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中日の大島、契約更改が難航 相手は「調停」の先輩、落合GM・・・

 中日の大島洋平外野手の契約更改交渉が注目を集めています。落合博満GM就任以降、初めて更改を保留。球団と折り合いがつかない場合に持ち込まれる「調停」の可能性も出てきました。実はその調停、日本人で初めて求めたのは落合GMでした。

2度目の交渉でも保留した大島選手(左)。立場変わった落合GM、実は日本人で初めて調停を求めた選手だった
2度目の交渉でも保留した大島選手(左)。立場変わった落合GM、実は日本人で初めて調停を求めた選手だった 出典: 朝日新聞

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 中日の大島洋平外野手の契約更改交渉が注目を集めています。落合博満GM就任以降、初めて更改を保留。球団と折り合いがつかない場合に持ち込まれる「調停」の可能性も出てきました。実はその調停、日本人で初めて求めたのは落合GMでした。

自己最高の成績なのに・・・

 大島選手は、打率はプロ5年目で最高の3割1分8厘で年間186安打もリーグ3位の成績。28盗塁はリーグ2位でした。しかし、9千万円の希望に対し、球団提示額は昨年より1775万円増の7400万円でした。

本塁打を放つ大島選手=2014年7月4日
本塁打を放つ大島選手=2014年7月4日
大島は1775万円増の7400万円の提示に「もう少し何とかして欲しいと伝えた」。今季186安打。2002年に福留が記録した球団のシーズン最多安打記録にも並び、打率3割1分8厘。昨季オフに減額制限いっぱいの25%減で契約を更改しただけに「調停でもいいぐらいの覚悟」。
落合GMで初、更改を保留 中日・大島と平田 プロ野球:朝日新聞デジタル

昨年は減額制限いっぱい受け入れる

 大島選手は昨年、野球協約で決められた減額制限いっぱいの25%減の5625万円を受け入れていました。今年は本人も納得する成績を残しただけに、球団の提示には納得できなかったようです。結果、落合博満GM就任以降、初めての更改保留となりました。

契約を保留し厳しい表情の中日大島(撮影・前岡正明)
契約を保留し厳しい表情の中日大島(撮影・前岡正明) 出典:オレ竜更改大荒れ 平田&大島が連続保留 - プロ野球ニュース : nikkansports.com
中日の契約更改交渉が22日あり、選手会長の大島と、今季4番も務めた平田が保留した。落合GMが就任した昨季以降、契約更改で保留する選手が出たのは初めて。
落合GMで初、更改を保留 中日・大島と平田 プロ野球:朝日新聞デジタル

日本人初の調停は落合GMだった

 選手の年俸を巡っては、過去にも調停に持ち込まれた事例があります。
 調停は、球団と選手の契約交渉がまとまらなかった場合、日本プロ野球組織(NPB)のコミッショナーに両者が申請。NPBの調停委員会が両者の希望を聴取し、調停額を示します。
 実は落合GMも選手時代に調停を経験しています。1990年のオフ、中日にいた落合GMは、2億7千万円を希望しましたが球団側は2億2千万円を提示。調停の結果、球団側の提示額通りの2億2千万円になりました。日本人選手として初の調停でした。ちなみに、日本人選手の「2億円プレーヤー」も初めてでした。

グラウンドに姿を見せた中日の落合GM=2014年2月1日
グラウンドに姿を見せた中日の落合GM=2014年2月1日
契約更改交渉が決裂、調停を申し立てていたプロ野球中日球団・落合博満内野手(37)の年俸について、吉国一郎コミッショナー、川島広守セ・リーグ、原野和夫パ・リーグ両会長の3者で構成する調停委員会は8日、東京・銀座の日本野球機構会議室で4回目の会議を開き、球団提示額と同額の2億2000万円の調停条件を出した。落合選手、中日球団は同日、これに従い、契約書にサイン。日本人初の調停事例として波紋を起こした今回の「年俸闘争」は決着し、日本人初の「2億円プレーヤー」が誕生した。
1991年3月9日:調停委、球団提示と同額裁定 プロ野球中日・落合選手(時時刻刻):朝日新聞紙面から

