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香港「雨傘革命」若者が怒った「本当の理由」 「1国2制度」って何?
香港が英国から中国に返還されて7月1日で20年を迎えます。香港で2014年の秋、若者たちが中心部を79日間にわたって占拠しました。彼らが持ったシンボルの傘にちなんで、「雨傘革命」(雨傘運動)と呼ばれます。日本を含む世界中の若者に影響を与えたと言われるこのデモが求めたのは、選挙の民主化でした。なぜ、香港の若者は怒ったのでしょうか。なぜ、傘が象徴になったんでしょうか。(朝日新聞国際報道部記者・井上亮)
日本がまだ江戸時代だった1842年。イギリスはアヘン戦争で中国(当時の「清」)に勝ち、香港を植民地とします。以後、香港は独自の発展を進めてきました。
今もオリンピックやサッカー・ワールドカップなどのスポーツ大会には、中国とは別に選手を派遣。独自の通貨(香港ドル。中国は人民元)も流通しています。
しかし、20年前の1997年、イギリスは香港を中国に返還しました。
日本の外務省のホームページは、香港の元首を「習近平中国国家主席」と書いています。香港には行政長官という政治のトップがいますが、その上に中国の国家主席がいるわけです。
そんな香港の様子を示す、「1国2制度」という言葉があります。この「1国」とは中国のこと。香港は中国の一部です。
中国は中国共産党が支配する社会主義国。一方で、香港は1997年に中国に返還された後も、イギリス流の資本主義や民主主義を続けてきました。
イギリスと中国は香港返還に先立ち、2047年までの返還後50年間は、経済制度や生活様式を維持し、行政、立法、司法の独自性を保つことで合意しました。
この合意をもとに、香港のミニ憲法と呼ばれる「香港特別行政区基本法」(以下、香港基本法)が作られ、返還と同時に施行されました。
以上のように、「1国2制度」は、中国という一つの国において、異なった二つの社会、経済、政治システムを採用した状態のことです。
ここから先は、よりわかりやすく解説してもらうために、香港研究が専門の立教大学法学部、倉田徹教授にご登場いただきます。
井上
倉田
井上
倉田
倉田
井上
倉田
倉田
井上
倉田
倉田
井上
倉田
1国2制度と言いながら、香港の人たちの民意が政治に反映されず、北京にある中国政府に左右される。
民主的な選挙の実施を訴える市民のうねりは、「雨傘革命」につながっていきます。
井上
倉田
井上
倉田
倉田
この決定が2014年8月。不満を募らせた市民は、中国の建国記念日にあたる10月1日に向けて、香港の中心にあるセントラル(中環)地区で座り込み運動をする計画をたてました。
これに授業をボイコットしていた学生たちが合流し、大規模な抗議運動へと発展したのが「雨傘革命」です。
デモをおさえ込もうとする警察の催涙弾や催涙スプレーに雨傘で耐えたことが、名前の由来です。
香港中心部の占拠は9月28日から12月15日まで、79日間続きました。
長い路上生活で学生たちは疲弊し、生活に支障をきたすとして市民の反発も強まってきたところに、警察が強制排除を進めて中心部の占拠は終わりました。
その後も民主化を求める運動は続き、雨傘革命の参加者たちは声を上げ続けています。
しかし、2017年の選挙で香港の行政長官になったのは、親中派とされるキャリー・ラム(林鄭月娥)氏でした。
選挙前の世論調査では支持率が30%を切り、対立候補の半分ほど。それでも、親中派が多数を占める1200人の選挙委員は、過半数がキャリー・ラム氏に投票したのです。
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