連載
「俺を見ないでくれ!」変形した顔、当事者が語る差別・恋愛・就職…
顔の変形、あざ、傷、まひ…。病気や事故によって、人とは違う外見の人々がいます。そんな彼ら・彼女らが学校でいじめられたり、恋愛や就職に苦労したりすることを、「見た目問題」といいます。当事者である中島勅人(のりと)さん(42)に、これまでの人生や、本音を尋ねました。(朝日新聞記者・岩井建樹)
――中島さんの症状は
生まれつきリンパ管に、良性の腫瘍(しゅよう)があり、左の顔と舌が大きく膨れあがっています。原因は不明と言われています。
――治りますか
手術で腫瘍を切除し、普通の顔に近づけるしかありません。ただ、リンパ菅は、血管や神経が複雑に絡み合っているため、簡単な手術ではありません。
私は、これまでに計5回の手術を受けています。3歳の時には、大きすぎる舌を切る手術も受けましたが、術後に舌が腫れ上がり、呼吸困難で、命も危ない状況に陥ったと聞いています。
――見た目以外に症状は
日常生活に支障をきたすことはありません。ただし、私よりも症状が重い患者の中には、食べ物を口から摂取できない人もいます。
私の場合は、手術を受けた影響で、顔の左側に、神経障害が残りました。左目は、まばたきがスムーズにできません。左のほほの感覚がほぼなく、たたいても痛みを感じません。
かみ合わせがよくないので、スイカを食べると、ぐちゃぐちゃになってしまいますし、種を口の外に吐き出すことができません。
――この症状で、つらい思いをしたことは
視線です。街に出ると、好奇の目で見られます。すれ違いざまに、「何、あの顔?」と言われたり、「うわっ!」と驚かれたり。指をさされたり、ニヤニヤされたりしたこともあります。
ほほを膨らませてマネをされたり、たたかれたりしたこともありました。小さな子どもには、怖がられることもあります。
特に高校生のころは、見知らぬ人から注がれる視線に、心がかき乱され、いつもイライラしていました。顔を見てくる人がいれば、にらみ返していました。家に帰ると涙が止まらず、壁を蹴りました。今も視線は気にはなりますが、放っておきます。
スマホ時代になり、みんな下ばかりを見ているため、私への視線は減ったと思います。私にとっては、いい時代だなと感じています。
――学校でいじめられることはありませんでしたか
幸いにも、私が学校でひどいいじめを受けることはありませんでした。ただ、いじめに苦しんだ「見た目問題」を抱える知人もいます。
生まれつき顔にあざのある男性は、小学校1年の音楽の時間、「真っ赤なほっぺたの君と僕」という歌詞の部分を、20回くらい繰り返し歌わされ、女性の先生がニヤついた表情で彼を見ていたそうです。今でもトラウマに残っているといいます。
――恋愛はどうでしたか
中学、高校のときは、コンプレックスの塊で、恋愛なんて、この顔の僕には無理だって思っていました。
20代前半のとき、女性とお付き合いしました。「世の中には顔を気にしない人もいるんだな」って、新しい発見でした。顔については、お互い触れることはありませんでした。今なら私のほうから説明しますが、当時は怖くて、顔について話を切り出すことはできませんでした。
――結婚はどうでしょうか
いずれは結婚したいなと思っています。顔を気にしない女性もいると思っています。ただ、結婚の具体的なイメージは描けず、行動に移すこともできていません。
もし父親になったら、我が子の友だちと接するのが怖いです。子どもって素直じゃないですか。「おまえのお父さんの顔は…」って我が子が友だちに言われるかもしれない。公園デビューも、授業参観も、堂々と参加できるのだろうかと、考えてしまいます。
――今は、顔の症状を受け入れていますか
受け入れることはできていません。顔のコンプレックスは棺おけまでもっていくのだろうと思います。今も鏡で顔をまじまじと見ることはありません。朝、寝癖を直すときも髪の毛しか見ませんし。
顔については、「あきらめている」という表現がしっくりきます。「あきらめることは悪いこと」という風潮があると思いますが、あきらめることで楽になれることもあると私は考えています。
