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「千円札事件、法廷が展覧会」 前衛バカ、赤瀬川さんが拓いた地平

 赤瀬川原平さんが26日、亡くなりました。老人力をはじめ、様々な未知の領域に挑戦し続けた活動はまさに「前衛バカ」ともいえる人生でした。

老人力、路上観察学会など未知の領域を切り開いた赤瀬川原平さん=1992年8月
老人力、路上観察学会など未知の領域を切り開いた赤瀬川原平さん=1992年8月 出典: 朝日新聞

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 赤瀬川原平さんが26日、亡くなりました。老人力をはじめ、様々な未知の領域に挑戦し続けた活動はまさに「前衛バカ」ともいえる人生でした。

千円札事件

 本物とは何か、偽物とは何か、を問題提起したのが「千円札事件」でした。1963年に千円札を実物を同じ大きさに印刷した作品を発表し「通貨偽造」の罪で有罪になりました。法廷には仲間の芸術家が前衛的な芸術作品を持ち込むという前代未聞の裁判になりました。赤瀬川さんは「法廷が展覧会場みたいになって。痛快だった」と語っています。

赤瀬川原平さんによる、千円札を拡大模写した作品と梱包作品
赤瀬川原平さんによる、千円札を拡大模写した作品と梱包作品
六三年、千円札を原寸大に印刷した作品を発表。「通貨偽造」で有罪になる。裁判で、仲間たちの前衛作品を何十点も持ち込んで、芸術表現としての正当性を主張した。「法廷が展覧会場みたいになって。痛快だった」
1998年10月21日:赤瀬川原平さん 「老人力」の提唱者(ひと)[朝日新聞紙面から]

路上観察学会

 街角にある変わった建物や広告を観察し批評する「路上観察学会」を1986年に立ち上げました。中でも有名なのが、行き先のない階段です。階段をのぼってもあるのは壁だけ。なぜこんなことになったのか。風化した車止めの石も見方によっては「道より生える岩」という風情を感じる存在に。「路上観察学会」は、そんな手法で物本来の機能とは何か、思いを深めていきます。

都築響一さんは地方の「路上観察」を作品にした。《ハニベ巌窟院》(珍日本紀行)1994年 東京都写真美術館蔵 (c)Kyoichi Tsuzuki
都築響一さんは地方の「路上観察」を作品にした。《ハニベ巌窟院》(珍日本紀行)1994年 東京都写真美術館蔵 (c)Kyoichi Tsuzuki
よく見ると何の変哲もない風景。おかやま路上観察学会の会員が集めた岡山県内の超芸術「5月、09:17・岡山駅」
よく見ると何の変哲もない風景。おかやま路上観察学会の会員が集めた岡山県内の超芸術「5月、09:17・岡山駅」
壁に入り口?おかやま路上観察学会による写真「入り口閉鎖採集」
壁に入り口?おかやま路上観察学会による写真「入り口閉鎖採集」
86年に結成したんですが、まあ趣味の会みたいなものだもの。いや、子供が遠足に行くようなものかな。うちの家族も、「また、げらげら笑いにいくんでしょ」というんです。確かにみんなよく笑ってます。路上が続いたのは、笑えるからといってもいい。外からは俳句の座みたいだといわれますが、きっと昔、俳句が生まれたときはこんな感じだったんじゃないでしょうか。
2007年6月18日;(人生の贈りもの)画家・作家 赤瀬川原平:1 外国人も笑ってくれた[朝日新聞紙面から]

老人力

 「路上観察学会」の活動から生まれたのが「老人力」でした。「路上観察学会」の合宿で藤森照信さんが赤瀬川さんが物忘れをするのを突っ込んだことから、発想の転換で思いついたそうです。老人力ブームについて赤瀬川さんは「暗くない対し方がほしいという人々の気分にぴたりとはまったのかな」と語っていました。

赤瀬川原平著『老人力 全一冊』(ちくま文庫
赤瀬川原平著『老人力 全一冊』(ちくま文庫
ボケとか物忘れを「老人力がついた」と言い換え、価値観の転換をもくろんだ。成果は著書「老人力」(筑摩書房)と「老人力のふしぎ」(朝日新聞社)に詳しい。「骨とう品、わび、さびといわれるものは、みんな老人力がついたものなんですよ」
1998年10月21日:赤瀬川原平さん 「老人力」の提唱者(ひと)[朝日新聞紙面から]

おねしょ

 後年、おねしょで悩んでいたことを明かしています。修学旅行にも行けないほどコンプレックスになっていたそうです。そのため、何か一つ長所にしようと思い選んだのが絵でした。しかし、美術学校をめざしていた時は貧乏で苦労をしました。麻を買って、その上に膠(にかわ)を塗り、自分でキャンバスを作っていた時代もあったそうです。

強力なコンプレックスが一方にあると、長所が一つでもあれば「これだけは自分の領分」という気持ちになりますね。それが絵だった。絵だけは学校で褒められたり、写生大会で賞をもらったりもしてましたから、うれしくて一生懸命になったんだと思います。
2007年6月20日:(人生の贈りもの)画家・作家 赤瀬川原平:3 硬直路線はつまんない[朝日新聞紙面から]

実は芥川賞作家

 赤瀬川さんは「尾辻克彦」のペンネームで小説も書いています。そして「父が消えた」で芥川賞を受賞。父親の墓探しがテーマの重い内容でした。受賞まで2回候補になっていたため、「周りの雑音も高まる」時期だったそうです。そのため、早く受賞してしまおうと思い、今まで選んでなかった父親を主題にしました。このあたりの動機も、赤瀬川さんらしいエピソードです。

芥川賞を受賞した1981年時の赤瀬川源平(尾辻克彦)さん
芥川賞を受賞した1981年時の赤瀬川源平(尾辻克彦)さん
あの時は既に2回候補になっていて、周りの雑音も高まる。そこを通過するいちばんいい手は、取ることですね。虫が目に入ったとかではダメかなと。親父(おやじ)が死んだことにはまだ触れていなかったので、書いてみたんです。
2007年6月21日:(人生の贈りもの)画家・作家 赤瀬川原平:4 野生の力に欠けていた父[朝日新聞紙面から]

赤瀬川さんの死去には、ツイッターにも多くの著名人から哀悼の声が投稿されました。




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