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大河ドラマ「花燃ゆ」主人公、杉文ってどんな人?最初の夫に愛人も…

NHKで放送が始まった大河ドラマ「花燃ゆ」。主人公の文(後に美和子)は、吉田松陰の妹とはいえ、これまで物語でほとんど描かれることのなかった人物だ。果たしてどんな女性だったのだろうか?

大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・文を演じる井上真央さん
大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公・文を演じる井上真央さん 出典: 朝日新聞

目次

NHKで放送が始まった大河「花燃ゆ」は、いよいよ、井上真央さんが登場。井上さん演じる主人公の文は、幕末に活躍した人材を育てた吉田松陰の妹とはいえ、これまで物語でほとんど描かれることのなかった人物だ。一体、どんな人生を送った女性だったのか。

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「花燃ゆ」主演の井上真央さん
「花燃ゆ」主演の井上真央さん 出典: 朝日新聞

文(ふみ、後に美和子)は吉田松陰の妹で杉家の四女。松陰とは10歳以上歳が離れていた。15歳で、松下村塾の塾生で屈指の才能を持った久坂玄瑞に嫁いだ。結婚には松陰の強いすすめがあったといい、一番弟子に嫁がせたことからも松陰が文をかわいがっていたことがうかがえる。しかし、22歳のときに久坂が禁門の変で自害。その後は長州藩主・毛利家で元昭の守役を務めた。姉・寿の死後、41歳の時に寿の夫で初代の群馬県令(知事)を務めていた楫取素彦(かとりもとひこ、維新前は小田村伊之助)と再婚。群馬の産業と教育の振興に尽力した。79歳で死去。

文(ふみ)は松陰の妹で、来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公。高杉晋作とともに松下村塾の双璧と称された久坂玄瑞に嫁いだが、久坂と姉の死後、姉の夫だった楫取と再婚した。
2014年1月12日朝日新聞朝刊山口版「防府で明治天皇の皇女慰霊 松陰の妹婿・楫取素彦が養育係」

兄はあの吉田松陰

吉田松陰(右)と松陰を演じる伊勢谷友介さん
吉田松陰(右)と松陰を演じる伊勢谷友介さん 出典: 右:松陰神社所蔵「絹本着色・吉田松陰自賛肖像」 左:朝日新聞

文の兄、吉田松陰(1830~59)は長州藩(現在の山口県)出身。半士半農の貧しい生活だったが、働き者で学問を愛した父親・百合之助と、愛にあふれた母親・滝子(ドラマ内では滝)のもと、叔父の玉木文之進や父から、儒学や兵学の基礎を学んだ。特によき理解者で支援者でもあった兄の民治(みんじ=梅太郎)の存在は大きかったという。
1854年にペリー艦隊(黒船)に密航を試み投獄された。出獄後は武士や町民など身分の隔てなく受け入れた松下村塾で教鞭をとり、高杉晋作や伊藤博文、山県有朋ら維新の人材を育てた。その後、幕府を批判して再び投獄され、安政の大獄で死罪となった。

吉田松陰 1830~59。長州藩出身。54年、下田沖の米・ペリー艦隊(黒船)に密航を企てて失敗し投獄された。
2014年1月29日朝日新聞夕刊「死にゆく松陰、政敵を走らす 辞世、井伊側近の史料から発見 」
1842(天保13)年に玉木(文之進、松陰の叔父)が私塾を開き、松下村塾と名付けた。藩校明倫館の塾頭を務めた松陰らが引き継いだ。武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れたのが特徴。塾生は50人ほどいたとされ、リーダーの久坂玄瑞や征長の幕府軍を打ち破った高杉晋作らがいた。
2012年8月3日朝日新聞朝刊山口版「松下村塾の歴史、資料で紹介 開塾170年の特別展」
文と吉田松陰らの母、杉滝子(右)と滝子を演じる檀ふみさん
文と吉田松陰らの母、杉滝子(右)と滝子を演じる檀ふみさん 出典: 朝日新聞
松陰は萩藩士、杉百合之助の次男(兄弟は3男4女)として生まれた。杉家の家禄(かろく)はわずか26石で、半士半農の貧しい生活だったが、勤労好学の父と仁愛勤倹の母による誠実一筋の家族だった
2010年7月18日朝日新聞朝刊山口版「吉田松陰育てた家族愛 萩・至誠館で企画展」

最初の夫・久坂玄瑞、愛人も?