私は自分の顔は、「のっぺらぼう」なんだと思い込むようにしています。私の顔には、目も鼻も口も何もないんです。顔がなければ、顔で悩む必要もありませんから。
顔をあきらめている代わりに、服装には気を遣っています。服装で、体全体を着飾ることで、顔だけに人々の意識が向かわないようにしています。
――顔の手術は、また受けますか
今は、考えていません。大学1年生の時、「普通の顔に戻すんだ」と希望をもって、7時間にも及ぶ大手術を受けました。でも、思い描いた「普通の顔」を手に入れることはできず、うちひしがれ、絶望しました。術後は熱が下がらず、院内感染にもかかり、1年以上入院することになり、大学も退学しました。
それ以降、私は手術を受けていません。「見た目問題」の当事者の中には、あきらめきれず、毎年のように手術を受ける人もいます。毎年のように入院することになるので、定職につくことが難しいようです。
――就職活動は苦労しましたか
大学退学後、介護福祉士の資格をとるため専門学校に通いました。
専門学校の先生から、「顔について自分でフォローできるようになりなさい」とアドバイスを受けました。私なりに考え、「この顔のおかげで、患者さんに覚えてもらいやすくなります」「顔の話をしたら逆に心を開いてくれる患者さんもいると思います」と、前向きに回答するようにしました。
今思うと、病院側はわざとそういう質問をして、私のことを試していたのかもしれませんね。
今は介護福祉士として、病院に勤務しています。患者さんから顔のことを尋ねられる時には、症状について説明し、理解してもらっています。
――今、心の支えは何ですか
マラソンです。2006年、テレビでホノルルマラソンの特集番組を見て、「私も出よう」とふと思い立ちました。それまで本格的な運動の経験もなかったのですが、思い切って、参加しました。しんどかったですが、42.195キロを6時間10分かけ、完走しました。走っている間は、走ること以外に考える余裕もなく、顔にも意識が及びませんでした。
それ以降、マラソンにはまりました。週に3~4度、走っています。ホノルルマラソンにも毎年挑戦しています。今では、42.195キロを3時間前半のタイムで走れるようになりました。走ることで、嫌なことや悩みがリセットされます。私のよりどころです。
――中島さんと話した人は、優しくて誠実な方だな、という印象を受けると思います。人間関係で気を付けていることはありますか
この顔ですので、相手の第一印象はよくないかもしれません。マイナスから始まる人間関係を、挽回(ばんかい)しないといけない、と考えています。
だから、言葉遣いに気を遣いますし、相手を不快にするような発言は慎重に避けるようにしています。
――ほかの「見た目問題」の当事者と知り合い、自分の中で変化はありましたか
5~6年前、「見た目問題」を支援するNPO法人「マイフェイス・マイスタイル」のイベントに参加し、様々な症状を抱える当事者の方々と出会いました。
同じような悩みを抱えている人々がいると知って、私は独りじゃないと勇気づけられました。
――最後に。社会に望むことは何ですか。
じろじろ見ないでほしい、それに尽きます。「見た目より中身が大事」と一般的に言われますが、見た目で人を判断する人が多い現実は、私も受け入れています。
ただ、私のように、見た目を重視する世の中の流れには乗っかれない、生きづらく感じている人がいることは知ってほしいです。
当事者の声を届けることで、少しでも差別が減ればと思い、こうしてメディアの取材も受けていますが、本当は目立ちたくありません。写真を撮られることも好きではありません。
顔が普通であれば、私は何の特技もない、どこにでもいる市民ランナーに過ぎませんし。没個性で、もっと地味に、視線も気にせず、世間に埋もれて生きていくのが望みです。
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