連載
#123 #withyou ~きみとともに~
「夢をあきらめてもいい」車いすを強みに起業した社長の気づき

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#123 #withyou ~きみとともに~
垣内俊哉さんのメッセージ
――生まれつき、病気だったんですね。
骨形成不全症(こつけいせいふぜんしょう)という病気で、骨が弱く、折れやすいです。これまで20回ほど骨折し、手術も十数回、受けました。幼稚園から小学校低学年の頃までは、何とか歩けたのですが、小学校4年生の頃から車いすに頼らざるを得なくなりました。「かわいそう」と思われるのが嫌で、思春期の頃は「歩きたい」と必死で努力しました。
――高校生のとき、手術を受けたけれども、うまくいかなかったそうですね。
高校を休学していたのですが、このまま退院して高校に戻っても、同級生だった友達より学年が一つ、下になります。大学受験も大変です。当時は家族とも不仲で、戻る場所もありません。真っ暗で先が見えない感じでした。
入院中、消灯後にエレベーターで最上階へ行きました。レストランがあり、そのドアを開けたら屋上へ出られます。私にとっては好都合の構造でした。しかし、柵の高さは2㍍以上。手を掛け、よじ登ろうとしましたが、私の足では無理でした。「飛び降りることも出来ない」と、柵にしがみついて泣きました。
<かきうち・としや>
1989年生まれ。岐阜県中津川市出身。立命館大学在学中に株式会社「ミライロ」を設立。企業や自治体を対象に、ユニバーサルデザインのコンサルティングを手がける。著書に自伝「バリアバリュー 障害を価値に変える」(新潮社)。
――それからは
何もする気になれず、形だけは治療とリハビリを続けたものの、それ以外はベッドの上でぼんやり過ごしていました。
ある日、向かいのベッドにいる富松さんというおじいさんが、「あんまり具合がよくないのか?」と話しかけてきました。それまで誰とも話す気がしなかったのに、なぜか富松さんには、自分の身体のことや思いの丈を、堰を切ったように打ち明けました。
富松さんには「君はちゃんと登り切った先の景色を見たのかい?」「人生はバネなんだよ。今はしんどい時期だろう。でも、それはバネがギュッと縮んでいるということだ。いつかバシッと伸びることを信じて、今を乗り越えなさい」と言われました。
その言葉は、私の心へ染みいるように流れ込んできました。富松さんの言葉に背中を押され、もう一度、リハビリを頑張ろうと思いました。
――リハビリは、うまくいきましたか。
10カ月間、死に物狂いで過酷なリハビリをしましたが、無理でした。でも「自分の足で歩く」という夢をあきらめるのに、不思議なほど挫折感がありませんでした。リハビリをやり切ったからだと思います。あの時、富松さんに声をかけてもらえず、中途半端な状態でリハビリを投げ出していたら、そんな気持ちになれなかったでしょう。
「登り切る」というのは、何も頂上に立つだけではありません。望み通りの結果を得られなくても、心底、やり切れば、それも登り切ったことだと思います。
――自殺しようとしたことを今、振り返ると、どう思いますか。
結局のところ、空間と時間に対する感覚がおかしくなっていました。病室という空間で、先が見えなくなってしまった。
でも空間なんて無限に広がっています。地球の裏側だって行けます。時間も5年、10年経てば、つらかったことを忘れているかもしれません。空間と時間について、もっとおおらかに考えるべきでした。
――当時、心のよりどころとなった「居場所」ってありますか
病室も教室も家庭も、自分の居場所ではありませんでした。
でも、それは、歩けない自分を受け入れられなかったからです。現実を受け止められなければ、どこにいてもつらい。でも、自分の哲学というか生き方が定まると、どこだって居場所に出来ると思います。
富松さんの言葉は私にとっての哲学。また、大学生のとき、バイト先の社長に「歩けなくても胸を張れ。車いすに乗っていることがお前の強みなんだ」と言われたことも、心のよりどころになりました。
こう生きるべきだ、というものが見つかれば、きっと、無い物ねだりをしなくなります。居場所が無いというのは、場所のせいじゃないんです。
――つらかった高校生のとき、していて良かったことはありますか。
16歳の頃から数年間、基本的に毎日、日記を書きました。当時の日記を読み返すと、激しい言葉が並んでいます。
日記は、自分に向き合うための一つの方法。頭の中のもやもやしたものが、目に見えるようになります。誰にも言えない怒りや悲しみを吐き出せば、気持ちが整理され、解決策を考えることにつながります。
重要なのは、マイナスのことばかり書かないこと。例えばいじめられていたら、相手に対して「むかつく」「腹が立つ」と書いてもいいけれど、締めは、自分をちょっと褒めて欲しい。「それでも耐え抜いた」とか「この経験は明日に生きるかもしれない」とか。前向きな言葉は、リアルになってきます。
――苦しい日々に向き合ったことは、その後の人生にどんな影響を与えましたか。
歩けなくても出来ることを探し続け、歩けないから出来ることを見つけました。自分の障害にとことん向き合った結果、ミライロの基本理念「障害を価値に変える」にたどり着きました。
会社を設立して借金もしたし、その後、病気で心肺停止になったこともありました。でも自殺するほど追い詰められ、死にものぐるいでリハビリをした時期があったので、心がぐらつくこともありませんでした。今となっては、大きな財産です。
どんな弱点も、目線を変えれば価値になります。例えば人と話すのが苦手な人には、巧言令色(こうげんれいしょく)を潔しとしない誠実さがあるのではないでしょうか。誠実さは、ビジネスにおいて、大切なバリューだと思います。
――富松さんのような人にタイミング良く出会えないときは、どうすれば良いですか。
富松さんに出会えた私はラッキーでしたが、生きる勇気を与えてくれるのは1冊の本かもしれないし、1曲の歌かもしれません。私の場合、本で言えば、アーネスト・シャクルトンの「エンデュアランス号漂流記」、マイケル・J・フォックスの「ラッキーマン」、江上剛さんの「我、弁明せず」にも、力をもらいました。
――今、思い悩む人へのメッセージを。
私の今日までの人生を振り返ると、嬉しかった、楽しかったは3か4、つらかった、苦しかったが6か7だと思います。でも、最期を迎える瞬間に「51対49」に出来たら、良いと思います。若いときはどうしても、9対1とか8対2という感覚になってしまうけど、あり得ません。
絶対につらいことはあります。それが今、きているだけで、幸せだな、って思うことも、これからあります。だから逃げても、泣いてもいいから、あきらめないでください。
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