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しょうゆ卓上瓶に込められた、日本の民主化への思い 栄久庵さん死去
栄久庵憲司さんが2015年2月8日、85歳で亡くなりました。栄久庵の代表作「キッコーマンしょうゆ卓上瓶」が生まれたのは1961年。そこには民主化への思いが込められていました。
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栄久庵憲司さんが2015年2月8日、85歳で亡くなりました。栄久庵の代表作「キッコーマンしょうゆ卓上瓶」が生まれたのは1961年。そこには民主化への思いが込められていました。
栄久庵憲司さんが2015年2月8日、85歳で亡くなりました。成田エクスプレスやJRAのロゴマークなどを手がけた、日本を代表する工業デザイナーだった栄久庵さん。代表作「キッコーマンしょうゆ卓上瓶」が生まれたのは1961年でした。そこには民主化への思いが込められていました。
当時、家庭では重くて不安定な陶器のしょうゆ入れが使われていました。キッコーマンは、家庭でもっとしょうゆをつかってもらいたい、という思いから栄久庵さんに、デザインを依頼しました。
GKは1952年、東京芸大の学生時代に作ったグループが母体となって生まれました。栄久庵さんは、2012年11月の取材にこう答えてします。「イデオロギー論争が激しい時代でしたが、私たちはモノや美の民主化を目指していました」。そんな思いから、しょうゆ卓上瓶は生まれました。
デザインは半世紀以上、変わっていません。その理由を栄久庵さんは「形として普遍性があるんでしょう」と語っていました。持ち上げる時に小指が立つ動作まで計算されていました。その時の美しさまでが、デザインに取り取り込まれています。
赤いキャップにたどり着くまでに、試作品は101個も作ったそうです。その中には青や緑もありました。しかし、結局、今の特徴的な赤色に。栄久庵さんは「やはり赤がよく目立った。食べ物には暖色が合いますね」と振り返っています。
しょうゆ卓上瓶は海外でも受け入れられています。外国のスーパーでなじみのあるこの瓶を見かけることも珍しくありません。栄久庵さんは、その理由を「合理性」にあると分析しています。「海外でも受け入れられた理由の一つは、ガラス製で残りの量が分かる合理性があるからだと思います」と述べていました。