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哲学好きに、おすすめ映画監督 巨匠の思想にどっぷりはまる
アート界隈の若手をテレホンショッキング形式で紹介していく「アラ爆」。今回ご紹介するのは、映像論を専門にする築地正明さんです。映像を哲学的に考えるという「映像論」、いったいどうしてその道に?築地さんに聞きました。
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アート界隈の若手をテレホンショッキング形式で紹介していく「アラ爆」。今回ご紹介するのは、映像論を専門にする築地正明さんです。映像を哲学的に考えるという「映像論」、いったいどうしてその道に?築地さんに聞きました。
「芸術は爆発だー」ということで、芸術界隈→アラウンド爆発→アラ爆。知名度の点で、爆発的に人気が出る前後という意味も込めています。今後の芸術界を担うかもしれないアーティストやキュレーターの方々に、テレホンショッキング形式で次の人を紹介してもらいながら会いに行きます。
今回は、前回の写真家、鈴木諒一さんから紹介いただいた築地正明さんだ。鈴木さんの大学院に築地さんが講演に来たのがきっかけで今では時々飲みに行く仲だという。現在は映像を哲学的に考える映像論・批評を専門に、京都造形芸術大学で非常勤講師を務める。大学時代はむしろ映画制作に興味を持っていたという築地さん。「映像を考える」ことにこだわる築地さんに、哲学と映画の関係、そして、哲学好きにおすすめの映画監督を聞いた。
築地さんは武蔵野美術大学映像学科出身。当時は映像制作に興味があり、実際にさまざまな制作に携わった。しかし、制作するうちに「映像とは何か」という問いが頭をもたげた。制作するにしても「それをきちんと理解した上でないと誠実ではないように思えた」という。「それに観念的すぎると映像を作っても面白くなくなる」。同時期に映像作家のインタビューを読んだことも大きかった。映像作家が映像を通じて表そうとしたものを、他の人が批評という言葉を通してより鮮明に描き出すこともできるのではないかと気付いたという。
映像とは何なのか。築地さんはまずその始まりに着目する。19世紀に映像技術が生まれたことで、それまでは実力に裏打ちされていた芸術も、機材さえあれば偶然に良いものが生まれるということも可能になった。だが築地さんは偶然生み出された映像は「社会的価値を持つことはあり得るとしても、芸術的な価値はない」と言い切る。一方で「いい映像作品は人間の精神の普遍性をとらえるもの。技術に裏打ちされたものになる」。つまり人間の本質に迫るような「いい作品」に限っていえば、映像技術が生まれる前後で本質的には変わらないと見る。
複製できる技術が生まれたことで作品や人が持つ威厳のようなものが作品から無くなったという考え方にも否定的だ。例えばパリで行われたという初期の映像の発表の場で、列車が迫ってくる映像に観客が跳びはねたというエピソードがあるように「映像には直接的なイマージュ(像)が持つ力がある」。
「いい映像」の造り手は「自分を表現しようとするのではなく、対象そのものを重視する。私心をなくして、対象に真摯に向き合う中で個性が自然と出てくる」という築地さん。この態度は批評する側にも共通する。いい批評とは、自分の解釈や哲学を勝手にあてはめるのではなく、その造り手の作品と言葉を手がかりにして、対象と向き合って書くものだと考えているという。
哲学を織り交ぜつつ、映像について、とことん考え続けている築地さん。そんな築地さんに、哲学を興味をもった人にもおすすめな映画監督3人を紹介してもらった。
■小津安二郎
評:何度見ても飽きない作品ばかり。役者が何度もダメだしをされ、疲れて疲れてとったというエピソードが残るシーンなど、役者が演技を超えて表現されているのも魅力。対象に向き合ってそのものが出て来るまで待つという監督の姿勢が表れている。家族や人間の本質的なものをとらえているため、時を経ても古びない。
■小栗康平
評:自然のもの、人に対する謙虚さがある。やはりいわゆる演技で造りあげようとしているのではなく、生命的な倫理や道徳を浮かび上がらせている。見ていて驚かされるのではなく、自分で考え、豊かになることができる作品。
■ロベール・ブレッソン(フランス)
評:職業俳優を使うと「演技してしまう」と素人を使い映像を制作した。悲しい、暗い映画が多いが悲しませようとしたものではなく、「映像とは何か」考えさせられる作品。
今後はもっと批評を書いていきたいという。「人を豊かにする、生きる糧になる芸術作品に応える言葉をつくりたい」。「否定することに創造性はないと思っている」という築地さん、自分自身が好きになれる、生活や人間を深く掘り下げる作品を見つけ、その魅力を人に伝えていくつもりだ。