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“一発屋”苦しめる「二個目のキャラ」 髭男爵「不発」覚悟の新ネタ
「御存じ“髭島三郎”」「いや、御存じないわ!」。“一発屋”にとって、高いハードルである二個目のキャラ。ライバルは売れっ子時代の自分。新ネタ披露の翌日は「滑った」「不発」と報じられる。「オチは端から決まっている」。それでも“一発屋”は“新キャラ”を作り続ける。
「おっかさーーーん!!」
マイク片手に登場するのは、恰幅の良い着物の男性。
その眼差しは、故郷を懐かしむように、空の彼方へと向けられている。
男の傍らには、上下緑のジャージ姿の若者が付き従う。
彼の名は、“ひぐっちゃん”。
そして着物の男性は、演歌一筋三十五年、御存じ“髭島三郎”…その人である!!
「その人である!!」
と“ドドーン”と紹介してみたものの、
「いや、御存じないわ!」
「どの人だよ!!」
正直な所、髭島三郎など知る人は少ない。
少々、説明が必要だろう。
髭島三郎とひぐっちゃんは、演歌漫才を得意とするお笑い芸人である。
ひぐっちゃんがボケると、
「○○やないかぁぁぁあぁぁいぃいんいぃんぃーー!!」
演歌のメロディ―で、髭島がツッコむ。
ひとネタ終わる度に口パクで、
(アリガトウゴザイマシタ)
と言いながら、深々と一礼。
と同時に、髭島の頭上に大量の紙吹雪が降り注ぐ。
ひぐっちゃんの仕業だ。
彼の腰のポシェットは、常に紙吹雪で一杯である。
要するに、“髭島三郎”は我々髭男爵の二個目…新キャラなのだ。
全ての“一発屋”の悲願であろう、再ブレイク。
二個目を生み出すべく、試行錯誤の毎日である。
アプローチの方法は人それぞれ。
お馴染みの衣装を、マイナーチェンジするもの。
売りである“ラップネタ”を、“メタル風味”にアレンジするもの。
中には、二個目どころか新キャラを量産し、“百の太夫”を持つと豪語するものもいる。
彼ほどの意欲が自分にないのが、チクショーだ。
レイザーラモンHGの二個目、HL(ハードレズビアン)は秀逸である。
金髪に蛍光色のボディコン姿。
腰は前後ではなく、横に振る。
決め台詞は、“フォー!”ではなく、“フェー!”。
因みに“フェ―!”は、フェミニン(女性的な)の“フェ―!”である。
両腕を高く挙げ、
「バンザーイ!!」
の格好となる“フォー!”に対して、“フェ―!”は地面に向かってカタカナのハの字に両腕を開く。
その時、全身のシルエットが漢字の「女」に見えるという、鳥肌ものの出来栄え。
“一発屋”が“一発屋”を褒めても証拠能力に乏しいかもしれぬが、面白いのだ。
とにかく。
「もう一度売れる!!」
その一念で、皆、健気に挑戦を続けている。
しかし、髭島三郎は、そんな前向きな動機から生まれたものではない。
むしろ後ろ向き。
苦手な仕事を乗り切るための、道具に過ぎないのである。
その仕事とは、“囲み取材”。
マスコミを集めて行われる、新作映画や新商品のお披露目イベントの後には、自由な質疑応答の時間…“囲み取材”の場を設けるのが常である。
連日世間を賑わす芸能人の発言の多くは、この“囲み”から生まれるわけだが、ワイドショ―やスポーツ紙面、ヤフーのトップ…ニュースを拡散するには、優秀な“#(ハッシュタグ)”の役目を担う人間、即ち“売れっ子”や“渦中の人物”の起用が肝心である。
「じゃあ、“一発屋”なんかお呼びじゃないだろ!!」
確かに仰る通りだが、出る幕が全くないかと言えば…ある。
「一瞬で汚れが消える洗剤」
「一発逆転のリベンジがテーマの海外ドラマ」
「虎と海を漂流する冒険映画」
消える、一発、リベンジ(=再ブレイク)、漂流(芸能界を)…様々な切り口で引っ掛けて、“一発屋”にもオファーを頂ける。
年に数回程度とは言え、囲まれる機会はあるのだ。
華やかで、いかにも芸能人っぽい仕事。
初めて記者に囲まれた時は、
「これで俺も芸能人だ!!」
と、素直に嬉しかったが、今や苦手。
“囲み”があると聞けば憂鬱になる。
原因は、やはり“一発屋”だ。
“一発屋”になると、
「新キャラないですか?」
という質問をやたらと受ける。
しかし、そう簡単に、
「はい、次!」
と言われても困るのだ。
“一発屋”が越えねばならぬハードルは、ある年、五本の指に入るほど売れに売れたキャラクタ―…つまり、自分である。
まるで、走り高跳びの一回目から調子に乗って、バ―を上げ過ぎた馬鹿ジャンパー。
彼のオリンピックが一瞬で終わるのと同様、我々の“一発目”越えも容易ではない。
とは言え、お笑い芸人が、
「ない!!」
の一言では済まされない。
記者の方々への生贄、供物…囮が必要。
そんな不純な動機の産物が、髭島三郎なのである。
「新キャラないですか?」
「とりあえず、髭島で!!」
ビール顔負けのお茶濁しキャラ。
ビールなのか、お茶なのかややこしくなったが、とにかく、逃げ道は確保できた。
つまり、“囲み”が憂鬱な理由は別にある。
そう。
“訊かれること”は問題ではない。
むしろ、その逆。
何も“訊かれない”ことが問題なのである。
二、三年前。
とある商品のお披露目イベント。
出演者が髭男爵だけにも拘らず、取材の方々も少なくない。
気分良く、イベントを盛り上げ、本編は無事終了。
後は、“囲み”を残すのみである。
「質問がある方はドンドンお願いしますー!!」
MCの女性が、取材陣に呼び掛ける。
しかし、十秒…二十秒…三十秒…嫌な間が空く。
四十秒…五十秒…六十秒…別に将棋を指している訳ではない。
「五八銀か?三三歩成か?」
いやいや、無いのは、次の一手ではなく、記者の方々の質問である。
気まずい。
すると再び、女性MCが記者達に、
「どなたか質問ある方いませんかー!!」
と促し始めた。
「この中にお医者様はいませんかー!」
と節回しが同じである。
(誰が急病人だ!)
