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高橋大輔を育てた「3人の母」 実母、名コーチと、地元の恩師

 高橋大輔さんは「3人の母」に育てられたと言われます。実母の清登さん、コーチの長光歌子さん。もう一人は、小学生だった高橋選手の才能を見いだした地元岡山のスケートクラブの指導者、佐々木美行さんです。

長光歌子コーチ(左)らと抱き合って喜ぶ高橋大輔さん=2012年12月8日
長光歌子コーチ(左)らと抱き合って喜ぶ高橋大輔さん=2012年12月8日 出典: 朝日新聞

目次

 高橋大輔さんは「3人の母」に育てられたと言われます。実母の清登さん、コーチの長光歌子さん。もう一人は、小学生だった高橋選手の才能を見いだした地元岡山のスケートクラブの指導者、佐々木美行さんです。

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母・清登さん バイトしリンク代・遠征費を工面

 実母の清登(きよと)さんは、お金のかかるフィギュアを弁当作りのアルバイトをして支えました。小学生のころ、1万円もするアイスショーを見せてあげたこともありました。その時、目を輝かせて帰ってきた高橋さんを見て、清登さんは「どんなに苦労してでもスケートをさせてあげたい」と心に決めたそうです。

高橋大輔さんを母校で応援する母親の清登さん(中央)ら=2014年2月15日、岡山県倉敷市の倉敷翠松高校、筋野健太撮影
高橋大輔さんを母校で応援する母親の清登さん(中央)ら=2014年2月15日、岡山県倉敷市の倉敷翠松高校、筋野健太撮影

地元で指導・佐々木美行さん 小5の時に頭角、育て上げる

 もう1人、高橋さんの才能を見いだしたのが、地元の岡山のスケートクラブで指導した佐々木美行さんです。佐々木さんがいなけば、今の高橋大輔さんはいなかったといっても過言ではありません。

 スケートを習い始めた小2の頃は泣き虫だったという高橋さん。頭角を現したのが小5の時でした。回転の速いスピン、エッジを利かせたステップ。佐々木さんは、高橋さんに積極的に声をかけ、スケートクラブのトップとして育て上げました。

佐々木美行さん=2010年4月28日
佐々木美行さん=2010年4月28日
94年、小学2年の高橋選手が通い始めた。目がくりくりした恥ずかしがりやで、友達のランドセルを持たされて下校する泣き虫だった。頭角を現したのは小5の時。スピンの回転が速く、軸のしっかりしたジャンプを跳び、エッジを利かせたステップでひょいひょい滑った。
2010年5月24日:(人ひと)メダリスト育てた倉敷FSC監督 佐々木美行さん [朝日新聞紙面から]

コーチ・長光歌子さん 音楽表現、才能に確信

 高橋さんの才能を開花させたのが、中学2年から指導するコーチの長光歌子さんです。2004年の全日本選手権、スランプと故障で力が発揮できず6位に沈んだ時がありました。

 長光さんは、スケート連盟に掛け合い、本来は出られないエキシビジョンに出演させます。高橋さんは特別扱いに反発しますが、長光さんは強引に滑らせます。「自由に動けた。滑るのって楽しい」。自分で振り付けた作品を滑った高橋さんは、自分にはスケートしかないと再確認したそうです。

 日本男子にはない、音楽表現ができる高橋さんの才能を誰よりも知っていた長光さんならではの配慮でした。

高橋大輔さんと長光歌子コーチ=2005年10月21日、藤脇正真撮影
高橋大輔さんと長光歌子コーチ=2005年10月21日、藤脇正真撮影
長光も必死だった。最初の出会いから、これまでの日本男子にはない音楽表現ができる高橋の才能に気づいた。「誰もが持っているわけではないものが、彼にはある。いつか世界の表彰台に上れる。大輔がスケートをやめたら、わたしの責任。ねじ伏せてでも、出そうと思った」
2007年5月12日:(逆風満帆)フィギュアスケート・高橋大輔:中 厚かったシニアの壁 [朝日新聞紙面から]
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