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商品テストで家燃やす「とと姉ちゃん」モデル、暮しの手帖の驚き企画

「とと姉ちゃん」のモチーフとなっている「暮しの手帖」。商品テストで家を燃やし、ベビーカーで100キロ行進…あまりに過酷な「ガチンコ企画」を連発する異色の雑誌でした。

ロケ地で会見する、「とと姉ちゃん」ヒロイン役の高畑充希さん(中央)ら=静岡県浜松市
ロケ地で会見する、「とと姉ちゃん」ヒロイン役の高畑充希さん(中央)ら=静岡県浜松市 出典: 朝日新聞

目次

 視聴率20%を超える人気を見せている、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。物語はいよいよ、新たな時代の雑誌づくりへと動き始めました。モチーフとなっているのは、一時90万部を発行した国民的雑誌「暮しの手帖」の創業者たちの歩みです。ところがこの雑誌、創刊号からめくってみると、あまりに過酷な「ガチンコ企画」が続々と現れます。まだドラマでは描かれていない、その驚きの中身を紹介します。

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ベビーカー100キロ押す

 「とと姉ちゃん」の物語は「まだ物が十分に無かった時代に、生活のレシピを消費者に分かりやすく伝え、一世を風靡した画期的な雑誌・・・」というナレーションから始まりました。

 現実の「暮しの手帖」が創刊されたのは、終戦すぐの1948(昭和23)年。創刊号から確かに「自分で結える髪」「指人形の作り方」など、手作り感あふれる「生活のレシピ」がふんだんに紹介されています。

 ところが、ものが増え始めた高度経済成長期に入ると、さらに意外な本領を発揮します。

 昭和35年発売の第56号に登場したのが「ベビーカーをテストする」です。市販のベビーカー7車種を購入し、子どもに近い重りを乗せ、それぞれ100キロもの距離を押して歩いています。

第56号「ベビーカーをテストする」。何日もかけ100キロを押した=暮しの手帖社より掲載許諾
第56号「ベビーカーをテストする」。何日もかけ100キロを押した=暮しの手帖社より掲載許諾

 誌面には10キロの地点で、コタカラの後輪右のゴム輪が外れ、85キロ地点でエンジェルのシートが裂けてきた…と各商品の壊れていく様子が克明に記録されています。最後には7車種の性能をランク付け。「全体にザツである」と指摘して、A評価の「おすすめします」にあたる商品はなし。B評価の「まずよろしい」に6車種をあげています。

 実は「とと姉ちゃん」にも、このテストを思わせる場面があります。第1話で主人公の小橋常子(俳優:高畑充希)が、設立した出版社に入っていくシーン。白いつば広帽子をかぶった7人の女性が、ベビーカーを押して社屋を出ていく姿が映っています。

 商品を徹底的に試験し、実名をあげて評価をくだす企画は「商品テスト」と呼ばれ、53年間も続きます。暮しの手帖を「国民的雑誌」にまで押し上げる、原動力となりました。

100キロ押すと、ベビーカーはあちこちが壊れた
100キロ押すと、ベビーカーはあちこちが壊れた

すごい点1:スケールが大きすぎる

 商品テストでは、時折、ものすごい量の人や物が投入されます。

 昭和44年の第99号「自動トースターをテストする」では、4万3088枚もの食パンを焼いています。誌面に掲載された、食パンの山、山、山…とても一企画のために用意した量とは思えません。

 なぜ、こんなに大量のパンを焼く必要があったのでしょうか。

 テストではトースター33台を購入し、1台あたり2000枚ずつ焼いて、焼け具合や耐久性をテストしています。2000枚でも物凄い数ですが、家庭で一日2枚ずつトーストを焼けば、3年で到達してしまいます。長く使える商品かどうかは、実際に大量に焼かないと分からない、というわけです。

 誌面には2000枚に到達する前に、まるで漫画のように煙を上げて壊れてしまったトースターの写真も掲載されています。

第99号「自動トースターをテストする」で山積みにされた食パン
第99号「自動トースターをテストする」で山積みにされた食パン
過酷なテストで、壊れたトースターが煙を上げる
過酷なテストで、壊れたトースターが煙を上げる

 大量投入されたのは、食品だけではありません。

 激しく燃えさかる一軒家の写真が掲載されたのは、昭和41年発売の第87号。タイトルは「火事をテストする」です。

 調べたのは家の中で火を出してしまったときの対処法です。確かに気になるテーマなのですが「それを知るためには、じっさいに一軒の家を 燃やしてみるよりない」と、当然のことのように書いてあります。

