エンタメ
蜷川幸雄が見いだした逸材たち 藤原竜也・吉高由里子・西島隆弘…
日本を代表する演出家、蜷川幸雄さんが都内の病院で亡くなりました。80歳でした。蜷川さんは「世界のニナガワ」として国際的にも活躍。近年は、藤原竜也さん・吉高由里子さん・西島隆弘さんといった若手俳優にも大きな影響を与える存在でした。
「土台から僕を創り上げた人。私生活すべて削り落として向き合った。今も細胞の6、7割は蜷川さんでできている」
2012年の朝日新聞の取材にこう答えた藤原竜也さん。14歳で受けた舞台「身毒丸」のオーディションで蜷川さんに見いだされ、数々の作品に出演してきました。21歳で主役を演じた「ハムレット」では、多くの演劇賞を受賞しています。
藤原さんは昨年、再び「ハムレット」を主演。国内のみならず、台湾やロンドンでも上演し、「蜷川さんとの集大成の年でした」と振り返っていました。
08年に蜷川さんがメガホンを取った映画「蛇にピアス」。主役を演じたのが、吉高由里子さんでした。
世界のニナガワを「タダで見られるから」という理由でオーディションを受けたという吉高さん。蜷川さんからはセリフについて、原作に忠実な台本を守るよう課された一方、演出は厳しさ一色ではなかったと語っています。当時の朝日新聞の取材に「ガチガチに固めず、泳がしてくれた」。得たものを尋ねると、「音で表現すると『グゥオン、グゥオン』と生命力の強い10代最後の自分」と答えていました。
「AAA」のボーカルや俳優として活動する西島隆弘さんは、2012年の舞台「下谷万年町物語」に蜷川さんから誘われました。「初対面なのに、『本読み』の時から、いきなり『ダメだ』と怒鳴られた」
蜷川さんは、戦後間もない時期の設定なのに、そのころの言葉遣いができていないと指摘。「脚本を読み込んで臨んだのに。でも蜷川さんの指摘は、考えるとその通りなんです。負けてたまるかって、闘志がわいた」。西島さんは稽古後に言葉を一つひとつ当時の言葉に置き直して頭にたたき込み、役になりきって徹夜で何度も練習したそうです。そして、翌日の立ち稽古。「蜷川さんから『やるじゃん』と笑ってもらえた」
最終リハーサルの前、「僕の芝居は大丈夫ですかね」ともらすと、蜷川さんは「キミは僕にはないものを持ってる。それをとことん見せて欲しい」。続けて、「間違っているものがあれば、イジメてやるよ」と蜷川さんならではの励まし方で、背中を押してくれたそうです。
「その瞬間や役者のテンションを大切にして、真剣勝負で向き合う現場のだいご味を肌で感じさせてもらった」。西島さんは蜷川さんから学んだことを大切にしています。
蜷川さんは、心臓や肺などに病気を抱え、90年代後半から入院や手術を繰り返しましたが、創作意欲は衰えず、15年は4本を新たに演出しました。傘寿迎えても、自分より若い作家との仕事にも意欲的で、「ライバル意識。組んだら俺も、もっとすごくなるかなあとか。自分が勝手に若いと思っているんだよ」と話していました。
1/15枚