心の中でツッコんでも、CAの、もといMCの彼女には届かない。
此方から質問を促せば促すほど、惨めさが際立つのが分からぬのか。
彼女に罪はないが、僕の体面を守るようなデリカシーや機転もなさそうである。
野次馬根性の欠片も感じられぬ記者の方々を眺めながら、
(昔、自分の質問のせいで人を死なせてしまった十字架でも背負っているのか?)
犯人と間違えて、罪のない少年を誤射したトラウマで、銃が撃てなくなった刑事…ドラマでよくある設定の類似パターンかと勘繰るが、そんなはずもない。
それとも、何かの罰ゲームで嫌々足を運んでいるのか。
(誰か何か訊いてくんないかな―)
(いや、お前が訊けよ!)
(早く帰りてー…)
漂うのは、厄介事を押し付け合うような空気。
あくまで僕の妄想だが、全くの見当違いでもなかろう。
気まずい間を埋めてくれる、カメラのシャッター音も今はまばら。
被写体が“売れっ子”であれば、コマ送りのクレーアニメが完成するほど撮りまくるだろうに。
申し訳ない気持ちもある。
非はむしろ此方にあるのだ。
「グラビアアイドルとのお泊りデートを激写される!」
「不用意な発言でツイッターが炎上!」
何か、破滅しない程度のスキャンダルに見舞われれば、彼らの口に合うゴシップの一つも提供出来るのだが、社交性に乏しく内向的な僕の身に、そんな華やかなトラブルは起こり得ない。
タイムリーな話題に、御意見番気取りで自説を披露しようにも、“一発屋”など、芸能界でのヒエラルキーは最下層…説得力も需要もない。
何より、饒舌に語って地雷を踏むのも阿呆らしい。
残る可能性は、
「空き巣に入られる」
「車を盗まれる」
など、いい塩梅の事件に巻き込まれることくらいだが、被害にも遭わない。
つくづく運がない男である。
沈黙のチキンレースに耐え切れず、
「いやいや…何も質問ないんか―い!!」
自らおどければ、笑いは取れるが、負けに等しい。
結局、“囲み”が解かれたのは、開始から十分後。
十分とは言え、僕の体感では、小一時間…地獄である。
地獄に終止符を打ったのは、その日出た唯一の質問、
「新キャラないですか!?」
に応えて披露した、髭島三郎であった。
お茶濁しキャラの面目躍如。
しかも、現場での評判は上々…正直、ウケた。
崇高なる茶道の世界でも、喜ばれるのは濁ったお茶である。
“一発屋”とは言え、僕もプロの端くれ。
大ブレイクの可能性はなくとも、普通にウケるネタには仕上げたという自負があった。
しかし、翌日の記事には、
「髭男爵、新ネタ披露も、微妙な空気!」
「渾身の新キャラも不発…滑ったやないか―い!」
感じ方は人其々。
何より、珍しくもない。
僕の経験上、“一発屋”に関する話題の落とし所は、端から決まっている。
判決ありきの場合が多い。
“一発目”を越えぬ限り、ウケようが、滑ろうが、“二個目”は却下と言うわけだ。
確かに。
“一発屋”の“一発”、その実態は、芸歴の浅い新人のラッキーパンチか、長過ぎる下積み生活に追い詰められたロートルの最後の賭け…我々を“囲む”一部の人々の目には、そんな風に映るのかもしれぬ。
さしずめ、僕などは、後者か。
言ってしまえば、“イタチの最後っ屁”。
いくら力もうが、最後の屁の後に出てくるのは、ウンコでしかない。
であれば、泣き言は無意味。
どのみち、自分のケツは自分で拭くしかないのだから。
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