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「まず正座し庭園を眺めよ」 真の伝統文化とは? 井尻千男さんの志
日本の伝統文化の尊重を訴えた、評論家の井尻千男さんが死去しました。伝統文化を身近に感じる工夫を説いた、保守派の論客として活躍しました。
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日本の伝統文化の尊重を訴えた、評論家の井尻千男さんが死去しました。伝統文化を身近に感じる工夫を説いた、保守派の論客として活躍しました。
日本の伝統文化の尊重を訴える保守派の論客として知られた評論家の井尻千男さんが3日、死去しました。76歳でした。
井尻さんは日経新聞編集委員を経て、拓殖大日本文化研究所長などを歴任。週刊誌のコラムニストやテレビ番組のコメンテーターとして精力的に発言してきました。
一方で、郷里の山梨県山梨市に茶室を備えた邸宅を構えて、伝統に根ざす生き方を自ら実践しました。
また、東武鉄道を創立した地元出身の実業家・根津嘉一郎(1860―1940年)の迎賓館を兼ねた私邸を整備して2008年に開館した根津記念館の館長に就任。講演などで明治の偉人を顕彰してきました。
西洋に倣って近代化に邁進した明治の実業家たちがこぞって日本の古美術に魅せられた理由、日常生活の中で伝統文化を身近に感じる工夫とは……。
08年10月9日付の朝日新聞山梨県版に掲載された、井尻さんのインタビューを採録します。
――山梨県山梨市出身の実業家根津嘉一郎を顕彰する根津記念館(同市正徳寺)が2008年10月11日に開館します。その館長に就任されました
嘉一郎は東武鉄道の社長などを務めた、甲州財閥を代表する実業家です。一方で日本の茶器や絵画などのコレクターとしての評価も高い。自ら造った根津美術館(東京都港区)の、国宝級の作品の充実ぶりは素晴らしい。また郷里に小学校の校舎やピアノを寄贈するなど、教育関係の寄付にも熱心だったことでも知られた。実業家によるフィランソロピー(社会貢献活動)の先駆けとも言える。
――近代日本の建設に邁進(まいしん)した実業家が、日本の伝統文化に魅せられたのはなぜでしょうか
明治期の日本人は、欧米の科学技術や文化を熱心に学び、「和魂洋才」で国の発展に努めた。だが近代化は、どうしても歴史や伝統の破壊につながってしまう。そのアンビバレント(二律背反)な行為への償いとして、欧米の影響を受けていない日本の伝統文化に価値を見いだし、その保全や実践をすることで、心理的な矛盾を解決しようとしたのだろう。
――郷土の偉人を顕彰し、その生涯や功績を知る意義は何でしょう
生まれ育った土地への愛着は、郷土の偉人の生い立ちや考え方を知ることから育まれる。またこれは私の仮説だが、甲州には陶磁器などの伝統工芸が比較的少ない。そのため、嘉一郎もこり固まった価値観にとらわれず、冷静で素直な審美眼で美術品を選ぶことができ、結果的に良い物を収集できたのではないか。そういったエピソードに触れることで、郷土愛も深まる。
――近代和風建築の屋敷や茶室が修復、復元された根津記念館を訪れる人に、何を感じてほしいですか
嘉一郎は、生家を純和風の格調高い書院建築にし、オーソドックスな日本庭園をつくった。「日本文化とは何か?」と聞かれると、能楽や歌舞伎が思い浮かぶかもしれないが、どちらも生活に根ざしたものではない。地に足のついた文化は、住まいから始まる。畳に正座して、眺める庭園の美しさを味わい、日本文化を継承した嘉一郎の志を体感してほしい。
――井尻さんも山梨市内の自宅に茶室を構えています。日常生活の中で、伝統文化を身近に感じる工夫はあるでしょうか
堅苦しく考えず、たとえばテーブルの隅に茶せんを置いて、食後に抹茶を飲むことから始めればいい。そのうちに良い茶わんをそろえたり、床の間に書や絵を飾ったりしたくなる。伝統を守ることも必要だが、型にとらわれず、ざっくばらんに我流で楽しむことも大事だ。