 本当に築15年の一軒家を購入。ふすまやカーペット、台所に火を放ち、何秒でどのくらい燃え広がるか、どんな消し方が良いのかを詳しく実験しています。正直、「家ごと燃やす必要あるかな?」という思いもよぎりますが、誌面を見てみると、火災の恐ろしさが圧倒的な説得力で伝わってきます。

 ちなみに、暮しの手帖にはちょくちょく「今なら無理だろう」と思う実験風景が現れます。

 第93号掲載の「もしも石油ストーブから火が出たら」では、ほとんど炎に包まれながら、女性が毛布をかぶせて鎮火させようとする写真が載っています。

 しかも、写真の脇には「毛布をかぶせるのは、かえって火を大きくひろげることが多い」と注意書きが。実験は国の消防研究所の協力のもと行われ、安全面は万全なのでしょうが、「早く逃げて!」と言いたくなります。

第87号「火事をテストする」の見開きページ
第87号「火事をテストする」の見開きページ
第93号。早く逃げて!と言いたくなる迫力
第93号。早く逃げて!と言いたくなる迫力

すごい点2:かける時間が年単位

 結果が出るまで、年単位の時間が経過。こんな事態も商品テストでは珍しくありません。

 昭和32年の第39号「コドモの運動靴をテストする」は、全国38組の親子に靴をはきつぶしてもらうまで、1年4カ月をかけています。

 さらに第二世紀17号(通巻117号にあたる)に掲載された「蛍光灯をテストする」では、64本の蛍光灯の寿命をテスト。部屋で使い続け、半分が点かなくなりテストを終えるまで、2年6カ月が必要でした。

 ナショナルが発売した「3年間、劣化しない乾電池」を、本当に3年間放置したテストも、短い記事ながら印象深いものがあります。自分なら、絶対忘れてる・・・と。

 靴なら回転ベルトに当てて耐久性を調べる、電球なら通常より高い電圧をかけるなど、当時でも短期間で性能を見る方法はありました。

 しかし、暮しの手帖は「普段の生活で使っている状態でテストする」という方針を貫き通します。

 電化製品のプラグの耐久性を調べるにも、必ず人間が5000回抜き差しするのが常でした。その理由を、誌面でこう説明しています。

 暮らしの中では「(試験機械のように)行儀正しく真正面から、静かに入れたり抜いたりしているわけではない。それどころか、コードを引っ張ったり、斜めに差し込んでみたり。(中略)だから、実際の人間が5千回抜いたり差したりして、その結果を調べなければ無意味である」。

 そう言えば、「とと姉ちゃん」の第5話で、常子が大量の桜の造花を作りながら、叔父の鉄郎(向井理)を「おじさん、雑!そんなんだから長続きしないんです。すぐ、投げ出さないでください」と叱るシーンがありました。

 確かに、暮しの手帖の根気強さは、半端ではありません。

第二世紀32号でも、子どもの運動靴をはきつぶすテストをしている
第二世紀32号でも、子どもの運動靴をはきつぶすテストをしている
(左)配線器具のテストで実際に5000回抜き差ししているところ (右)電球のテスト
(左)配線器具のテストで実際に5000回抜き差ししているところ (右)電球のテスト

すごい点3:怒るときは全力

 入念なテストの結果、性能があまりに不十分なものだったら。

 暮しの手帖はしばしば、怒りを爆発させます。

 「要らない商品」「いま、これを買うのは考えもの」など多彩な批判表現が登場するのですが、もっとも激しい怒りを表す言い回しが「愚劣なる商品」です。

 当時登場したてだった「食器洗い機」(昭和43年)と「電子レンジ」(昭和49年)が、この称号を与えられています。

 高価なうえ、いずれも食べ残しがすすぎ切れなかったり、十分に料理に役立たなかったりと、欠点が目立ったためでした。

 中でも食器洗い機への怒りは強く、発売された各社の製品を、第98号、99号、第二世紀2号、第二世紀4号で軒並みテスト。「手で洗えば10分くらいですむ仕事を1時間ちかくかけて しかも不完全に洗ってくれるキカイ」と酷評しています。横倒しにした食器洗い機の写真は、大きな社会的反響を呼びました。

 一方で暮しの手帖は、いったん酷評した商品でも、改善されれば誌面で褒めています。

 食器洗い機を批判した第二世紀4号には、「電気ガマをテストする 12年目の雪辱」という記事も載っています。

 12年前にテストで「ご飯がじつにまずい」と酷評した電気炊飯器の性能が向上。ガス釜とくらべても遜色のない味わいになったと評価しています。

第98号「愚劣な食器洗い機」
第98号「愚劣な食器洗い機」
横倒しにした食器洗い機の写真で、メーカーを批判した
横倒しにした食器洗い機の写真で、メーカーを批判した