久坂玄瑞(右)と久坂を演じる東出昌大さん
久坂玄瑞(右)と久坂を演じる東出昌大さん 出典: 朝日新聞

文の最初の夫・久坂玄瑞は高杉晋作とともに松下村塾の双璧とされ、坂本龍馬が日本を変える意志を持つきっかけを作った人物。久坂はとても優秀だっただけに、結婚後も江戸へ遊学したり、長州尊攘派として活動したりと各地を飛び回っていた。文と一緒に過ごした時間は少なく、その間何十通もの手紙をやりとりしていたという。

久坂は文との間に子どもはできなかったが、自刃後に愛人との間に生まれた秀次郎という男子が萩藩によって子どもと認められている。愛人は誰だったのか謎に包まれており、京都・島原桔梗屋の芸妓だった辰さんという説や、同じく芸妓の佐々木ヒロさんという説、2人は同一人物という説も。久坂玄瑞の子孫によれば、家に残された布製の袋に「佐々木ヒロ」と書かれた小さな和紙が入っていたという。

龍馬は1862(文久2)年1月、土佐勤王党首領、武市半平太の手紙を長州志士、久坂玄瑞に届けるため萩を訪れた。久坂は、師・吉田松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)」論を説き、龍馬はこの地で日本を救う志を立てたとされる。有備館では久坂ら松下村塾生らとワラ束を切ったり、少年剣士らと試合をしたりしたという。
2010年4月14日朝日新聞朝刊山口版「坂本龍馬が訪れた有備館、特別公開 萩で来月から5回、歴史トークも」
久坂は高杉晋作とともに、松陰の松下村塾の双璧(そうへき)と称された。
2010年1月15日朝日新聞朝刊山口県版「吉田松陰、10代の伊藤博文に目 調整能力の高さ書き残した書、県文化財に」

優しい二番目の夫、楫取素彦

群馬県の初代県令・楫取素彦(右)と楫取を演じる大沢たかおさん
群馬県の初代県令・楫取素彦(右)と楫取を演じる大沢たかおさん 出典: 左:楫取素彦顕彰会提供

2番目の夫となった楫取素彦(小田村伊之助)は萩藩医の次男として生まれ、松下村塾でも指導した。松陰にとっては同僚の立場で、信頼も厚かったという。維新後は、群馬県の初代県令(現在の知事)に就任し、優れた指導力を発揮。伝統産業の養蚕・製糸業を奨励し、教育も充実させたため、近代群馬の功労者とされている。明治天皇の第10皇女、貞宮多喜子内親王の養育係なども務めた。1912年8月14日、83歳で死去。

萩市出身の楫取は萩藩医の次男として生まれた。(中略)防府市には毛利邸の建造を監督するため移り住んだとされ、防府天満宮裏にある天神山の緑化事業も手がけ、三田尻(現在の防府市)で亡くなった。
2012年5月9日朝日新聞朝刊山口版「維新前後に活躍、楫取ゆかりの資料並ぶ 防府天満宮で没後100年展」
 明治維新後、当時は気性が荒く治めにくいと見られていた群馬県の初代県令に就任した。優れた指導力を発揮し、在任中の1881年、県庁を高崎市から前橋市に移転。
2012年8月15日 朝日新聞朝刊群馬県版「楫取素彦・初代県令、没後100年で顕彰 前橋で説明板の除幕」

41歳で嫁ぐ際、最初の夫・玄瑞からの手紙を大事そうに持ってきた文に、楫取素彦は嫌な顔をするどころか、その手紙を「涙袖帖」として、きれいな巻物にしてあげたという。子孫の楫取家5代目当主・楫取能彦氏は「久坂と素彦は同志でしたから、素彦にとっても大事な忘れ形見だったんだと思います」「久坂の妻をもらうというのは、彼の思いや思い出も背負うということ。また、美和子(文)は松陰の妹で、前妻の妹でもあります。ただの夫婦じゃないというか。絆が深かったと思いますね」と週刊朝日の取材に語っている。

嫁ぐとき、美和子は亡き夫・久坂からの手紙を抱いて持って来ました。忘れられない大切な思い出だったんでしょうね。現代の感覚でいうと、「昔の亭主のことをまだ忘れられないのか」というふうに、ひと悶着あるかもしれないんですが(笑)。
2014年6月6日週刊朝日(子孫が語る秘話と秘宝 特別ワイド)幕末を動かした女たち

本人についての記録は極めて少ないながらも、家族や夫からの愛の痕跡が残る文。どんな魅力を持った女性として描かれていくのか、また大沢たかおさん演じる小田村伊之助(後の楫取素彦)との関係がどうなっていくのか、注目です。

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