武ライオンズの元監督・東尾修 出典: 朝日新聞

過酷な投球練習

 都立青山高校出身の石田さん。進学校だったため、練習と勉強を両立するため「馬のように走って足腰を鍛えたり、ノックを受けたり」といった練習を重ねたそうです。特に、投球練習では100球投げる中で最後の5球、試合前は10球を、連続でストライクを取らなければならないという過酷なものでした。

 「飛び抜けた投手ではなく、打撃のほうが自信がありました」という石田さん。足も早く、盗塁は一度も刺されたことがなかったそうです。上下関係は厳しかったそうです。監督の言うことも絶対。「理不尽なこともありました。でもそこで得た仲間と忍耐力は財産になりました」と言います。

トレンディードラマで活躍していたころの石田純一さん=1989年1月
トレンディードラマで活躍していたころの石田純一さん=1989年1月 出典: 朝日新聞

「高校野球は『本気』の予行演習」

 「甲子園は手の届く場所というより夢の向こうで、僕らも多くの学校と同じように負けて終わりました」。高3夏の東京大会(当時)は3回戦で涙をのみました。それでも、野球を通じて多くのことを学んだそうです。

 「思い描いた目標に向かって努力すると、その後、世の中に出るとたいていのことは実現できる。高校野球は『本気』の予行演習なんです」

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