話題
高橋大輔を育てた「3人の母」 実母、名コーチと、地元の恩師
高橋大輔さんは「3人の母」に育てられたと言われます。実母の清登さん、コーチの長光歌子さん。もう一人は、小学生だった高橋選手の才能を見いだした地元岡山のスケートクラブの指導者、佐々木美行さんです。
話題
高橋大輔さんは「3人の母」に育てられたと言われます。実母の清登さん、コーチの長光歌子さん。もう一人は、小学生だった高橋選手の才能を見いだした地元岡山のスケートクラブの指導者、佐々木美行さんです。
高橋大輔さんは「3人の母」に育てられたと言われます。実母の清登さん、コーチの長光歌子さん。もう一人は、小学生だった高橋選手の才能を見いだした地元岡山のスケートクラブの指導者、佐々木美行さんです。
実母の清登(きよと)さんは、お金のかかるフィギュアを弁当作りのアルバイトをして支えました。小学生のころ、1万円もするアイスショーを見せてあげたこともありました。その時、目を輝かせて帰ってきた高橋さんを見て、清登さんは「どんなに苦労してでもスケートをさせてあげたい」と心に決めたそうです。
もう1人、高橋さんの才能を見いだしたのが、地元の岡山のスケートクラブで指導した佐々木美行さんです。佐々木さんがいなけば、今の高橋大輔さんはいなかったといっても過言ではありません。
スケートを習い始めた小2の頃は泣き虫だったという高橋さん。頭角を現したのが小5の時でした。回転の速いスピン、エッジを利かせたステップ。佐々木さんは、高橋さんに積極的に声をかけ、スケートクラブのトップとして育て上げました。
高橋さんの才能を開花させたのが、中学2年から指導するコーチの長光歌子さんです。2004年の全日本選手権、スランプと故障で力が発揮できず6位に沈んだ時がありました。
長光さんは、スケート連盟に掛け合い、本来は出られないエキシビジョンに出演させます。高橋さんは特別扱いに反発しますが、長光さんは強引に滑らせます。「自由に動けた。滑るのって楽しい」。自分で振り付けた作品を滑った高橋さんは、自分にはスケートしかないと再確認したそうです。
日本男子にはない、音楽表現ができる高橋さんの才能を誰よりも知っていた長光さんならではの配慮でした。