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又吉直樹、小説35万部の大ヒット 下宿先、実は太宰の自宅跡だった

小説「火花」が35万部の大ヒットとなり、話題を呼ぶお笑い芸人・又吉直樹さん。大阪から上京してきた時、最初に住んだアパートの場所は、なんと文豪・太宰治の家の敷地跡でした。

小説が注目を集める又吉直樹さん。上京して住んだ下宿は太宰の自宅跡だった
小説が注目を集める又吉直樹さん。上京して住んだ下宿は太宰の自宅跡だった 出典: 朝日新聞

目次

 小説「火花」を執筆し、話題を呼ぶお笑い芸人・又吉直樹さん。3月11日に出版した単行本は35万部の大ヒットとなりました。そんな又吉さん、大阪から上京してきた時、最初に住んだアパートの場所は、なんと文豪・太宰治の家の敷地跡でした。下積み時代から、文学に運命づけられていた人生でした。

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掲載雑誌が創刊以来、初の増刷

 お笑い芸人である又吉さんですが、芥川賞の受賞作が載るたびに「文芸春秋」を買うほどの文学好きとして知られています。文学関係の仕事も多く、雑誌「文学界」(2月号)では小説「火花」を発表。掲載された「文学界」の売れ行きも好調で、7千部の増刷となりました。この増刷は、出版不況のいま、極めて異例で1933年創刊以来初めてのことでした。

三鷹市にある玉鹿石。太宰治を偲んで、故郷、青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を使った石碑。このあたりの玉川上水で、太宰は入水したといわれている=三鷹市下連雀、松田光撮影
三鷹市にある玉鹿石。太宰治を偲んで、故郷、青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を使った石碑。このあたりの玉川上水で、太宰は入水したといわれている=三鷹市下連雀、松田光撮影

 小説「火花」は原稿用紙230枚に渡る中編です。お笑いの世界を舞台に、主人公の若手芸人が先輩芸人の輝きと挫折を見つめる内容です。

芥川賞の受賞作が載るたびに「文芸春秋」を買ってました。好きな作家、古井由吉さんの選評を読みたかったからです。芥川賞の候補になったときから中村文則さんの名前は知っていて、デビュー作の『銃』から読んでいます。
2012年12月16日:(思い出す本 忘れない本)何もかも憂鬱な夜に ピース・又吉直樹さん :朝日新聞紙面から
三鷹市の和風文化施設「みたか井心亭」。太宰治旧宅のすぐそばにあり、庭には太宰治の家から移植された百日紅(さるすべり)の木が植えられている=三鷹市下連雀、松田光撮影
三鷹市の和風文化施設「みたか井心亭」。太宰治旧宅のすぐそばにあり、庭には太宰治の家から移植された百日紅(さるすべり)の木が植えられている=三鷹市下連雀、松田光撮影
お笑い芸人のピース・又吉直樹さんが初めての純文学小説を発表した文芸誌「文学界」(2月号)の売れ行きが好調で、発行元の文芸春秋は8日、7千部の増刷を決めた。出版不況のなかで苦戦が続く文芸誌の増刷は極めて異例で、同誌では1933年の創刊以来、初めてという。
 又吉さんが文学界に寄せたのは「火花」というタイトルの純文学作品。原稿用紙230枚の中編で、お笑いの世界を舞台に、主人公の若手芸人「僕」の目から、先輩芸人の輝きと挫折を描いた。当初は通常通り1万部を刷ったが、ネット書店で発売前に予約で売り切れたり、東京都内の主要書店でも売り切れが相次いだりしたため、発売直後に増刷を決めたという。
 武藤旬編集長は「これほどの売り上げは予想外。通常はあまり多くない10代20代の若い世代が買っている」としている。
2015年1月9日「文学界」が初増刷 ピース・又吉さんの小説掲載

図書館で調べたら、太宰の家だった

 芸人を目指して大阪から上京してきた又吉さん。最初に住んだのは三鷹のアパートでした。実はこのアパート、太宰の家の敷地跡に建ったものでした。そんな場所とは知らず、地図を片手に太宰のお墓などを辿っているとき、図書館で調べたら気づきました。中学のころから太宰の大ファンだったという又吉さん。この頃から、文学との深い縁が始まっていたようです。

