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「マッサン」のモデル、竹鶴夫婦の愛 リタ、石投げられた時代も

朝ドラ「マッサン」の主人公エリーのモデル竹鶴政孝さんとリタさんはどんな夫婦だったのか。二人の出会いや、リタさんの日本での奮闘ぶりをご紹介します。

結婚直後の竹鶴政孝・リタ夫妻(1920年ごろ)=ニッカウヰスキー提供
結婚直後の竹鶴政孝・リタ夫妻(1920年ごろ)=ニッカウヰスキー提供

目次

結婚、「私もその夢を手伝いたい」

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 二人の出会いはスコットランドだった。竹鶴政孝は広島県の造り酒屋の三男として生まれ、大阪高等工業学校(現在の大阪大工学部)の醸造科を出て大阪の摂津酒造に就職。ウイスキーの製法を学ぶため英国・スコットランドに派遣されていた。

 グラスゴー大学に籍を置いていた政孝は、柔道を教えるため、ある少年の家に招かれ、その姉リタ(本名ジェシー・ロベルタ・カウン)と出会った。その頃、彼女は第一次大戦で婚約者を亡くし、同大の経済学科に通っていた。政孝はリタに求婚。「あなたが望むなら、日本に帰るのを断念して、この国で職を探してもいい」という政孝に、リタはこたえた。「私たちは日本へ向かうべきです。日本で本当のウイスキーを造ること。私もその夢を手伝いたい」。

もう四十年も前の話だ。スコットランド、グラスゴーの町で、あるパーティー帰りのわたしは連れの英国女性にいきなりプロポーズした。
朝日新聞1959年7月26日「竹鶴政孝 『ウイスキーと女房』」
双方の家族の反対を押し切り、1920(大正9)年1月、正式な教会ではなく登記所で式を挙げると、政孝は新妻をつれて実習に向かった。
朝日新聞朝刊be2006年10月21日「(愛の旅人)ニッカウヰスキー 竹鶴政孝とリタ 夫の夢を異国で支え」

ふたりが1921年に帰国すると日本は不況だった。摂津酒造に本格ウイスキー造りに取り組む余裕はなく、政孝は退社。中学で化学を教え、リタも英語やピアノを教えて稼いだ。政孝は23年、本格ウイスキー製造を目指す寿屋(現サントリー)に請われて入社、大阪・京都境の山崎に日本初のウイスキー蒸溜所を建てた。

 だが、ウイスキーはなかなか売れず、政孝は寿屋を出た後、34年に大日本果汁を北海道・余市に設立。リンゴジュースなどの販売でしのぎ、ウイスキーの開発にあたった。

製品を見る竹鶴政孝さん
製品を見る竹鶴政孝さん 出典: 朝日新聞

日本人になりきった、でも石を投げられた時代も

 「リタほど日本人になりきった外国人も少ないと思う」と政孝が語るように、リタはプロの主婦として、家族と、家族を支える仕事に愛情と誇りを持ち、楽しく義務を果たしていたようだ。

 高熱を出しても、「私の仕事です」と台所に立った。トウモロコシをゆでるときは湯をわかしてから畑でもぎ、たくあんは食べる直前にたるから出した。温かい昼食を綿を入れた布で包み、工場へ届けたという。政孝が留守の時にはいそいそと洋食を作るといった「息抜き」もしつつ、普段は日本風に夫をたて、尽くした。それにこたえるように典型的日本男児であった政孝も、リタの誕生日には愛の言葉を添えた本などを贈り、夜はともにウイスキーを楽しんだという。

リタが漬けた梅干しが、つぼにまだ残っている=北海道余市町で
リタが漬けた梅干しが、つぼにまだ残っている=北海道余市町で 出典: 朝日新聞

第2次大戦が始まると、町に出たリタは石を投げられることもあった。特高警察につけられ、ラジオのアンテナは暗号発信器と疑われた。戦後、息子の妻である歌子さんに「戦争中は、鼻を低くして髪を黒く染めたいと思ったのよ」ともらしたという。

故竹鶴政孝さんが住んでいた「旧竹鶴邸」。現在は資料館として一部利用されている=登録有形文化財
故竹鶴政孝さんが住んでいた「旧竹鶴邸」。現在は資料館として一部利用されている=登録有形文化財 出典: 朝日新聞

お気に入りだった余市の風景

 しかしスコットランドによく似た北海道・余市の風景を、リタは気に入っていた。余市川にかかる田川橋の上で、足をとめ、そこから見える夕映えのなだらかな山並みとフゴッペ海岸をうっとりと眺めていたという。

 晩年、リタは肝臓や肺を病み、政孝がよく滞在する東京に近く、治療にも便利な神奈川・逗子で過ごすことが多くなったが、1960年秋には、どうしても帰りたいと余市へ戻った。クリスマス前夜、窓の外では、リタを思い近所の教会の信者たちが賛美歌を歌ったという。

スコットランドの風景に似ていると、リタがよく散歩したフゴッペ海岸=北海道余市町で
スコットランドの風景に似ていると、リタがよく散歩したフゴッペ海岸=北海道余市町で 出典: 朝日新聞

 1961年1月17日、リタが亡くなると、政孝は自室にこもり、涙に暮れた。葬儀の相談にも出てこなかった。葬儀が終わり、玄関を出ようとしたひつぎを政孝は何度も何度もなでたという。
 余市にこだわった二人は、今もウイスキー蒸留所を臨む余市の地に共に眠っている。

蒸留所を見渡す山の上にある、竹鶴とリタが眠る墓
蒸留所を見渡す山の上にある、竹鶴とリタが眠る墓 出典: 朝日新聞

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