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最強チームの作り方 夏制覇の大阪桐蔭・西谷監督の気配りメソッド
どうすれば「最強のチーム」が作れるのか?今夏の甲子園で、大阪桐蔭を優勝に導いた西谷浩一監督。甲子園には春夏10回出場して4回優勝しており、「優勝確率」は4割。その指導法のコツはコワモテ?な風貌ではなく、こまやかな気配りにありました。

今夏の甲子園で大阪桐蔭を2年ぶり4度目の優勝に導いた、西谷浩一監督(44)。1998年に就任すると、大阪桐蔭を甲子園の常連校に育て上げ、2008年夏には全国制覇を成し遂げました。甲子園には監督として春夏で10回出場し、うち4回は優勝。“優勝確率4割”のすごすぎる監督として、日本中で有名になりました。
一方、今年は大阪桐蔭の快進撃と共に、その風貌も注目されました。ツイッターでは、「監督の目がガチ」「いつ見ても怖い」といったつぶやきも。
しかし、多くの名選手を育てた西谷監督の指導法は、“コワモテ”からは想像しにくい、こまやかな気配りにあるようです。「最強チーム」を育てるノウハウを過去のエピソードから探りました。
過去の名監督に並ぶ戦績
「コワモテ」で一躍注目
さらに今年は、大阪桐蔭の快進撃と共に、そのコワモテ?な風貌も注目されたようです。
大阪桐蔭の、監督の目がガチだ。怖い。
— あすぴん@8/26 HOT SQUALL (@asuchaaa0) 2014, 8月 21
いつ見ても怖い大阪桐蔭西谷監督
— そーへ、八月末日のハマスタへ (@remsasok) 2014, 8月 25
しかし、その指導法のコツは、コワモテからは想像しにくい、こまやかな気配りでした。
強豪チームを育てるノウハウを、その性格が垣間見られるエピソードから探ります。
原点は自らのブルペン捕手時代
小6の時に全国制覇した報徳学園にあこがれて入学した。
だが、最後の夏は後輩の暴力事件で出場辞退。
1浪して進んだ関西大で主将の捕手となったが、肩の故障で満足に試合に出られなかった。
この時、野球はレギュラー以外も含め全員でやるものだと気づく。
大阪桐蔭の前監督が大学の先輩だった縁で93年にコーチ就任。

高3の夏は下級生の暴力事件で出場辞退し、紅白戦が引退試合だった。
主将を務めた関西大では肩を痛めて試合に出られず、対戦校のデータ分析など裏方に徹した。
この夏は選手の自主性を重視
58人の部員一人一人とやりとりする「野球ノート」に加え、チーム作りについて主将、副主将と意見交換するノートも作った。
タイトルは「日本一への準備」。自分にプレッシャーをかけようと「日本一」と何度も口にした。
「受け身のチームは勝てない」とミーティングは選手の自主性に任せた。

激しい打撃戦も制する。
チームは甲子園で様々な勝ち方を見せた。
「選手たちは私の見えないところで結束して努力し、まとまっていった。終わった瞬間、それに気づきました」
メンバー以外も巻き込んで一丸に
1年生を上級生の実戦練習に加える。
指導者が尻をたたかずとも先輩の背中を見て練習する姿勢が部の伝統になった。

「彼が一番大変だったと思うから」。
メンバー外の部員を思いやる姿勢は、頂点に立っても変わらなかった。
こまやかな目配りで、やる気を引き出す
練習後も午後10時半まで寮に残って相談に付き合ってきた。
「チームのために」と、メンバー外の3年生がすすんで他チームの偵察に向かい、撮影したビデオは試合対策の一助になった。

今大会の1、2回戦で無安打だった7番打者の佐野力也選手(2年)を呼び、「これで打てるようになるで」と左ひじに5センチ四方のテープを張った。
何の効果もない冗談で表情が緩んだ佐野選手を翌日、2番に起用。
4安打の活躍を引き出した。

試合後、宿舎を訪ねた彼に約束を果たすと、大きく息を吐いた。

開幕前は、大会参加の全校に気配り
大阪大会は全国有数の激戦区なので、全校がベストな状態で戦えることが一番。
セルフコントロールを大切にしたい。