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黒川紀章建築事務所、東京地裁に民事再生手続き 業界に驚き
「黒川紀章建築都市設計事務所」(東京都港区赤坂)が15日、東京地裁に民事再生手続きを申し立てました。日本の建築界の名門の経営破綻に、驚きが広がっています。
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「黒川紀章建築都市設計事務所」(東京都港区赤坂)が15日、東京地裁に民事再生手続きを申し立てました。日本の建築界の名門の経営破綻に、驚きが広がっています。
黒川紀章建築都市設計事務所(東京都港区赤坂)が15日、東京地裁に民事再生手続きを申し立てました。同事務所によると、負債総額は12億円。日本の建築界の名門の経営破綻に、驚きが広がっています。
黒川事務所によると、「建築不況で受注案件が減り、財務状況が苦しくなった。設計料の回収ができない海外案件も発生し、資金繰りに行き詰まった。ご迷惑をおかけし申し訳ありません」としています。事業再生に向けて、建設大手の日本工営が支援する方針です。
現在の黒川事務所は、東京・上野の日本芸術院の「収蔵庫」など複数の案件を受注していますが、業務は継続するとしています。従業員は14人で、故・黒川紀章氏の長男・未来男氏が代表取締役を務めています。
同事務所は、世界的な建築家として知られた黒川紀章氏が設立しました。黒川氏は2007年10月12日に心不全のため73歳で死去していますが、数々の名建築を手がけました。東京・六本木の国立新美術館、カプセルを塔状に積み上げた中銀カプセルタワー(東京都中央区)、国立民族学博物館(大阪府吹田市)などで知られ、海外でもオランダのゴッホ美術館新館(98年)、クアラルンプール新国際空港(98年)などを手がけました。カザフスタンや中国で大規模な都市計画にも参画していました。
黒川氏は愛知県生まれで、京都大学建築学科を卒業後、東京大学大学院で故・丹下健三氏に学びました。大学院時代に、時代や用途に応じて建築を増殖させることを唱えた「メタボリズム(新陳代謝)・グループ」を結成、「共生の思想」に基づく作品を次々に発表していきました。98年に日本芸術院会員、06年に文化功労者。07年4月に都知事選に立候補しましたが、落選。7月の参院選でも立候補しましたが、落選しました。俳優の若尾文子さんは妻として黒川氏を支えました。
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