三鷹の自宅で笑顔を見せる太宰治=1948年4月撮影、津島園子さん提供
三鷹の自宅で笑顔を見せる太宰治=1948年4月撮影、津島園子さん提供
大阪から上京して最初に住んだ三鷹のアパートは、太宰治が暮らした家の敷地跡に建った建物だそうです。中学の頃から夢中で読んだ作家ですから、小説に「三鷹」って地名が出てきたなくらいの知識はあったけど、住所までは知りません。住み始めて、地図片手に太宰のお墓とか足跡をたどっている時、図書館で調べたら、「あ、家、ここやったんや」と。もう15年くらい前の、ウソみたいな話ですけど。
2015年3月17日(リレーおぴにおん)TOKYO風景:2 残酷で、まれに優しい街 又吉直樹さん

「自意識の捨て場所」探した下積み時代

 多方面で魅力を見せている又吉さんですが、最初からうまくいったわけではありませんでした。上京したものの、コンビニでバイトをしながら芸人の養成所に通う日々。才能がある人に劣等感も抱きました。世間と自分の評価のズレで悩んでいたといいます。又吉さんは当時の様子をこう語っています。

 「芸人になりたくて、望んで東京に来たものの、コンビニでバイトしながら芸人の養成所に通う日々は、ぱっとしませんでした。才能がある奴を見れば劣等感を抱き、後悔し、一方では、ない個性をあるようにアピールする連中に嫌悪感を抱いた。世間と自分の評価のずれで悩み、『自意識の捨て場所』を探して、苦悶(くもん)してましたね」

太宰一家が利用していた伊勢元酒店跡にある太宰治文学サロン。伊勢元は「十二月八日」に登場=三鷹市下連雀、松田光撮影
太宰一家が利用していた伊勢元酒店跡にある太宰治文学サロン。伊勢元は「十二月八日」に登場=三鷹市下連雀、松田光撮影
芸人になりたくて、望んで東京に来たものの、コンビニでバイトしながら芸人の養成所に通う日々は、ぱっとしませんでした。才能がある奴を見れば劣等感を抱き、後悔し、一方では、ない個性をあるようにアピールする連中に嫌悪感を抱いた。世間と自分の評価のずれで悩み、「自意識の捨て場所」を探して、苦悶(くもん)してましたね。
2015年3月17日(リレーおぴにおん)TOKYO風景:2 残酷で、まれに優しい街 又吉直樹さん

「まだまだしんどいですよ」

 今も「まだまだしんどいですよ。自分が信じられないもの、納得できないものにはくみしたくない」と語る又吉さん。納得できないものにはくみせず、自分がおもしろいと思う世界を目指すため、苦心しているそうです。

太宰治文学サロンに展示された田村茂撮影の「三鷹の陸橋にて」
太宰治文学サロンに展示された田村茂撮影の「三鷹の陸橋にて」

 そんな中、時々、下積み時代の思い出がつまったアパートを散策するそうです。

 「時々、昔住んでた中央線のアパート周辺を散歩します。歩いてると、忘れてること思い出したり、自分でも想像つかへん道を歩いていたり。それが、体にも頭にもいいんですよね」と語っています。

 小説「火花」は、10代20代の若い世代を中心に人気が出ています。3月11日に発売された単行本は重版され、累計部数は35万部になりました。お笑い芸人であり、小説家でもある又吉さん。太宰ゆかりの地を出発点に、独特の立ち位置で、ファンを広げています。

太宰治も好んで渡ったという三鷹電車庫をまたぐ歩行者用の鉄橋
太宰治も好んで渡ったという三鷹電車庫をまたぐ歩行者用の鉄橋
ただ、まだまだしんどいですよ。自分が信じられないもの、納得できないものにはくみしたくない。めちゃくちゃ少数派になったとしても。反対に、むちゃくちゃ多数派にのまれているように見えたとしても。自分がおもろいと思う世界を形にしたい、ということですが、ただのサボリでなくて、お客さんに喜んでもらえるもの、出さなあかん。苦心してます。
2015年3月17日(リレーおぴにおん)TOKYO風景:2 残酷で、まれに優しい街 又吉直樹さん
時々、昔住んでた中央線のアパート周辺を散歩します。歩いてると、忘れてること思い出したり、自分でも想像つかへん道を歩いていたり。それが、体にも頭にもいいんですよね。
2015年3月17日(リレーおぴにおん)TOKYO風景:2 残酷で、まれに優しい街 又吉直樹さん
【関連リンク】(リレーおぴにおん)TOKYO風景:2 残酷で、まれに優しい街 又吉直樹さん:朝日新聞デジタル

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