「広告なし」を貫き通す

 商品テストを主導したのは、編集長の花森安治さんでした。

 第100号に載っている企画「商品テスト入門」で花森さんは、「商品テストは消費者のためにではない」と強調しています。メーカーに向けてのものだというのです。消費者が商品を選び抜く努力をしなくても「メーカーが、役にも立たない品、要りもしない品、すぐこわれる品を作らなければ、それで済むのである」と訴えました。

 さらに独特だったのが、商品テストに企業から圧力がかからないよう、広告を一切載せない方針を貫いたことです。

 雑誌の販売収入だけで経営を続ける。それは簡単なことではありません。

 「とと姉ちゃん」第70話には、常子の勤める文芸出版社の同僚が「広告でもっているようなもんですからね、雑誌は」とつぶやき、その雑誌に載っている広告が大写しになるシーンがあります。

 しかし、暮しの手帖はその壁を打ち破り、1970年代後半には発行部数90万部に成長します。商品テストは企業という権力に、庶民が言いなりにならないよう対抗する、一種の社会運動として支持を集めました。

「暮しの手帖」を創刊した、花森安治さん(左)と大橋鎭子さん(右)=暮しの手帖社提供
「暮しの手帖」を創刊した、花森安治さん(左)と大橋鎭子さん(右)=暮しの手帖社提供

戦争体験からの決意

 「とと姉ちゃん」の登場人物のうち、花森安治さんをモデルにしたのが「花山伊佐次(唐沢寿明)」です。ドラマでは、内務省に勤める花山のもとを、常子が仕事で訪問。戦意高揚の標語選びに熱中している花山が、「出て行け邪魔するな」と連呼する印象的な出会いが描かれています。

 実際に花森安治さんは戦中、大政翼賛会宣伝部でポスター制作などに手腕を発揮。「欲しがりません勝つまでは」といった戦時標語の普及に携わりました。そうした仕事の裏で、高校時代に始めた雑誌作りに情熱を燃やす、多才な人物でした。

 戦後、花森さんは、常子のモデルとなっている大橋鎭子(しずこ)さんの誘いを受け、ともに暮しの手帖を作り始めます。

 戦中の活躍が、逆に花森さんにとって痛恨の過去となります。

 7月13日放送の「とと姉ちゃん」第87話で、花山が常子に「終戦になって、信じてきたことがすべて間違っていたことに気づかされた」と心情をはき出したように、花森さんの言葉も、残っています。

 花森さんは「ボクは確かに、戦争犯罪を犯した」(1971年、週刊朝日)と語り、「これからは絶対だまされない、だまされない人たちをふやしていく。その決意と使命感に免じて、過去の罪はせめて執行猶予してもらっている、と思っている」と雑誌作りに全身全霊を注ぐ理由を明かしています。

 花森さんは決意通り、1978年に66歳で亡くなるまで、30年ものあいだ編集長を務めました。葬儀は会社の研究室でおこなわれ、手作りの祭壇にはいつも洗濯機のテストで使っていた、白い布がかけられたといいます。

2007年の第4世紀28号に掲載された、最後の「商品テスト」
2007年の第4世紀28号に掲載された、最後の「商品テスト」

 商品テストにも「最終回」が訪れました。2007年の第4世紀28号に載った「ホームベーカリーをテストする」です。暮しの手帖社は「新製品の回転が速すぎて、十分なテストができないまま次の製品が出てしまうようになった」と理由を説明します。

 ただ、読者の心の底深くに、商品テストの思い出は残っているようです。今でも、同社には「家電を買うのに迷っている」といった相談の電話があるといいます。暮しの手帖の歩みを振り返る書籍も、刊行が続いています。

 商品テストには、戦後日本の軌跡と、一つの雑誌が時代を突き動かした記録が、そのまま残されていました。

 「とと姉ちゃん」では、常子や花山たちが、どんな新しい時代の雑誌を作っていくのでしょうか。

暮しの手帖社からは、関連書籍の出版も続いています。(左)ビジュアルブック「『暮しの手帖』初代編集長 花森安治」(右)「花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部」。ともに商品テストのことも、一層知ることができます。
暮しの手帖社からは、関連書籍の出版も続いています。(左)ビジュアルブック「『暮しの手帖』初代編集長 花森安治」(右)「花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部」。ともに商品テストのことも、一層知ることができます。

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