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「やっと息子に会えた」初めて銘板に触れる母 慰霊の朝、見たものは
神戸市中央区にある公園「東遊園地」の片隅に、阪神・淡路大震災で亡くなった方々の名前を刻む施設があります。震災から23年の2018年1月17日、「瞑想空間」と名付けられた場所には多くの遺族が訪れ、大切な人を偲んでいました。(朝日新聞大阪本社映像報道部・細川卓)
今年、発生時刻の午前5時46分に合わせ、朝日新聞社映像報道部からは5人のカメラマンが東遊園地を訪れる人々を撮影しました。
午前4時45分、外は冷たい雨。「1・17」の形に並べられた竹灯籠(どうろう)の中は、ろうそくの火が今にも消えそうになっています。
多くの人々が集まる東遊園地の南側に、ひっそりとたたずむのは「慰霊と復興のモニュメント」。私が撮影を担当したのは、その地下にある「瞑想空間」と名付けられた場所です。阪神・淡路大震災で犠牲になった方や、復興に尽力された方など5005人の名前が銘板に刻まれています。
すでに4人の家族が、ペンライトで銘板を照らしています。故人の名前を見つけ、そっと指でなぞる――。その行為自体が、故人を悼む神聖な儀式の一つに見えました。
時間が経つにつれ、訪れる人は続々と増えていきます。銘板を10分以上じっと見つめ続ける人、床にひざまずき「ばあちゃん!」と大声で叫ぶ人、家族の名前を見つけてほほえむ人。それぞれの悼み方で、1月17日の朝は過ぎていきました。
涙をためながら銘板をなでている女性がいました。野田貴美子さん、70歳。
震災当時は横浜に住んでいましたが、父の葬儀で訪れていた神戸市東灘区で被災しました。そこで、当時22歳の長男・浩樹さんを亡くしました。春から商社への就職が決まり、「働き出したらバッグをプレゼントする」と約束してくれた矢先。優しくて、自慢の息子でした。
野田さんは夫の看病などがあり、震災から23年後に初めて、1月17日に瞑想空間を訪れることができました。
「やっとここに来られて、気持ちが楽になった。息子に会えたような気がします」
涙ぐみながら話すうちに、言葉や表情から、思い悩んできたものが落ちたようにも感じました。
悼む人々の表情から、手から、背中から、大切な人を思う気持ちが、23年を経ても変わらないことを感じます。半径10メートルほどの閉鎖された静かな祈りの空間で、カメラマンは邪魔者でしかありません。
それでも、震災の記憶や人々の思いを、写真を通じて伝え続けることが、自分の使命だと言い聞かせ、シャッターを切り続けました。
時間や事情が変わることで、初めて口を開いてくれる人もいます。取材する難しさや大切さを、1月17日は教えてくれました。
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