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水俣病取材、記者は言い返せなかった〝やっぱり経済優先〟という現実
信じてもらえなくなった政治家たちの言葉
学生時代、駅前で街頭演説をしていた政治家は「弱者に寄り添う」と訴えていました。当時は疑いを向けるまでもなく、ただ純粋に政治とはそうしたことを実現するものだと思っていました。今年の春、熊本に転勤し、水俣へ取材に行くと、違う世界があることを突き付けられました。今も被害に苦しむ人に向き合おうとしない政治家たち。経済成長や選挙での勝敗を考えると、しょうがないことなのでしょうか。政治の役割とは何かを現場から問い直してみようと思います。(朝日新聞熊本総局記者・長妻昭明 25歳)
「政治は昔も今も人の命よりも経済を優先している」
今年の春、かつての公害による健康被害がいまも続く水俣病の慰霊祭を取材した際、1人の男性から言われました。記者3年目の私は、突然の強い言葉に反射的にそんなはずがないと打ち消そうとしましたが、すぐにコロナ禍での「Go To トラベル」などが頭に浮かびました。
政治とは何か。私なりには、弱者に目を向け、手を差し伸べる役割だと思ってきました。ではなぜ、水俣病のように、いまも被害に苦しむ人たちの声を、政治は聞こうとしないのだろうか。
「誰もが安全安心で暮らせる社会に」
「社会的弱者に寄り添う」
学生時代、駅前で街頭演説をしていた政治家から何度も聞こえてきた言葉です。当時は疑いを向けるまでもなく、ただ純粋に政治とはそうしたことを実現するものだと思っていました。
しかし、今年の春に熊本に転勤してきて、水俣に取材に行くと、そうした思いは疑いに変わりました。典型的な水俣病の症状である感覚障害があるのに、補償が受けられる患者と認められずに苦しんでいる人が、水俣病の公式確認から65年も経つのにたくさんいました。
慰霊式に小泉進次郎前環境相が寄せた「祈りの言葉」には、「政府を代表して水俣病の拡大を防げなかったことを、改めておわび申し上げます」と謝罪の言葉がありました。それにもかかわらず、実際は、水俣病でいまも苦しんでいる人たちがいて、政府は患者と認めようとしません。
そんな政府の姿勢から、私が取材で出会った患者認定を求める人たちは、政治に期待することを諦め、裁判で勝つことだけが唯一の救われる方法だと捉えていました。都会の街頭演説で政治家の多くが「弱者に寄り添う」と連呼していた政治は、そのように軽く見られたままで本当にいいのでしょうか。
ある認定患者は私に「水俣病の患者を自分の家族と思いなさい。症状が出たら一番に助けるでしょ」と話してくれました。政治家が派閥闘争などの永田町の中の動きより国民にもっと目を向けようとすれば、弱者の声は届くのでしょうか。いや、政治家の意識だけが問題であるとも思えません。
いまの衆議院の小選挙区制度は、選挙区で過半数の票を得られれば当選できる仕組みです。マイノリティーの声を拾いあげる動機付けがないように映る選挙制度に問題があるのかもしれません。
声を上げ続けている水俣病の患者家族、それを正面から受け止めるべき政治家、目詰まりする政治を動かそうと働きかける人たちは、弱者の声が政治に結びついていない現実をどう考えているのでしょうか。
「政治は弱者の声に耳を傾け、手を差し伸べるべき存在」と信じてきた自分の考えは間違いなのか。それとも単なる理想なのか。民主主義の理想と現実の溝はどれほど深く、それを埋め合わせることは可能なのか。政治の現実と向き合いつつ、自分なりの「解」を考えてみたいと思います。
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