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徳大寺さん死去 会社倒産、本名隠し第一作 自分の車は自腹貫く

 徳大寺有恒さんが亡くなりました。辛口の評論が、多くの人に愛された徳大寺さん。実はペンネームで、代表作「間違いだらけのクルマ選び」が生まれたのは経営していた会社の倒産がきっかけでした。

徳大寺有恒さん
徳大寺有恒さん 出典: 朝日新聞

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 徳大寺有恒さんが亡くなりました。辛口の評論が、多くの人に愛された徳大寺さん。実はペンネームで、代表作「間違いだらけのクルマ選び」が生まれたのは経営していた会社の倒産がきっかけでした。

徳大寺さんが愛した名車「アストンマーチン・DB5」。映画「007」に登場したことでも有名
徳大寺さんが愛した名車「アストンマーチン・DB5」。映画「007」に登場したことでも有名 出典:ロイター

本名隠し自動車評論

 徳大寺さんの本名は杉江博愛(すぎえ・ひろよし)です。「間違いだらけのクルマ選び」を出版する際、自動車メーカーを敵に回して仕事がなくならないようにという、編集者の配慮でした。幕末の剣豪小説に登場する人物の中から「出来るだけ偉そうなペンネーム」にしたそうです。

徳大寺有恒さん
徳大寺有恒さん
「著者名をどうするかが問題でした。自動車会社を敵に回して、ライター杉江が食えなくなるとまずいから、出来るだけ偉そうなペンネームにしようと、僕が当時読んでいた幕末の剣豪小説に登場する名前から、徳大寺有恒に決めました」。
1999年9月27日:自動車評論家 徳大寺有恒:アエラ

原点に進駐軍のアメ車

 徳大寺さんは疎開していた水戸で終戦を迎えました。外車が見たくてよく東京に通いました。進駐軍のアメ車に憧れたこの体験が、自動車評論家の原点になりました。

疎開が長びいた水戸の中、高校生時代の休日、かっこいい外車が見たくて東京に通った。「すてきさで他と競うその世界をみて、ミーハーを極める、と決めた。いま言葉では差別化に生きる、だな」
1990年1月23日:徳大寺有恒さん クルマ評論家(現代人物誌):朝日新聞紙面から

倒産、極貧生活も

 経営していたカー用品会社が倒産してしまい、極貧生活になったこともありました。借金取りにきた日本刀を持った暴力団員に取り囲まれたことも。糖尿病を患い、入院中のベッドで書きためたのが「間違いだらけのクルマ選び」の原稿でした。

徳大寺有恒、島下泰久著『間違いだらけのクルマ選び2011年版』
徳大寺有恒、島下泰久著『間違いだらけのクルマ選び2011年版』
「当時、僕はもう自動車評論をやめようと思っていました。思うとおりに書けない、書いたものがちゃんと受け止めてもらえない、八方ふさがりでした。それで、書きたいだけ書いて終わりにしようと、入院中のベッドで書きためた原稿が五百枚ほどになっていました」
1999年9月27日:自動車評論家 徳大寺有恒:アエラ

車は自腹、高級車も自腹

徳大寺さんは、メーカーの提供を断り自分の車は自腹で買いました。50台以上の車を購入してきました。中にはロールスロイス、フェラーリ、ポルシェなど、超高級車もありました。

五十台あまり買った。その中には六台のロールスロイスとベントレー、四台のフェラーリ。三台のポルシェがある。今買おうとしているのがローバー75。メーカーの提供を断り、必ず自腹を切って買う。「だって、自分で買わないと、それが安いか高いか、分かんないもんね」。
1999年9月27日:自動車評論家 徳大寺有恒:アエラ
徳大寺有恒さんと愛用のパナマ帽=2001年6月12日、東京都千代田区三番町で
徳大寺有恒さんと愛用のパナマ帽=2001年6月12日、東京都千代田区三番町で

自動車を語ることで文明批評になった「間違いだらけのクルマ選び」。ベストセラーを出し続けた徳大寺さんは、自分の買う車についてこう述べていました。「もう欲しい車がなくなること、それが恐怖ですね」

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