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リー・クアンユー氏死去 過激で「偉大」なシンガポール建国の父

シンガポール建国の父と称されるリー・クアンユー元首相。91歳で亡くなったカリスマ的政治家の足跡を振り返ります。

シンガポール建国の父リー・クアンユー氏=2000年1月7日
シンガポール建国の父リー・クアンユー氏=2000年1月7日 出典: 朝日新聞

目次

 シンガポール初代首相のリー・クアンユー氏が23日、91歳で死去しました。東京23区ほどの広さで資源もない小国を、強烈なリーダーシップで世界最高峰の経済国家に発展させ、「建国の父」と称されました。その業績を、時に物議を醸した発言とともに振り返ります。

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 1965~2013年までの日本とシンガポールの一人当たりGDPの推移。初代首相のリー氏から第2代首相のゴー・チョクトン氏を挟み、リー氏の息子で現首相のリー・シェンロン氏までの50年間で日本を抜き去り、世界有数の経済国家となりました。

西洋よりも劣っているという固定観念を打ち破る

 リー氏は1923年生まれ。曽祖父の代に現在の中国の広東省からシンガポールに移住しました。学生時代に日本軍によるシンガポール占領を経験。終戦後、英ケンブリッジ大に留学し、法律を学んで主席で卒業しています。1949年に帰国して弁護士となり、当時まだ英領だった母国の政治活動にも携わるようになりました。発展した英国とアジアとの格差を実感したリー氏は当時、こう語っています。

 我々は西洋の人間よりも劣っている、ずっと劣ったままだという固定観念を、絶対に打ち破るんだ。
1959年の選挙で人民行動党が第一党となり、笑顔を浮かべるリー氏
1959年の選挙で人民行動党が第一党となり、笑顔を浮かべるリー氏 出典:ロイター

 1954年に人民行動党を創設。5年後に選挙でシンガポール第一党となり、初代首相に就任します。1963年には先に独立していたマラヤ連邦と合流して、マレーシア連邦の一部に。念願だった英国植民支配からの独立を果たすことになりますが、マレー人を中心としたマレーシア政権と衝突し、わずか2年でシンガポールは追放同然の形で分離独立します。このとき、リー氏は泣きながら語っています。

 私にとっては苦悩のときだ。二つの地域(シンガポールとマレーシア)の統一を信じてきたのに…
人民行動党フェイスブックページの動画から
人民行動党フェイスブックページから
1965年、マレーシアからの分離独立が決まり、涙を流すリー氏(中央)
1965年、マレーシアからの分離独立が決まり、涙を流すリー氏(中央) 出典:ロイター

 中継貿易と駐留する英軍関連の産業で細々と生きていたシンガポールは当時、一国では立ち行かないと言われていました。リー氏の涙は、祖国が存亡の危機に瀕しているという危機感の現れでした。そこから生まれたのが「生き残りのイデオロギー」です。

 我々のような面積の小さい資源の限られた都市国家では、余分なことに費やされるエネルギーはない。我々は痩せて健康的でいるか、もしくは死ぬだけである
 すべての社会には、肉体的にも精神的にも、他の人よりも恵まれている人間が約5パーセント存在する。我々は限られたわずかな資源を彼らのために投じ、彼らはそれを有効に使って、シンガポールが東南アジアで卓越した社会であり続けるよう働かねばならない
田村慶子氏「『頭脳国家』シンガポール」

苛烈な統治の背景に占領期の記憶

 人民行動党に権力を集中させ、政府批判は厳しくチェック。小学生のころから成績別にクラス分けし、競争を徹底。ごみのポイ捨て、歩きたばこ、公共交通機関での飲食などはすべて罰金。国家の安定と経済成長を追求するリー氏の政治は「開発独裁」とも評されました。その厳しい統治スタイルの起源について、リー氏は第2次世界大戦中の日本軍によるシンガポール占領に影響を受けたと言っています。

 日本軍は恐怖を広めることによって統治した。罰があまりにも苛烈なために、1944年の窮乏のとき、人々が飢えの中にあってすら、犯罪率は驚くほど低かった。その結果、私は罪と罰についてのソフトなアプローチというものを信じなくなった。
The Singapore Story: Memoirs of Lee Kuan Yew
1979年、来日したリー首相夫妻、長女のウェイリンさんと会見する昭和天皇、皇后両陛下
1979年、来日したリー首相夫妻、長女のウェイリンさんと会見する昭和天皇、皇后両陛下 出典:朝日新聞

国過てば、棺から出てくる

 1990年に首相をゴー・チョクトン氏に譲りますが、自身は「上級相」という地位につき、政策への関与を続けます。2004年に息子のリー・シェンロン氏が首相となると、上級相をゴー氏に譲り、自身は内閣顧問に。

 父と同様にケンブリッジ大を最優秀の成績で卒業し、軍隊を経て政界入りしたリー・シェンロン現首相のもとでもシンガポールは発展を続けています。リー氏は2011年に公職をすべて退いていました。苛烈な統治スタイルに批判も多かったリー氏ですが、今年2月に入院し、容体の悪化が報じられると、お見舞いの言葉や花束が寄せられました。

リー氏の回復を祈って捧げられた花束
リー氏の回復を祈って捧げられた花束 出典: ロイター

 23日早朝に人民行動党がリー氏死去の速報をフェイスブック上で流すと、「ご冥福をお祈りします」「あなたがシンガポールのために成し遂げたことを忘れません」などと書き込みが相次ぎました。

 リー氏は生前、自分が亡くなったときのことについて、こう語っていました。

 もしこの国が間違った方向にいっていると感じたら、私は墓の中からでも起き上がってくるぞ
1988年、国会での発言
出典: ロイター

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