感動
【甲子園閉幕】テレビ中継には映らない裏ドラマ 3つのストーリー
大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた夏の甲子園。正選手以外の球児たちにも、隠れたドラマがありました。

熱戦を終え、大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた夏の甲子園。
正選手以外にも、試合中継に映らないドラマがありました。
球児3人のストーリーをご紹介します。
東海大甲府(山梨)の補助員、深沢亮祐君
母さんの弟が東海大甲府のエースで、甲子園でも活躍した。叔父さんに憧れて入学すると、全国から集まった仲間たちのレベルは想像以上だった。しかも僕はちっちゃい。
それなら、誰よりも練習するしかない。朝の自主練習を7時25分から始めた。夜は10時半まで居残った。いつも最初に来て、最後に帰った。130人の部員の中で、一番長く練習した。

でも最後の夏、山梨大会のベンチに入れなかった。春は入ってたのに……。
母さんに言うのは、つらかった。宝石の営業マンで年間300日も出張する父さんに代わり、幼い頃から野球の練習を手伝ってくれた。僕のために早朝から弁当を作り、夕食を用意して僕の帰りを待って、深夜の洗濯。それなのに。

僕は、メンバーから漏れてからも、練習をやりきったよ。声を一番大きく出すのもやめなかった。あきらめない姿を、母さんに見せたかったから。
明日から夏休み。大学でも野球をやりたいから、練習は続ける。母さん、昔みたいにトスバッティング付き合ってね。(木村健一)

開星(島根)の記録員、安藤拓海君
少し潤んでいた左目は、ほとんど見えない。生まれつき、左目の視力は0・05程度。弱視だ。それでもずっとピッチャーでやってきた。ボールへの恐怖に襲われるまでは。
昨年の秋。キャッチボールで距離感がつかめず、球がおでこを直撃した。毎週のように顔にぶつけるようになった。もしピッチャーライナーが飛んできたら……。恐ろしくなった。

1学年上のマネジャーの言葉を思い出した。「裏方だし、きつい仕事もあるけど、それだけの達成感もある」。先輩はいつも笑顔で仕事をしていた。カッコよかった。あんな人になりたいと思った。今春、マネジャーに志願した。
みんなの散らかした用具をキレイに並べる。ひとり最後まで残って、事務作業をした。時間があればピッチャーのフォームを見てあげた。みんなが「安藤を甲子園に連れて行く」と言ってくれるようになった。記録員としてベンチに入り、みんなと同じユニホームで、スコアをつけた。

次のステージは、くっきり見えている。(橋本佳奈)

八頭(鳥取)のボールボーイ、竹本敦仁君
鳥取県若桜町でともに育った。小4のとき、近所の中尾が少年野球を始めると聞いて、ついていった。肩が強いことをほめられ、すぐにのめり込んだ。
それから中尾は、仲間でありライバル。中学時代は足腰を鍛えるために距離スキーもやった。二人そろって全国大会にも出た。

最後の夏を前に中尾から声がかかった。「自主練習しよう」。交互にバドミントンの羽根をトスして、毎晩1時間、必死で打った。2週間続けたが、やはり背番号は遠かった。

しかも中尾は、3人の好きな色の糸で作ったミサンガをグラブにつけ、甲子園をつかみとってくれた。その舞台で堂々とプレーする姿はまぶしかった。
「あいつのおかげでここまでこられた」。感謝するばかりじゃダメだ。俺もしっかりしないと。(勝見壮史)
