話題
マララさん タリバーン支配を偽名で発信 ブログ終了間際に本名公表
ノーベル平和賞に決まったマララさん。2009年1月、タリバーン支配下の地域からブログで厳しい生活の様子を、決死の覚悟で発信しました。
話題
ノーベル平和賞に決まったマララさん。2009年1月、タリバーン支配下の地域からブログで厳しい生活の様子を、決死の覚悟で発信しました。
ノーベル平和賞に決まったマララさんは、2009年1月、タリバーン支配下の地域からブログで厳しい生活の様子を、決死の覚悟で発信しました。
教員一家に生まれたマララさんは、早くから英語を習うなど、教育熱心な家庭で育ちました。親戚の子ども相手の英語のスピーチの練習ではからかわれてもお構いなしで熱弁をふるうなど、当時から、意思の強さを感じさせるエピソードが伝わっています。
マララさんの生活は2007年、暗転します。反政府武装勢力タリバーンがスワート渓谷一帯を支配下に置きました。その時、標的にされたのが女子教育でした。
そんな厳しい生活をマララさんは、ブログで発信します。マララさんがパキスタンの公用語ウルドゥー語で書いた日記を毎晩、BBCの記者が電話で聞き取り、BBCのウルドゥー語のブログに掲載しました。その際、安全のため「グルマカイ(トウモロコシの粉)」というペンネームを使いました。年齢も実際より2つ上の13歳にしました。
ブログの終わりが近づいた2009年2月、州都ペシャワルの集会で、当時11歳のマララさんは言い放ちました。「私の名はグルマカイではありません。マララ・ユスフザイ。他の誰でもない」。マララさんは、少女たちの教育の権利を訴え続けました。しかし2012年10月、タリバーンの銃弾がマララさんの頭を貫き、意識不明になります。
イギリスでの治療を受けたマララさんは奇跡的に回復。2013年7月には国連でも演説をし、世界中から共感を呼びました。2013年11月には人権や表現の自由を守る活動をたたえる「サハロフ賞」も受賞しました。
マララ・ユスフザイさん
パキスタンの女子学生。女子が教育を受ける権利をブログなどで訴えていた。12年10月、下校中に武装勢力に襲われ、頭を銃で撃たれた。反政府武装勢力パキスタン・タリバーン運動(TTP)が犯行を認めた。英国の病院に搬送され、損傷した頭蓋骨(ずがいこつ)の修復手術などを受け、奇跡的に回復。支援の輪が世界中に広がり、今年のノーベル平和賞の有力候補に。TTPは再襲撃を予告しており、現在は英バーミンガムの学校に通っている。