話題
悲しみは「乗り越える」もの? 68日間生きた娘を亡くした夫婦の思い
「悲しみを乗り越える」と聞いて、皆さんはどう思いますか。悲しみへの考えかたは様々ですが、「違和感」を覚える人もいます。生後68日で娘を亡くした、ある夫婦の経験から考えます。
埼玉県内に住む40代の夫婦は約6年前、妊娠8カ月のころに健診を受けたとき、胎児の心臓に異常が見つかりました。詳しい検査の結果、先天性の染色体異常の一つである「18トリソミー」であることがわかりました。生まれてくる可能性が低いこと、生まれたとしてもたくさんの障害があったり、短命になったりする可能性が高いことなど、初めて聞く情報を医師からシャワーのように告げられました。
夫婦は本やインターネットで、娘が生きる可能性を必死で探しました。同じ障害を持ちながら、1歳を迎えている子の存在などを知り、わずかな希望も持てました。
一方で一週間ごとに病院へ通いながら、多くの選択をしなければなりませんでした。医師からは「人工呼吸器をつけなければ子どもは死んでしまうが、一度つけたら外すことはできない」と言われました。夫婦は子どもが苦しまない方法を選ぼうと話し合い、最初の産声を聞いてから、人工呼吸器をつけると決断しました。混乱のなかで不安や悲しみでいっぱいになり、「涙が足りないくらいに泣いてばかりいました」。
長女は帝王切開で産まれました。直後は仮死状態でした。心肺蘇生によって、息を吹き返し、立ち会っていた夫だけが産声を聞きました。長女は人工呼吸器をつけ、すぐにNICUに入院しました。医師からは「72時間が峠」と言われましたが、何とか乗り越えました。
夫婦は日々病院へ通いました。人工呼吸器をつけていたため、自由に抱っこはできませんでしたが、医師や看護師と協力して何度か長女を抱くことができました。「親としてできることは限られていました」が、おむつ替えや沐浴もできました。
しかし、長女は日が経つにつれて、少しずつ弱っていきました。
生まれてから68日、最後は夫婦の腕の中で眠るように息を引き取りました。
長女が亡くなって1年くらいは、妻は外へ出ることが苦しく、多くの時間を家で過ごしました。「周りの赤ちゃんを見るのが怖くて、ちょっとだけ家の近くを散歩するときも、なるべく人がいない時を見計らっていました」。
夫は「通勤しても仕事をしっかりできていたのか、よく覚えていません」と振り返ります。道で小さい子を連れた大人をみるたびに、つらい気持ちになりました。「相手は悪くないのにネガティブな感情を抱いてしまう自分に対して、怒りも覚えました」。
半年ほど経った頃、妻は娘のために用意したベビーカーを、実家の倉庫に預かってもらっていたことを思い出し、親に聞いてみました。
すると、
と言われました。
数カ月経った後に、親は謝りましたが、夫婦にとってショックな出来事として心に残っています。
「子どもの存在がこの世になかったものにされたような気がしてしまった。悲しいとかの一言では言い表せない。娘に申し訳ない気持ちになりました」と振り返ります。
長女が亡くなってから、両親からは普段の生活でいろいろなサポートを受けていました。しかし、そうした身近にいる人であっても、夫婦にとってつらい声かけもあったといいます。
と言われたこともありました。夫婦は「乗り越える」という意味がわからなかったといいます。「親の基準で、進めてほしくなかった」と話します。
その後、流産や新生児死の経験者が集まるグリーフケアグループの催しに参加するようになりました。当事者たちによるお話会は、それぞれの経験は違っていても、自分たちの話や気持ちを否定されずに聞いてくれる環境でした。夫婦は「お話会の場に参加して、やっと普通に呼吸ができるようになりました」と言います。
親からの声かけ以上に傷ついたのが、医療従事者からの言葉でした。
18トリソミーとわかってから、夫婦は混乱している気持ちや悩みを病院に相談しようとしましたが、心のケアについては病院側の態勢が不十分で、誰に相談していいかわからなかったといいます。
そんな環境のなかで、長女が生まれる前の時期に助産師からは
と言われたこともありました。
また出産後、母乳がだんだん出なくなり、妻にとって「母親としてできる唯一のことが奪われた感覚」になり、自身を責めたことがありました。そんな時も、
というような言い方を助産師からされました。責めるような言葉に加え、安易に退院をほのめかすことにも苦しみました。
長女を亡くした後、グリーフケアグループに参加したことがきっかけで、医師や助産師からの言葉に傷ついた経験や、時がたっても悲しみが続いていることを、若手の医療従事者に向けて講演する機会がありました。
その時も、話を聞いた参加者から、
という感想をもらい、悲しみについて周囲との「温度差」を改めて感じたといいます。子どもを亡くした経験の有無など、人によって感じ方が違うとはわかっていても、「あれ?この人は悲しみがいつか消えると思っていたのかな」と違和感を覚えました。
長女が亡くなってから6年。夫婦は日常生活は送れるようになりました。しかし、ふとした時に涙を流すことは今もあります。また、妻は「娘の存在が自分の一部となり、身近に感じるようになってきた」といいます。日々、長女に「おはよう」「行ってきます」「ただいま」といった言葉を声に出したり、心の中で語りかけたりしています。
「悲しみばかりではないけれど、悲しみを『乗り越えた』わけではありません。これからも娘と一緒に生きていくという気持ちです」
「悲しみを乗り越えて」といった周囲からの言葉は、どんな状況で出てくるものなのでしょうか。
流産や死産、新生児死を経験した人たちのカウンセリングに取り組んでいる生殖心理カウンセラーの石井慶子さん(60)によると、悲しむ当事者を見ることがつらい、そうした状況に耐えられないと思う家族や友人が、当事者を叱ったり励ましたりするときに言いがちといいます。
しかし石井さんは「聞こえがいい表現のように感じるかもしれませんが、リスキーな言葉です」と指摘します。
当事者自身が「乗り越える」という言葉を、自分への励ましとして使うことはあり得るといいます。また、時が過ぎた後で本人が振り返ったときに、ようやく「乗り越えた」と感じる人がいるかもしれません。しかし、「周囲から『乗り越える』という言葉を聞いて、違和感を感じる体験者は少なくありません。『悲しみは、乗り越えるべき』ものなのかという価値観の問題があります。悲しみのあり方はさまざまで、形を変えつつ、その人のそばにずっとあるかもしれません」といいます。
石井さんは「何とか気持ちを変えたいと思っても、なかなか変化しない悲しみの中にいるとき、周囲から『乗り越えて』と言われたら、『できないことを強いられている感覚』を感じたり、理解されない事への失望や反発、怒りを感じたりする可能性があります。この言葉かけは、注意深く使われる必要があると思います」と指摘します。
1/7枚