いわゆる「ゴールデンタイム」に放送されるテレビのバラエティ番組を観ていたときのこと。男性の人気お笑い芸人のMCが言った「今日のゲストは美人さんだから…」というセリフにレギュラー陣は笑い、女性ゲストもニッコリ。
でも、なんか違和感が––。「美人さん」は褒め言葉なのになぜなのでしょうか。身近なシーンに潜む「差別」について「美人さん」発言から考えます。(朝日新聞デジタル機動報道部・朽木誠一郎)
【連載「#令和サバイブ」】この連載は、withnewsとYahoo!ニュースの共同連携企画です。
番組の展開はこうでした。出演者同士がゲームをするにあたり、通常であればレギュラー陣がゲストの所属するチームを決めるところ、MCの男性人気お笑い芸人の一存で、その回はゲストの女性に所属したいチームを決めてもらった、というもの。
そのルール変更の理由が「美人さんだから」。男性MCのキャラクターもあり、レギュラー陣は笑いながらツッコみ、女性ゲストもニッコリ。番組は和やかに進行しました。
一見、誰も困っていないように思われるシチュエーション。では、どうして記者は違和感を抱いたのか、自問自答してみると、引っかかったのは近年、日本でも話題になる「ルッキズム」のことでした。
「ルッキズム」とは「見た目で人を評価すること、またそれに基づく偏見や差別のこと」で、外見至上主義とも訳されます。批判的な意味を持ち、欧米では問題提起が進んでいます。
今回のバラエティ番組のケースで、女性ゲストは貶されたわけではなく、女性ゲスト側に希望を聞くことはいわゆる“レディファースト”の一環のようにも映ります。こうして見えづらくなる問題点について、作家でジェンダーにまつわる“モヤる言葉”についての著書や著作を多く出しているアルテイシアさんと一緒に考えます。
アルテイシアさんは「日本にルッキズムがインストールされていない人はいないのでは」と指摘します。欧米ではそもそも「公の場で人の見た目に言及すること自体がNG」という考え方が浸透する中、日本はその面でまだ遅れがあると言います。
「世の中に自分の容姿に悩んでいる人がどれほど多くいるか考えたことがあるでしょうか。『キレイになりたい』からと始めるダイエットは摂食障害の主なきっかけの一つです。著書でも公表していますが、私の母は摂食障害によって亡くなり、私自身も大学時代、『モテないだろ』などとイジられて、過食嘔吐するようになりました。ルッキズムは大げさでなく、人を殺す呪いになります。女性だけでなく、男性も同様です」
一方で、日本でも他人が誰かの容姿を貶すことは「『さすがに笑えない』という空気ができてきた」ともアルテイシアさんはみます。東京五輪・パラリンピック開閉会式の企画・演出において、責任者が出演者の容姿をブタに見立てる提案をしていたことが発覚し辞任したことなどが、その一例です。
ただし「褒めるのはOKだと思っている人はまだ多いのではないか」とアルテイシアさん。ここにはさまざまな論点があります。一つは、ルッキズムは「個人が気にする、気にしないの問題ではない」という点。アルテイシアさんは「被害や差別を再生産しないように、社会問題として受け止めるべき」と提案します。
「“美人だからトクをする”は逆に言えば“美人でなければトクをしない”ことになってしまう。これは“イケメン”に言い換えても同じです。こうした価値観により、性別を問わず、みんな人と自分の容姿を比べて悩み、少なからず苦しんできている。ならばこうした差別をすることを、もう止めませんか、というだけなんです」
テレビ、人気芸能人という、一定の影響力を持つ場所や立場から、こうした発信がなされることも問題だとアルテイシアさんは説明します。「番組内でこのような『特別扱い』が“ウケる”ことは、同じような場面が社会で繰り返されることにつながる」からです。
「また、前述した摂食障害は褒められることもトリガーになり得ます。『美人だから』という言葉が『美人になりたい』『美人でいなければならない』という呪いにつながり、健康を害する人がいる。でも考えてみれば、その“美人”はあくまで男性MCの個人的な好みです。振り回されるようなことではないはずなのに」
