連載
#205 #withyou ~きみとともに~
どうしてこんなからだなの? 叫びたいのは前向きな言葉だけじゃない
ぼくはその時、その子のことをすごく憎くてうらやましいと思ったんだ。
例年、長期休み明けは、学校に行くことがしんどくなったりしやすい時期です。今年は新型コロナウイルスの影響を受け、夏休みが短くなる学校も多くありました。学校が始まっても、受験への不安や、学校行事が中止になることへのモヤモヤなど、様々な思いを抱く10代が多いかもしれません。そんな10代の中には、何らかの障害を持っている子もいるでしょう。車いすユーザーの篭田雪江さんに障害のある10代に向けたメッセージを寄せてもらいました。
「障がいを持つ10代に向けて、なにか書いていただけますか」って言われてね。今、頭抱えてるよ。
だってね、ぼくは今40代。あなたたちのご両親とおなじくらいの年齢で、もう立派なおじさん。10代の頃のことなんてだいぶ忘れちゃってるし、そもそもあなたたちになにか伝えられるような、おえらいさんでもなんでもない。
とにかくなんかヒントはないかなって、ためしに母校の養護学校のホームページを開いてみたんだ。
そうしてたらだんだんあの頃のことを思い出してね。そしてうっすら浮かんできた。あの時感じていたこと。今、感じていること。伝えたいこと。
だからなんとか書いてみるね。でも図書館の本みたいな、おかたい文章だとうまく書けない気がするから、こうして手紙みたいに書いてみるよ。こんな歌あったね。じゅうご~のぼくには~、みたいな。でもあんなに立派なものじゃないから、それだけはかんべんしてな。
そうそう、ホームページの話だったね。
いろんな写真が載ってたよ。入学式で車いすを押してもらいながら花輪をくぐるブレザー姿の新入生。運動会で重ねた段ボール箱を車いすで押し倒す「箱倒し合戦」とか、赤白応援合戦で盛り上がる姿。学園祭ではボール紙で作った衣装を着て演劇をしたり、ミュージカルを披露したりしてたな。
たくさんの笑顔があふれてた。日々の学校生活を楽しみ、充実してる表情が浮かんでた。ぼくのいた頃とおなじだな、と思ったよ。
自分のいた頃とおなじ、か……。
そこでちょっと思ったことがあるんだけど、きいてもいいかな。
障がいをもつ10代のあなたたちは日頃なにをして、なにを思い、なにを考えているのかな。
なにも特別な時じゃない。たとえば朝起きた時。学校の昼休み。放課後。日曜日の夕暮れ。養護学校に行くのも難しくて、普段は家のベッドで過ごさなきゃいけないあなたたちはどうだろう。窓から白い雲を見つけた時。外からおない年くらいの子たちのはしゃぎ声が聞こえてきた時。夜、眠りにつく前。そんな、写真に写らない普段の時間にね。
きくだけじゃ不公平だから、ぼくがあなたたちの頃を書いてみるよ。
ぼくは小学部二年生から養護学校に入学したんだ。おなじ車いすの子がたくさんいた。いろんな補助具をつけた車いすの子も、補装具を脚につけて杖で歩いている子も。あとこれは今もそうだろうし、いやな言い方になってごめんなさいだけど、障がいの重い子、軽い子がごちゃまぜだった。ぼくはどちらかというと軽い方、になったのかな。歩けないけど上半身は動かせたから車いすも自分でこげたし、トイレも介助なしで大丈夫だった。先輩後輩のクラスも、そういう感じでごちゃまぜだった。
そんなとこでどんな学校生活を送ったか思い出そうとしたらね、なんでかな、いやなことばっかりがまっさきに浮かんできたんだよ。
同級生とけんかしたとか、誰かが誰かの鉛筆やノートを取ったとか、あいつはなまいきだから無視しようとか、誰かの悪口をこそこそ言い合ったりとか。ぼくも先輩からひっぱたかれたこともあったし、逆に後輩に態度がわりいぞ、ってこづかいを取ったこともある。いやなやつだろ、ぼくって。でも全部本当なんだ。
そんな生活を送っているうち、中学部になった。
