水野:手話のスピードの速さがすごかったので、会場にいると「手話ができたらなぁ」というのをすごく感じました。
川村:SNSでも指摘されているのが、デフバスケの会場でも、結局アナウンスが音声だったんですよね。それが字幕翻訳されるというかたちなんですよ。
でも、プレーヤーや来場者は圧倒的に手話ユーザーの方が多いなかで、やはり手話言語を第一言語として、設計されていたら、と思いました。
水野:たしかに、大型ビジョンに、いつも手話通訳者の方が映る、それが音声アナウンスになるとかだとよかったかもしれないですね。
川村:開会式でも、国歌斉唱で(音声で歌う歌手に対し)手話側の方がほとんど会場の画面に映らなかったということも指摘されていました。
今後への教訓になることもたくさんあると思いますので、私も社会の一員として、ろうの方がどうやって聴者と平等に近い形で場を楽しめるのか、ということを考えていきたいです。
堀江:手話ができるボランティアスタッフの方は足りていたんでしょうか?
川村:国際手話が100人で、日本手話が140人ぐらいいるそうです。
水野:21競技で各会場に…と考えると少し足りないんじゃないかと思いますね。
川村:全員が通訳士の資格を持っているわけではないので、配分も難しいと聞きました。
水野:全員が、国際手話ができるというわけではないんですもんね。
堀江:日本手話と国際手話はまた違うんですね。
水野:私も2022年に流行したドラマ「silent」で知ったことがあって。登場人物のひとりが聞こえなくなって、大人になってから高校生の時の恋人と再会するというお話なんですけど。昔は、手話が教育現場では厳しく禁じられていたっていう過去があるんですよね。
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川村:デフリンピックが行われるほど社会の理解が進んだとはいえ、昔はこれがまったく当然ではなく、「口話(こうわ)」と呼ばれるコミュニケーションが教育現場では重視されていました。
これまでろうの方や手話通訳者の方にたくさんお話を聞いてきたなかで、昔の教育で注力されたのは「聴者に迷惑をかけない」「聴者の世界にいかになじんでいくか」ということが重視されたということでした。
口話とは、口の形を読んで、相手が何を言っているか聞こえなくても目で読み取る、読唇術と近いイメージのコミュニケーションです。ろうの世界でしか通じない手話よりも、聞こえる人たちの世界で生きていくために、頑張って口話を覚えたり、舌や口の形を覚えて音を出せるようにという訓練が厳しくされていたりした……という話を聞きました。
水野:日本語を話せる人たちの方がマジョリティーだから、それにあわせた教育がろう学校でも行われてきた……ってことなんですね。
川村:いま、ろうの方々が多く使うのは「日本手話」という、日本語とも語順や言語体系が少し違ったものです。日本語に対応するかたちの手話は「日本語対応手話」といいます。
ろうの方からしたら、日本手話と日本語対応手話も、また違う言語なんですよね。北海道では最近も、ろう学校で日本手話の教育が受けられないのはおかしいという裁判が起こっていたぐらい、違う言語として認識されています。
水野:そういう、ろうの方々の世界を知るきっかけとして、デフリンピックは大事ですね。
川村:識字率も上がって、母語が手話という皆さんも文字を書けますが、やはり「耳が聞こえなくても文字なら分かるでしょう」というのはちょっと傲慢なんですよね。
水野:だからこそ、デフリンピック会場では、音声アナウンスを字幕にするのではなく、手話を第一言語にするべきではないかという指摘になるということですね。