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陳舜臣さん死去 阪神大震災経験、「神戸の笑顔をみたい」復興見守る
直木賞作家の陳舜臣さんが、90歳で死去した。神戸市で生まれ育ち、阪神大震災で被災した後も、国際都市としての神戸を愛し、創作の拠点にしながら復興を見守り続けた。
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直木賞作家の陳舜臣さんが、90歳で死去した。神戸市で生まれ育ち、阪神大震災で被災した後も、国際都市としての神戸を愛し、創作の拠点にしながら復興を見守り続けた。
中国の歴史を題材にした小説で知られる直木賞作家の陳舜臣さんが21日、老衰のため90歳で死去した。神戸市で生まれ育ち、阪神大震災で被災した後も、国際都市としての神戸を愛し、創作の拠点にしながら復興を見守り続けた。昨年5月には、「アジアの若者の交流の拠点に」と著作や資料を寄贈した「陳舜臣アジア文藝館」ができた矢先の訃報だった。
陳さんは1924年、神戸市生まれ。祖先は中国・福建省の出身。祖父の代に台湾から神戸に転居した貿易商の家で育った。大阪外国語学校(現・大阪大外国語学部)を卒業後、家業を手伝いながら小説を書き始めた。1961年には、神戸を舞台にした「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞している。「実録アヘン戦争」「諸葛孔明」などの中国史を題材にした作品で知られるほか、沖縄の歴史を描いた「琉球の風」は、NHK大河ドラマの原作となった。
95年1月17日早朝にあった阪神大震災では、神戸市灘区の高台にあった家で被災。前年8月に脳内出血で倒れ、右手と右足が不自由になって入院、退院した4日後だった。
幸い、けがはなかったが、家具が倒れ、ガラス類がめちゃめちゃに壊れ、ガスと水道がストップ。「どうしようもなかった。体が動かないから。芦屋にいる娘とも電話が通じず不安だった」という過酷な状況だったが、「あちこちで煙や火が上がっていた。神戸は全滅かなと思ったり、大きな建物が残っているから大丈夫かなと思ったりした」と、生まれ育った神戸を案じた。
しかし、神戸が全滅するのでは?という不安は杞憂に終わる。ちょうど10年目の2005年1月17日付け朝日新聞に寄せた随筆で、国際都市・神戸の民度の高さについて、誇らしげにつづっている。
「マイノリティー(少数派)として日本に住む私たちは、このような災害に遭ったとき、関東大震災のあのいまわしい事件を思い出さずにはおれない。数千人の朝鮮人と数百人の中国人が虐殺されたともいわれている。阪神淡路大地震にはさすがにこのようないまわしい事件はおこらなかった。あのころと比べて、『民度』ははるかに向上している。国際的感覚というより地球市民的自覚が、これまたはるかに進んでいるといえる」
01年にあった講演でも、「神戸には多くの外国人がいたのに、混乱もなく、みんなが協力して復興に向けて動き出した。こうして神戸が真の国際都市だということが証明されたことは、神戸に住む外国人の一人として本当にうれしい」と語っている。
復興を見届けながら、新しい世代の市民たちに、前向きな気持ちで生きることの大切さも訴えていた。
休刊していたタウン誌の草分け「神戸っ子」が05年に臨時復刊した際には、「神戸は泣いていたが、そろそろ涙を拭くころである。(中略)神戸の笑顔をみたい。神戸は笑顔が一ばん似合う」と寄稿した。
14年5月には、神戸港を臨む旧神戸税関メリケン波止場庁舎(神戸市中央区)に、陳さんの千冊以上の著作や歴史関連の蔵書が並ぶ、陳舜臣アジア文藝館が「プレオープン」として開館。設立準備に際して、「自分の本が次の世代の役に立ってくれればうれしい。アジアの若者の交流の拠点になることを願っている」とのコメントを寄せていた。