さて、この年くらいになった男子が興味を持ちはじめるものはなに、って聞けば、あなたたちにもわかるよね。そう、性のこと。
中学部の頃から、男子の間でエッチなビデオや本が出回りはじめた。誰かの兄貴から借りたとか、誰かのいとこからもらったとか、出どころなんてわかったもんじゃない。とにかくそんなのが誰かのロッカーや机のなかに必ず転がっていたよ。
ある時、ぼくは後輩からぼろぼろの雑誌を借りた。夜中、家族が寝静まった時、それを開いた。ここにはとても書けない姿をした女のひとの写真が、ずらずらと並んでた。ぼくはすぐどきどきしてきたけど、あれ、と首もかしげたんだ。前に誰かから聞いていた、からだの変化と気持ちよさが全然起きなかったから。変だな、と思いながらこれもここじゃ書けないようなことをしてみたけど、なにも起きなかった。くたびれて雑誌を閉じたけど、その晩はなかなか寝つけなかったよ。
次の日、その後輩に雑誌を突き返した。どうだったの、ときかれたけどなにも答えなかった。ちなみにその後輩は補装具を両脚につけていたけど、まひとかは全然なかった。ぼくはその時、その子のことをすごく憎くてうらやましいと思ったんだ。
高校は高等部じゃなく、念願だった普通高校に進学した。でもクラスメイトと友達になるどころか会話ひとつできなく、ひとりぼっちだった。養護学校にずっといたから、健常者の同級生とどう接したらいいかわからなかったんだよ。まわりもそうで、いじめとか無視とかじゃないけど腫れ物にさわらず、みたいな感じ。特にはじめの頃はそうで、放課後「今日おれ、なんかしゃべったっけ」なんて思う毎日だったな。
幸いその後少ないながらも友達ができて、それなりに楽しくやったけど、卒業するとほとんどつながりはなくなっちゃった。なんでかな、今もよくわかんない。目指していた公務員にもなれなかった。今となってはなんのためにがんばって普通高校に入ったのか、よくわからなくなってきちゃったよ……。
さて、ぼくが10代だった頃の経験のかけらをいくつか、こうして綴ってみた。我ながらひどいね。でも思い出すのはこういう暗くて重くて、どんよりしたことばっかりなんだ。
正直に言っていいよ。ろくなものじゃないね、ひどいな、最悪だ。うん、その通り。自分はそんなことない、楽しく笑って過ごしているよ。そうか、よかった。自分は絶対こんな風にならないから。そうそう、その意気だ。
でももう少しだけ、このろくでもない話に付き合ってくれないかな。
こんなぼくにもね、楽しかったことも充実していた時もあったんだ。養護学校の時は友達ともたくさん遊んだし、ゲームもいっぱいしたし、本や漫画も読んだし、好きなひともいたしね。あ、好きになるひとは片思いばっかで、お付き合いしたことはなかったけどね。今でもだけどとにかくもてなくてさ。
でも真っ先に思い出すのは、やっぱりずっと書いてきた、暗くて重くて、どんよりしたことばかり。楽しかったことはなんかぼんやりしてるんだ。
どうしてそうなんだろう。考えてみた。そしたらね、もしかしたらあの時、ぼくの奥の奥にはいつもこんな思いが押し込められていたからのような気がしてきたんだ。
どうして自分は、こんなからだなんだろう、って。
どうして歩けないんだろう。どうしてこの両脚は熱さも冷たさも痛さも感じないんだろう。どうして車いすなんてめんどうなものに乗らなきゃいけないんだろう。どうしてもう10代なのに赤ちゃんみたいにおしっこやうんこが漏れるんだろう。なんでエッチな本やビデオをみても気持ちよくなれないんだろう。
あの頃、そんな自分への「どうして」がいっぱい、意識できない奥の奥に泥みたいにたまっていた気がするんだ。だから10代の記憶をさぐっても、暗くてじめじめして、最低最悪な自分ばかりが出てくるのかもしれない。そう思った。
そう思った時、ふときいてみたくなったんだ。最初にした質問覚えてる? 障がいをもつ10代のあなたたちは日頃なにをして、なにを思い、なにを考えているのかなってこと。