こうしたシチュエーションでどう振る舞うべきか、考えるべきは「TPOと当人同士の関係性」だとアルテイシアさん。
「人の容姿を褒めることだって、例えば親密な関係の二人がデート中に言ったのであれば、問題ない場合もありますよね。でも、同じことを仕事の場でしたらそれは大きな勘違いです。決して難しいことではないはずです」
男性MCの行動「美人だから特別に…」における、ルッキズム以外のもう一つの論点が、「好意的性差別」と呼ばれるものです。例えば「Aさん(女性)は子育て中だからラクな仕事をしてもらおう」といった発想には、このような差別が潜んでいるとアルテイシアさん。
「だって、Aさんが“ラクな仕事”をしたいかどうかは本人に聞かないとわかりませんよね。これは日本の古典的な性別による役割の意識に基づく発想で、優しそうに見えて実はAさん本人を尊重していません」
冒頭のバラエティ番組でも同様に、女性ゲストが男性MCによる「特別扱い」を望んでいたかは本人しかわからない、ということです。
「優遇されたならいいじゃないか、と思う人もいるかもしれませんが、こうした男性MCの『特別扱い』に女性ゲストが居心地の悪い思いでいても、MCとゲストという関係ではイヤとは言えません。相手がイヤだと思っているかもしれない、という発想がないことが、そもそも立場の違いを表しているとも言えます」
では、こうした「特別扱い(=好意的性差別)」と「レディファースト」という概念とはどう違うのでしょうか。アルテイシアさんに尋ねると、こう整理してくれました。
「これもTPOと当人たちの関係性です。今回のケースで言えば、男性MCと女性ゲストは仕事として番組に出演していて、その様子はゴールデンタイム、子どもも観るような時間帯の公共の電波に乗って流される、非常にパブリックな状況です。そこでこうした特別扱いをすることは、レディファーストではなく、やはりNGだと私は思います」
パブリックな状況で望まれるのはあくまで「人としての気づかい」だとアルテイシアさん。「例えば電車にお年寄りが乗っていたら席を譲るかどうか考える」といったことです。
「レディファーストという概念の弊害で、とにかく女性を優遇すればいいというイメージを持つ男性もいます。そうすると、例えば会食の際などに『椅子は引く(=レディファースト)けどそのときに手や肩など体を触る(=セクハラ)』といったことが起きる。
それは人として相手を尊重している行為ではありませんよね。こうしたことから、あるいはそもそも、レディファーストを望まない女性もいることを、男性には知ってほしいと思います」
こうした問題提起には、多くの場合「窮屈になった」という反応が伴います。これについては「被害を受けた自覚のない立場の言葉」とアルテイシアさん。
「これまで人を殴っていた人が、殴れなくなったと文句を言っていたら、驚きますよね。差別やハラスメントも同じです。『最近はコンプラが厳しくて……』などと言う人は、これまで無意識に誰かを傷つけていた可能性があります。
意図していようがいまいが、殴られた人は痛いんです。しかもそのような言葉の暴力は時に自分の属性にも向き、回り回って自分のことも生きづらくしているかもしれない。社会として差別やハラスメントには厳しい態度を取るべきではないでしょうか」
アルテイシアさんも、過去には「イケメンなのに東大なんてすごい」「女の子だけど同期で一番優秀」といった言葉を、自覚なく使っていたことがあるそうです。
「私自身にもこうした差別はインストールされているし、今もともすると自分もそれに基づいた考え方をしてしまうことがあります。大事なのはそのこと自覚した後で、どのように振る舞うかだと信じています。
文化は変化するものです。『窮屈になった』と嘆くのではなく、なぜそれが問題なのかに、みんなで一緒に向き合いませんか、と伝えたいです」
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