連載
#8 帰れない村
「お父さんの墓参りに」末期がんだった21歳の願い、阻んだ原発事故
今も2011年の夢を見る。
佐々木やす子さん(66)は毎月、避難先の福島県大玉村から旧津島村のお墓の掃除に通い続ける。
11年の正月は津島で一家だんらんを楽しんだ。息子2人は習志野駐屯地で働く自衛隊員。1月2日夜、やす子さんが車で習志野まで送っていった。
ところが翌3日朝、次男が千葉県内の病院に搬送された。悪性のガンだった。手術を受けたが、全身に転移しており、医師からは「厳しい」と宣告された。
やす子さんは病院に泊まり込みで次男の看病を続けた。すると2月18日、津島の自宅で肝硬変を患っていた58歳の夫が吐血して亡くなった。
やす子さんは次男には夫の死を伏せて、津島の自宅に帰宅した。主治医が「次男に伝えるには、ショックが大きすぎる」と判断したためだ。葬儀や納骨を済ませて病院に戻ると、「何があったの? 顔を見ればわかるよ」と次男から何度も説明を求められた。
「お父さんが死んだの」
主治医に立ち会ってもらって伝えると、次男は頭から布団をかぶり、声を押し殺して泣いた。やす子さんは布団の上から次男を抱きしめた。
「津島に帰りたい。お父さんの墓参りに行きたい」 その日以来、次男はしきりに帰郷を求め始めるようになった。少しでも故郷に近い場所へと、津島から約40キロ離れた郡山市の病院に転院したのが3月8日。その3日後に原発事故が起きた。
次男は必死に治療に取り組んだ。しかし、自宅のある昼曽根集落には原発事故で大量の放射性物質が降り注ぎ、立ち入りができなくなった。
「津島に帰りたい。お墓の前で、お父さんと話がしたい」
そう願い続けながら、次男は8月11日、21歳で亡くなった。やす子さんは次男の願いをかなえようと夫と同じ墓に納骨したが、立ち会いを頼んだ住職には「放射能が高いので、行けません」と断られた。
あれから10年。同居していた義母は2018年に、義父は2019年に他界した。
「2人とも死の直前まで『津島で死にたい』と望みながら死んでいきました」
墓石に刻まれた四つの名前を見つめながら、やす子さんは疲れた表情でつぶやいた。
「私もこのお墓に入りたい。でもその時に、私は津島に帰れているのでしょうか」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
1/31枚