なぜなら、もしかするとあなたたちのなかにも、ぼくみたいに自分のからだへの「どうして」が胸にたまっているひとがいるのかなって考えたから。
母校のホームページをみると、ぼくより重度のハンディを持ったひとがたくさんいることに気づく。ぼくの頃は少なかった電動車いすの生徒もたくさんいる。ベッドのまま授業を受けている生徒もいたね。
そんなあなたたちはぼくよりできないことも多いんだろう。ご飯も食べさせてもらわないといけない。トイレも誰かといっしょに入って、見られたくない下半身を見られながらしなきゃいけない。うまくしゃべることができなくて、コミュニケーションがままならないこともあるんだろう。
そんなあなたたちが感じる「どうして」を思うと、胸が張り裂けそうになる。ぼくなんかよりずっと大きく、重く、暗く、なにより痛くて苦しくてしかたないんじゃないか。
どうして、自分はこんななの。
そう思って泣きたくなることがあるかな。叫びたくなることがあるかな。怒りに震える時があるかな。眠れない夜があるかな。
そんなあなたたちに、こころから伝えたいんだ。
いいよ。かまわないよ。
そんな時がきたら、思いっきり泣いて。思いっきり叫んで。思いっきり怒って。こんなことを言ったら、不快に感じるひともいるかもしれない。でも、どうして自分は歩けないの。どうして電動車いすになんて乗らなきゃいけないの。どうして誰かにご飯食べさせてもらわなきゃいけないの。どうしてお尻やあそこを他人に見られなきゃトイレができないの。
「障がいは個性だ」「このからだに生まれたのには理由がある」「失くしたものより残されたものを活かそう」まわりにあふれるそれっぽい言葉なんて、ごみ箱に捨てて。とにかく泣き叫び、怒りをぶちまけて。迷惑とか恰好なんて考えなくていいから。
10代のぼくはそれをしなかった。そういう時があったはずなのに、吐き出したい思いを無理に飲み込んでしまった。なぜだろう。多分弱虫だから。素直になる勇気がなかった。だから今、あの頃のことで思い出すのは暗くてどんよりしたことばかり。それはじぶんのからだやこころの痛み苦しみを、出すべき時に出せなかったからなんだ。だから明るく光っていた時間をうまく思い出せない。二度とない、きらきらした大切な時期だったのに。
あなたたちには、絶対そうなってほしくない。
それにね、そういう思いを吐き出すのってものすごいエネルギーがいるんだ。なにもかも振り切って泣き叫び、喚くのには、全身全霊を込めなきゃいけない。でもそれは年齢を重ねるごとに難しくなる。20代、30代、そしてぼくみたいな40代になるともう無理だ。今のぼくがそうしたらぶっ倒れるよ。
だから10代の今しかないんだ。10代の今だからこそそれができる。できるうちに泣こう。叫ぼう。嘆こう。そうすることの意味なんて考えなくていい。そうやって自分で自分自身を解き放ち、助けてあげてほしい。救ってあげてほしいんだ。
そうしてあがいてもがいて、なんとか明日へ生をつなげていってくれないかな。自分で死ぬことさえままならないからだなら、せめて生きることになにかを見出してほしい。
これはこころからのお願いです――。
これで、ぼくが10代の障がいをもつあなたたちに伝えたいことはおわり。読んでくれてほんとありがとう。なんか説教くさいね。ごめんね。
実際やってみるか、忘れるか。それはあなたたちの自由。自分の解き放ち方だって泣き叫ぶことだけじゃなく他にもやり方があるはず。だから自分でさがしてみてもいい。とにかく少しでも、あなたたちが息をしやすい瞬間をたくさん作ってあげて。そして、生きてみてほしい。
一応、せっかくこの世に生まれてきたんだからさ。一応、ね。
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