連載
#35 親子でつくるミルクスタンド
いまだに断水、余り続けるミルクも… 能登半島地震から半年の酪農界
廃業を決めた牧場も
能登半島地震から半年が経ちましたが、復興はまだまだ進んでいません。甚大な被害を受けた能登の牧場を訪れると、水道が使えなかったり被害を受けた建物がそのままだったり……。いまだに搾ったミルクの一部を泣く泣く廃棄しているという牧場も。被災地の酪農界には厳しい現状があります。(木村充慶)
能登半島地震から半年を前に、6月下旬、能登半島地震の被災エリアを訪ねました。
火事で延焼した輪島市の朝市通りは今も瓦礫が山のように積もった状態です。
現地の支援団体の人たちに聞くと「能登は復興どころか建物の復旧も進んでいない。1月1日のままだ」と指摘していました。
私は被災直後から珠洲市・能登町・穴水町にある牧場を訪れていました。
震災前、奥能登(七尾、志賀、穴水、能登、珠洲)には牧場が16戸が運営していましたが、今回の地震の影響で新たに2戸が廃業を決断したといいます。
全国的に酪農は高齢化が問題となっていますが、能登には若い酪農家がたくさんいました。しかし、今回の災害を受けて若い酪農家も廃業を考えているようです。
ここ数年、酪農業界はウクライナ危機や円安の影響で、牛のエサである穀物や燃料が高騰し、多くの牧場で赤字経営が続いていました。
そのような状況で被災し、かつ今後も地震が起きるかもしれないといわれるなか、牧場を続けられないと判断するのもよく理解できます。
しかし、この地から若い酪農家がいなくなってしまうのは残念でなりません。
能登町にある西出牧場は、被災直後は断水したり、井戸水のポンプが使えなくなったりして甚大な被害が出ました。
牛の飲み水や、牛舎や搾乳機器の洗浄用に大量の水が必要なため、一部は近くの川に取りに行きましたが、洗浄用の真水が確保できませんでした。
水道は4月中旬ごろに通水しましたが、建物の復旧はまだまだです。
建物が傾いたり、基礎が割れたり、屋根が落ちたり……。
放牧地には1メートル超の深さの亀裂が、数百メートルにわたって入ってしまっています。
復旧の費用は国、石川県、市町村から合わせて9割の補助が確定しているといいますが、復旧にはまだ課題はあるといいます。
「今までと同規模で再建する場合には9割の補助を受けられるのですが、機能向上を伴うものや、畜舎の規模拡大をすると補助金は5割になってしまいます。現状では増産へのやる気を削がれるような状況であり、離農する農家の分までがんばろうとしても、自己負担分が重くのしかかってくるので厳しい現実です」
今回の地震で特に大きな被害があった珠洲の「松田牧場」では、被災直後もミルクをしぼり続けていました。
牛はミルクを出し続けなければ乳房炎という病気になってしまうからです。
しかし、牛乳を集める集乳車が引き取りに来られず、松田徹郎さんはやむを得ずすべてのミルクを捨てていた悔しさを語ります。
「牛たちにエサを与え、ミルクを一生懸命しぼっているのに捨てなければいけませんでした。なんのためにやっているのかわからなくなりました」
集乳車は1ヶ月後には来てもらえるようになりましたが、水道は現在も断水したままです。
そのため、被災後に急遽購入したトラックで何度も湧き水を汲みに行き、牛の飲み水として毎日6トン以上の水を確保している状態です。
ただでさえ大変な牧場運営がある中で、毎日水を取りに行くのは骨の折れる作業だといいます。
松田牧場は、4つの牛舎のうち2つに大きな被害が出ました。建物が大きく傾き、いまにも崩れそうになったため、当時は緊急措置として牛を牛舎の外に出していました。
しかし、牛舎の復旧を進めようにも修理できる施工会社が忙しく、見込みが立たないまま。まずは個人の住宅の復旧が優先されるためです。
そのため、倒壊しそうな牛舎に、支えとなる木材を応急処置的につけて、牛たちを中に入れています。しかし建物は傾いたままで、もう一度地震が起きたらすぐに倒壊しそうな状況です。
被災後から休まず牧場を運営してきた松田さんは「被災してひどい牧場になってしまいましたが、創造的な復興に向けて街の癒しの場所になりたい」と語ります。
