連載
#76 コミチ漫画コラボ
知る人ぞ知る…なにわの古書店主が残した「自由研究」漫画で描く人情
「カツドオ」と呼ばれた映画館と銭湯の意外な関係
大阪の商店街にあった古本屋「青空書房」。ふらりと立ち寄った男性が、映画館と銭湯が並び立つ〝昔の大阪の地図〟を見つけて店主に話しかけると、その理由を語り始め――。2016年に亡くなった、知る人ぞ知る古書店主・坂本健一さんをモデルにマンガを創作した筑濱(ちくはま)健一さん。「僕も坂本さんと同じように町歩きが好き。このマンガをきっかけに、大阪の商人の人情深さを知ってもらえたらうれしいです」と話しています。
作者の筑濱健一さんは、妻・和子さんと漫画家ユニットをつくり、大阪を拠点に活動しています。
福岡生まれ、大阪・吹田育ちの筑濱さんは、社会人になって大阪市北区・天神橋の近くで働くようになりました。「青空書房」のある天五中崎通商店街も近く、よくのぞいていたそうです。
「僕自身は照れくさくてじっくり話したことはなかったんですが、坂本さんはよくお客さんに話しかけ、本をおすすめしていました。店内に実用書はほとんどなく、気持ちの奥にじわじわと残るような本をたくさん置いていましたね」と振り返ります。
坂本さんは2010年、自身の半生や変化していった大阪の街についての回想、作家・筒井康隆さんとの交流エピソードなどを著した『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』を出版します。
坂本さんが訪ね歩いた昔の古本屋MAPが付属でついていて、戦前の大阪の様子も記載されています。
この本を読んだ筑濱さんは、「自由研究」というマンガのテーマに、街を歩いて記録を残した坂本さんのことを思い出したといいます。
「自分の周りで一番面白い自由研究をしていた人は誰だろう、と考えたら坂本さんでした。坂本さんならこんな風に来店者におすすめするんじゃないかな……と想像しながらマンガを描きました」といいます。
本が大好きだった坂本さんは、「論語」に詩集を挟んで戦争へ出陣。終戦後に家族を養うため、焼け野原だった大阪の闇市で泣く泣く自身の岩波文庫を売ったことが古本屋を始めるきっかけでした。
高齢になって日曜を休日とすることにし、シャッターに手描きのお知らせイラストを貼るようになりました。それが話題となり、全国的にも有名になりました。
坂本さんの本には、戦前の大阪の街並みも紹介されています。紡績工場があり、行き交う人が多かった天神橋のエリアでは、工員たちのため、貸本屋もたくさんあったそう。芝居小屋のような「カツドオ」と呼ばれた映画館のすぐ近くに、必ずといっていいほど銭湯があったそうです。
マンガの中で店主はこう言います。
「疲れを汗で流して 映画みて涙流すためや… 体も心も最高に幸せやろ そんなのんびりした時代もあったんや」
筑濱さんは「工場の労働は過酷なところもあったでしょう。1日の汗を銭湯で流して、カツドオで涙を流して、気持ちがすっとする。家では恥ずかしくて泣けないぶん、人情ものを見て思い切り泣く……そんな文化があったんだろうなと思います」と話します。
筑濱さん自身も、坂本さんのように町歩きを楽しむことが好きだといいます。
「商店街には『生き字引』みたいな人がたくさんいます。ネットを探しても全く見つからないような情報に、街を歩いたり店主に話しかけたりすると出会えます」
開発によって姿が変わった芝田商店街の歴史を調べ、巨大ポスターに描いて再現したことも。天神橋3丁目商店街の会長から「マンガで盛り上げてほしい」と依頼され、ポスターや垂れ幕、チラシなども手がけています。
「大阪の商店街に支えられている僕は、〝商店街立漫画家〟って感じですね」と笑います。
若者から文豪まで多くの人に愛され、商店街で本の文化を伝えていた古書店主・坂本さん。病気がちになって商店街のお店を閉めたあとは、2016年に93歳で亡くなるまで、商店街のすぐ近くの自宅を開放して本を売っていたといいます。
筑濱さんは、マンガのラストのコマに自身の少年の頃の体験を描きました。小学校の時の帰り道、きらきらと輝く玉虫を見つけた思い出です。
「この思い出は実話です。あまりにも神々しくて、捕まえる気にもならずに眺めていたことを今でも鮮明に覚えています。きっと、坂本さんの周りにある本はすべて、僕にとっての玉虫のような〝宝物〟だったんだろうなぁという思いを込めました」と話します。
「この作品で、大阪商人の人情を、たくさんの方に感じて頂けたら幸いです」
chikuさん:日本漫画家協会会員。「SHIRITORI」で文化庁メディア芸術祭受賞。2015年1月にパリで個展を開催し好評を得る。マンガ「天満天神繁昌物語」は、大阪北区にある日本一長い「天神橋筋商店街」の街おこしの実話を漫画化。すべて寄付金で建てられた繁昌亭のエピソードも紹介しています
1/37枚