苦しい球団の台所事情

 契約更改では、球団の台所事情も関係してきます。落合GMの調停でも球団の経営状況が取り上げられました。その時の調停委員の1人である原野パ・リーグ会長は「ざっくばらんに言って、球団経営は赤字のところが多い。球団の経営が成り立たなければ、選手も困るでしょう」と発言しています。また、中日球団の伊藤代表は「経営状態から見て、実は2億円が精いっぱいなんです。球団提示の2億2000万円は本当はデッドラインを越えているんです」と訴えていました。
 今年、中日は2年連続のBクラスで観客動員も伸び悩みました。大島選手の契約更改でも、球団の経営状況が影響を与えている面は少なくありません。

ナゴヤドームのグラウンドにたたずむドアラ
ナゴヤドームのグラウンドにたたずむドアラ
午後4時から東京・銀座の野球機構会議室で40分間行われた吉国コミッショナーの記者会見。球団の提示額通りとなった裁定に、鋭い質問が飛び交った。「経営者側の言い分をとったのか」という問いに吉国コミッショナーはこう答えた。「調停委員会が独自に判断した結果、たまたま2億2000万円になったということです」。調停委員の1人である原野パ・リーグ会長は記者会見後、ぽつりと言った。「ざっくばらんに言って、球団経営は赤字のところが多い。球団の経営が成り立たなければ、選手も困るでしょう」
1991年3月9日:調停委、球団提示と同額裁定 プロ野球中日・落合選手(時時刻刻):朝日新聞紙面から

もの言う選手、FA権につながる

 落合GMの調停があった1990年オフの時代は、条件付きで移籍の自由を認めるフリーエージェント(FA)制度はありませんでした。しかし、落合GMのように自分たちの待遇について球団に意見をする選手が増え始め、1993年にはFAが導入されました。FA導入の背景には、同じ1993年に始まったサッカーJリーグの存在も大きかったと言われています。選手側は待遇改善のためストライキをする可能性もありました。開幕したばかりのJリーグにファンが流れてしまうのを防ぐため、FAが導入された面もありました。
 一方、FA導入は、資金力による戦力強化がしやすい制度にするため、当時の人気球団であった巨人・西武が球界に働きかけた結果とも言われています。

1993年5月15日に東京・国立競技場で行われたJリーグ開幕戦のヴ川崎―横浜マ
1993年5月15日に東京・国立競技場で行われたJリーグ開幕戦のヴ川崎―横浜マ
この大改革の背景を見ると、プロ野球経営者側がサッカーJリーグを「黒船の襲来」と意識し、青少年の野球離れで競技人口が減少するなど危機感を募らせたのも事実。選手会の「長期ストも辞さず」の圧力もあった。だが、真の理由は、巨人、西武の揺さぶりが発火点となり、その他の球団が“二強”の意向をくんで妥協した結果といえる。
1993年10月22日:FA導入とドラフト改革、野球ファンは喜べるか 人気球団の思惑先行:朝日新聞紙面から

年俸調停とは?

正式には「参稼報酬調停制度」。コミッショナーが申請を受理した場合、調停委員会が選手、球団からそれぞれの希望額と根拠を聴取し、30日以内に調停を終結させる。調停で決まった参稼報酬額には従わなければならない。選手が拒否した場合は任意引退選手となる。最近では11年に当時西武の涌井が申請。チームトップの14勝(8敗)で防御率3・67。現状維持の2億2000万円を提示した球団と4度の交渉でまとまらず、5年連続2桁勝利など実績に見合った評価を求めた。年俸調停委員会でのヒアリングなどを経て、3300万円増となる2億5300万円で決定した。
オレ竜更改大荒れ 平田&大島が連続保留 - プロ野球ニュース : nikkansports.com

■過去の調停の事例
1973年 マックファーデン(神)
900万円(本人希望額)

600万円(球団提示額)

600万円(調停額)

1991年 落合博満(中)
2億7000万円(本人希望額)

2億2000万円(球団提示額)

2億2000万円(調停額)

1993年 高木豊(横)
1億263万円(本人希望額)

9330万円(球団提示額)

9840万円(調停額)

1996年 野村貴仁(オ)
6500万円(本人希望額)

3900万円(球団提示額)

3900万円(調停額)

1998年 ソリアーノ(広)
2100万円(本人希望額)

580万円(球団提示額)

580万円(調停額)

2001年 下柳剛(日)
1億5000万円(本人希望額)

1億3750万円(球団提示額)

1億4000万円(調停額)

2011年 涌井秀章(西)
2億7000万円(本人希望額)

2億2000万円(球団提示額)

2億5300万円(調停額)

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