連載
#144 #withyou ~きみとともに~
「人生に迷ったら旅館に」底抜けに明るい女将が失い、見つけたもの
震災で生き残った夫や娘ら3人を海難事故で失った。それでも明るい宮城県気仙沼市の旅館の女将が送る、生きづらさを抱える人へのメッセージ。
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#144 #withyou ~きみとともに~
震災で生き残った夫や娘ら3人を海難事故で失った。それでも明るい宮城県気仙沼市の旅館の女将が送る、生きづらさを抱える人へのメッセージ。
「自分をなくしたい」と言う思いを持った人は、少なからずいると思います。
私は東日本大震災の津波で家が全壊しました。2017年3月に海難事故で夫、娘、義理の息子の3人を亡くした時は、「自分も一緒に行きたい」と思ったこともあります。でもその一方で「どうやったら死なずにいられるか」とも考えました。
人と会うのは絶対無理。光さえ見るのも嫌だった。じっとしていないと、自分が自分でなくなるくらいだった。できるのは、何かすがれる言葉をインターネットで探すことでした。家に閉じこもって、3カ月間ほどずっと探していました。
こういう時は、宗教的な言葉に引き寄せられますね。なるほどと思った言葉もあります。例えば、「人の一生はお釈迦様の一瞬きと同じ時間」という言葉。それを見て、そんな一瞬だったらちょっとがんばれるかなと、少し落ち着きました。
「亡くなった人の分まで耐えてやれ」という言葉もありました。3人のために何もしてやれないけど、耐えることだったらできるかもしれない。と思って耐えた。
でも、そんな言葉を最後に心に落とし込むのは自分です。心が安らぐ言葉を探すのは自分。「自分教」なんです。答えは自分の中にあるんだよね。
震災後に天寿を全うした夫の父の口癖も、立ち直るきっかけになりました。「自分の運命を愛せよ」という言葉です。
海が憎い、風が憎い、あのときああだったら、だれのせい、あれのせい、と憎んだり、恨んだりして生きるのは本当につらい。それこそ地獄だと思う。それだったら、許すこと、あきらめることが大事だと思って。どうすることもできないことってあるじゃないですか。あきらめて心を解放しないと。
もちろん、現実から逃げているという部分もある。でも、今はまだ「その時」に引き戻されるのがつらいですからね。心のバランスを取らなければならないから。
「運命を愛せ」って、昔は受け入れられない言葉でした。結婚して22歳でここに来て、夜明け前から毎日毎日、つらくて慣れない海の仕事をして。もっといい服を着ていい所に行きたい。「こんなの私の運命じゃない」って義父に反抗したりして。
でも今から思うと、それはたいした苦しみではなかった。だからその言葉を受け入れられなかった。家や家族を失ってもっともっとひどい現実にぶちあたって、初めてこの言葉が胸に響いてきました。
「愛せ」と言うと何か変な気がしますが、怒りや憎しみでなく、優しさに変えていきなさい、という意味。どうしたって乗り越えられないことはある。つらい、憎い、で人生を終わるのはそれこそ地獄だ。
そして、すべてのことには何か意味はある。そう思わないと。もちろん悪い意味でなくいい意味でね。
震災後、自宅を民宿にして営業を始めた後に家族を失ったのですが、お客さんが心配しながら待っていてくれたのも生きる糧になりました。お返しをしなきゃと。
残った娘2人も、私が元気でいるということで安心する。私が守って軌道修正しなければと、と少しずつ思うようになってきた。自分が死ぬと、もっと悲しむし、そんなことしたら、亡くなった夫たちも悲しむだろうと。
私は「(亡くなった)3人が応援してくれているから、私は4人分の力を持っている」と言っています。私から「元気をもらいたい」と、今はたくさんの人が旅館に来てくれます。悲しいことがあっても、きっとそれは何かのためになるんだと思っています。
人間、そのうち自然に死ぬ。迎えに来てくれるんだから、自分から行くことはない。
自殺願望を持つ人の気持ちはわかります。家族を失って死にたいと思った時、自分と同じ気持ちの人がいるんだということが、実は心のよりどころになったこともありました。
生きるか死ぬかの境。そこで大事なのは、自分を心配してくれている人がいることに気づくかどうか。自分一人ではないということを、理解できるかどうかがすごく大きいと思う。
そういう私もふっと落ち込む時があるけど、死ねばそれで終わっちゃう。それでいいやと思うかもしれないが、それでは自分しか見えていない。
まあ、迷ったら私の旅館に来てください。大丈夫だ、って背中をたたいてあげるから。
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