話題
ノーベル賞の赤崎勇氏、不可能だった「青色LED」実現した逆転方法
ノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇・名城大教授。不可能を可能にした「逆転の秘訣(ひけつ)」はなんだったのか。
話題
ノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇・名城大教授。不可能を可能にした「逆転の秘訣(ひけつ)」はなんだったのか。
《青色発光ダイオード(LED)の研究に使命感を持っていた。》
中学のころは戦時中で、パイロットになろうと思ったこともありましたが、やはり大学に進みました。戦後は日本の産業に貢献したいという思いがありました。昔から、試験でも一番難しい問題から取り組む性分。実用化の見通しが全くない青色LEDこそ自分のやるべき仕事だと思いました。
《LEDを作るには、半導体に不純物を入れて電気的にプラスの性質にしたp型の結晶が必要だが、当時、窒化ガリウムではp型はできないという理論があった。》
何かができないという現象があると、どうしてできないかをもっともらしく説明する理論家がいるんです。しかし、その理論の元になった数値は、不純物や欠陥の多い結晶を測ったものでした。ほかの材料で、結晶の純度と品質を上げると性質が劇的に変わった経験がありました。窒化ガリウムも、とことんきれいな結晶にすればp型にできると思ったんです。
《品質の低い結晶を毎日顕微鏡で眺めていると、ごく小さい、きれいな部分を見つけた。》
ここから自信に変わったんです。小さくても存在するということは、可能性は「ない」ではなく「ある」なんですね。これを全体に広げようと、結晶成長という学問の原点に戻り、ゼロから新しい方法に取り組みました。
《2011年、米電気電子学会から日本人で2人目となるエジソン賞を受けた。紹介文には「あきらめない研究者(パーシステント・リサーチャー)」と書かれていた。》
「ここまでいきゃあいいんじゃないか」「この辺が限界ではないか」「いまさら原点に戻るのか」。そこそこの成果を得たのにやり直して続けることに、いろんな声がありました。私の前でははっきりと言いませんけど。でも、私は「ここが始まりだ」と思った。それが分かれ目ですね。
《消費電力の少ない照明として急速に普及している発光ダイオード(LED)。青色のLEDは、赤や黄に比べて作るのが難しく、不可能とさえ言われていた。名古屋大教授だった1989年、その青色LEDを、ほとんどの研究者があきらめた窒化ガリウムという半導体を使って初めて作った。》
窒化ガリウムは、青色LEDの材料の候補のなかでも、結晶を作るのが難しいものでした。ガス状の原料を、サファイアの基板の上に降り積もらせ、1千度ほどの高温で結晶化します。ところが、サファイアと窒化ガリウムは、結晶の中の原子の間隔を表す格子定数が16%も違うんです。その差は1%でも結晶はうまくできません。木に竹を接ぐようなものです。
本命視されていた別の材料の方が作りやすいのですが、その結晶は軟らかかった。一般消費者向けの製品は長時間安定に動作するタフな材料でなければなりません。窒化ガリウムはダイヤモンドと同じぐらい硬い。加工は非常に難しい。でも、できてしまえば極めて丈夫なはずだと考えました。
《硬い基板と硬い窒化ガリウムの間に、軟らかく薄い層を緩衝材(バッファー)として入れる、というアイデアが突破口になった。》
材料は窒化アルミニウムを選びました。軟らかい層にするため、通常の温度の半分にあたる約500度で作るよう、名古屋大の研究室の大学院生だった天野浩君(現・名古屋大教授)に伝えました。
でも、彼はすぐには試しませんでした。彼なりのこだわりがあったのでしょう。こんな温度では結晶になりませんから。ところが、あるとき電気炉の調子が悪く、温度が上がらなかった。これでうまくいったんです。低温でできた層の上に、通常の1千度で窒化ガリウムを成長させると、きれいな結晶ができた。あまりに無色透明だったので、材料を流し忘れたと思ったそうです。85年のことです。
《この「低温バッファー層」の技術は、窒化ガリウムの青色LEDやレーザーなどの製品になくてはならないものになった。》
海外では「セレンディピティ」(偶然の重要な発見)と紹介されたこともありますが、結晶をとことんきれいにするという半導体づくりの王道を貫いた結果なのだから、偶然ではなく、むしろ「必然の発見」だったのではないでしょうか。
《自己PRが苦手で、自らをグローバル化時代の劣等生という。それでも、招待講演など海外で多くの活動を続けてきた。》
生まれ育った鹿児島では、だれから言われるでもなく「沈黙は金 雄弁は銀」という雰囲気があって、自然に身についていました。自分がやってきたことを話す講演は何とかできますが、英語のプレゼンテーションやディベートは今でも苦手です。引っ張り出されるたびに冷や冷やしています。
ただ、こちらがうまく話せなくても、向こうがこちらの内容を聞きたいもんだから、何回も尋ねてくるんです。ほとんどそれでくぐり抜けてきたんじゃないかな。
《語学力よりも語るべき内容が重要だと考えている。》
語学力は国際化の一つの要素ですが、話す中身がなければ何にもなりません。最近、学校で英語の授業を増やそうとしているでしょう。でも、日本人はもっと国語をちゃんとやらないといけない。今はきれいな文章を書く学生が少ないですよ。
まず日本の文化を理解していないと。自分のアイデンティティーがしっかりしていなければ、グローバル化に対応できるとは思えません。
《若い研究者には「横並びのことをやるな」と指導する。》
文部科学省の研究費の審査員を長く務めましたが、かつては審査の質問項目で「この研究は他にどこでやっているか」というのがありました。「これはナンセンスだ」と言いました。昔の大学は横並びが多かった。国もはやりの研究に予算を付けたがったんです。
今はだいぶ変わったと思います。若い人には「流行に乗らず、自分が本当に好きなことをやりなさい」と言いたい。新しい研究に100%の自信や成功はありません。でも、本当に好きなことなら、なかなか結果が出なくてもあきらめずに続けることができますから。
(あかさき・いさむ)
1929年、鹿児島県生まれ。京都大理学部卒。松下電器産業半導体部長、名古屋大教授などを経て92年から名城大教授。2009年に京都賞受賞。