現在、クラウドファンディングを実施しながら、まずは牛舎の復旧を進めようとしています。
同じく珠洲には今回の地震で一番被害が大きかったとされる牧場があります。牛舎のほとんどが倒壊し、牛たちの多くが即死してしまったといいます。
一部の牛はなんとか一命はとりとめましたが、多くは柱や梁などに挟まって動けなくなってしまいました。
被災直後、筆者は松田さんと牧場主の許可をとって訪れましたが、助けたくてもどうしようもありませんでした。
崩壊しなかった牛舎の一部にいた親子の牛2頭は助け出せる状態で見つかり、松田牧場の松田さん、能登の西出牧場の西出さん、県の職員たちが救助にあたりました。
ただし、その牧場につながる公道は土砂崩れが発生し、車では向かえません。道なき道を歩いて向かうしか牧場に行く方法はありませんでした。
そのため、大きな牛の救出は諦め、かついで連れ出せる子牛をみんなで助けだしました。助けられなかった親牛はまわりにあった乾燥した牧草などを集めて食べられるようにしたそうです。
今も牧場へつながる公道は通れませんが、小さな車が通れる裏の林道は開通したため、その道から訪れることにしました。
牧場に到着すると、災害直後と変わらない状況がそのまま残っていました。
牛舎に近づくと強烈な異臭がしました。当時は冬で気温が低かったため、下敷きになった牛たちもそのままの状態でしたが、今回は大量のハエがまわりを飛び回っていました。白骨化している牛もいました。
狭い林道からでは牧場に重機などを運搬できないため、このままの状態がしばらく続くのではないかといいます。
亡くなった牛の供養のためにも、なんとか早くこの状況から脱することを祈るばかりです。
能登半島の山奥で放牧している「寺西牧場」(能登町)も被害を受けましたが、他の牧場と比べれば被害は少ない方でした。
12.5ヘクタールほどの広大な放牧地で7頭が悠々自適な生活を送り、牛たちのミルクはすべて輪島の高級フレンチレストランに一括でおろされ、消費されていました。
生産量は少なくても、付加価値をつけて販売することで売り上げにつながっていたそうです。
しかし、出荷先のレストランが地震で倒壊。ミルクの出荷先がなくなってしまいました。
乳量が少なかったこともあり、子牛に飲ませたり、自家消費したり周りに配ったりしていますが、それでも余るミルクは泣く泣く廃棄しているといいます。
そんな状況が被災から半年経つ今でも続いています。
復旧に時間がかかっている能登半島。これから復興まではさらに長い道のりとなります。
過去の災害では、農業は3年程度で建物が復旧し、元のように生産できるようになったケースが多いですが、今回はさらに長くなるのではと予想されています。
元々過疎化・高齢化していた地域がほとんどで、震災前に戻すだけでは限界があり、新たなことを見いだしてチャレンジしていく必要もあると感じます。
能登のこだわった生産者のミルクを集めた「能登ミルク」(七尾市)は、地震でカフェの建物に被害がありましたが、4月には営業再開、さらには金沢市に新店舗を出したり、都内で販売を始めたりと、挑戦を広げて能登の酪農を盛り上げようとしています。
珠洲市の松田牧場は復旧に向けてクラウドファンディングを始めました。
地域で足並みをそろえて補助金や義援金を受け取ることしかできませんが、それではなかなか復旧が見通せないことから、クラファンを通じて多くの仲間を見つけたいと奮闘しています。
寺西牧場の余ったミルクについては私もサポートチームに入り、なんとか活用する取り組みを模索しています。
今後の復興の方針も明確になっておらず厳しい状況は続いています。しかし、震災をきっかけに能登と関わり始めた人もいます。
ボランティアの数も足りておらず、まだまだ被災地の外からできるサポートはたくさんあります。この機会にぜひ石川や能登半島を訪れてみてほしいと思います。
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