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さだまさしの歌からは想像できない 爆竹炸裂、過激な長崎の精霊流し

みなさん、今年は田舎に帰りましたか?お盆の長崎の伝統行事「精霊流し」は、さだまさしさんの歌のイメージと違い、とても賑やかな行事です。「あまり知らない」という方には意外と思える動画をごらんください。

故人の魂を乗せた精霊船を引き坂を上る人たち=8月15日午後7時27分、長崎市、福岡亜純撮影
故人の魂を乗せた精霊船を引き坂を上る人たち=8月15日午後7時27分、長崎市、福岡亜純撮影 出典: 朝日新聞デジタル 爆竹、歓声…にぎやかに亡き人送る 長崎・精霊流し

目次

爆竹を箱ごとバンバン 耳栓必須

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 みなさん、今年は田舎に帰りましたか?筆者の郷里、お盆の長崎の伝統行事「精霊流し」は、さだまさしさんの歌のイメージと違い、とても賑やかな行事です。「あまり知らない」という方には意外と思える動画をごらんください。(写真・動画はすべて朝日新聞から)

長崎のお盆の風物詩、精霊流し=菅野みゆき撮影 出典: 朝日新聞デジタル 爆竹、歓声…にぎやかに亡き人送る 長崎・精霊流し

  「 ちゃんこんちゃんこん」と鐘を鳴らし「どーい、どい」というかけ声をかけながら、精霊船をひいて(押して)いきます。周囲を歩く人たちは爆竹を鳴らし続けます。いちいちほぐしたりしません。手に持った束に火をつけ、「バババババーーーー!」と鳴らします。導火線を真ん中によせて、箱ごと鳴らすことも。
 耳に綿を詰めていますが、終わって外してもしばらく耳鳴りがしてるような感覚。コンビニのレジには観客用に耳栓が売ってあったりもします。

多くの精霊船が通った県庁坂は、たくさんの爆竹のごみで埋めつくされていた=2012年8月15日午後10時7分、長崎市江戸町
多くの精霊船が通った県庁坂は、たくさんの爆竹のごみで埋めつくされていた=2012年8月15日午後10時7分、長崎市江戸町

 精霊船が通った後の道路には、爆竹のかすが雪のように積もります。

精霊流しの終了直後から路上に散らばった爆竹を片付ける人たち=2012年8月15日午後11時30分、長崎市浜町
精霊流しの終了直後から路上に散らばった爆竹を片付ける人たち=2012年8月15日午後11時30分、長崎市浜町

 みんなでお掃除。

さださんの歌 なぜもの悲しいの?

 ではなぜ、さださん(当時グレープ)の歌はあんなにもの悲しいのでしょう。歌い出しの「去年のあなたの想い出が~」のあなたとは、さださんの同い年のいとこ。21歳で海の事故で亡くなりました。「精霊流し」は、その死をうたった歌なのです。さださんの歌「椎の実のママへ」でも「僕は彼の為に唄を作った」という詞に続き、精霊流しのイントロが流れます。

故人の魂を乗せた精霊船を引き坂を上る人たち=8月15日午後7時27分、長崎市、福岡亜純撮影
故人の魂を乗せた精霊船を引き坂を上る人たち=8月15日午後7時27分、長崎市、福岡亜純撮影 出典:朝日新聞デジタル 爆竹、歓声…にぎやかに亡き人送る 長崎・精霊流し
  【魚住ゆかり】73年8月15日、(さださんのいとこ)兼人さんの精霊流しが行われた。さださんはこの日のことについて「生まれて初めて精霊流しの日に長崎にいなかったんです。(東京で)「雪の朝」(デビュー曲)の録音があって」と明かした。グレープの「精霊流し」は、さださんが兼人さんの魂を乗せて送り出した「舟」だった。
 「スケールの大きい歌だが内容が暗すぎないか」。さださんの詞に魅了され、その後、編曲家としてさださんを支える道を選ぶ渡辺俊幸さん(57)は、同じ事務所の仲間として、不安を覚えた。
 だが、この命の歌は、深夜にひとりラジオに耳を傾けていた多くの若者の心に響いた。名古屋で爆発的に売れているという評判は、各地のラジオ局に伝わっていった。少しずつ灯がともるように。
朝日新聞 (うたの旅人)40年間愛されてきた歌手人生の原点「精霊流し」 命つたえる

 歌の「精霊流し」は、女性が亡くなった恋人を精霊船で送り出す初盆の情景。もの悲しいのはそのためです。何も知らない小さな弟が「お祭り」気分ではしゃぎまわるなか、華やかに精霊流しが行われる様が描かれています。
 明るく、うるさいほど賑やかなのですが、そこには1年間で亡くなった人を弔うリアルさもあります。地元TVでは夜中に録画中継番組があり、次々と通りをひかれる船を映しながら、1年間の故人や出来事を振り返ったりもしています。

家族や地域の人たちに引かれた精霊船が街中を練り歩いた=2013年8月15日、長崎市
家族や地域の人たちに引かれた精霊船が街中を練り歩いた=2013年8月15日、長崎市

 病院の船には、その病院で1年間にお亡くなりになった方々への想いも込められています。

凶弾に倒れた現場付近を通過する伊藤一長・前長崎市長の精霊船=2007年8月15日午後3時33分、長崎市大黒町で、長沢幹城撮影
凶弾に倒れた現場付近を通過する伊藤一長・前長崎市長の精霊船=2007年8月15日午後3時33分、長崎市大黒町で、長沢幹城撮影

 2007年4月に銃撃事件で犠牲になった伊藤一長・前長崎市長を送る精霊船。

海沿いの道を、小川さんの精霊船が練り歩いた=2013年8月15日、長崎市香焼町
海沿いの道を、小川さんの精霊船が練り歩いた=2013年8月15日、長崎市香焼町

 2013年5月に亡くなった全国被爆体験者協議会長の小川博文さんを送る精霊船。

お墓で花火をする風習も

 故人を賑やかに送り、迎える長崎では、夏の夜にお墓に行って花火をする風習もあります。明るさと寂しさが同居する、長崎のお盆の話でした。

  【寿柳聡】 「お盆はお墓で花火だよね」。長崎県諫早市出身の私が、子どものころの思い出を他県出身者に話すと、まず驚かれる。線香花火などでなく、矢火矢(ロケット花火)や爆竹が主役というと、信じてもらえないばかりか、時に罰当たり呼ばわりも。この際、お墨付きをもらおうと、長崎歴史文化博物館に確認した。
 「確かに、長崎ではお盆の時期、お墓で花火をします」と担当者。だが、続く言葉に今度は私が驚かされた。
 「長崎市内では花火をしたり、家族でご飯を食べたりします」
 私はご飯までは食べたことがなかった。江戸時代の記録にも残る風習という。当時は芸者をあげ騒いだ豪商もいたらしい。なんと罰当たりな。
 罰当たりかはともかく、夏場ゆえに食あたりが頻発し、墓での飲食を禁じるお触れが出たこともあったそうだ。
朝日新聞 偏西風「お墓で花火」

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