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「千円札事件、法廷が展覧会」 前衛バカ、赤瀬川さんが拓いた地平
赤瀬川原平さんが26日、亡くなりました。老人力をはじめ、様々な未知の領域に挑戦し続けた活動はまさに「前衛バカ」ともいえる人生でした。
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赤瀬川原平さんが26日、亡くなりました。老人力をはじめ、様々な未知の領域に挑戦し続けた活動はまさに「前衛バカ」ともいえる人生でした。
赤瀬川原平さんが26日、亡くなりました。老人力をはじめ、様々な未知の領域に挑戦し続けた活動はまさに「前衛バカ」ともいえる人生でした。
本物とは何か、偽物とは何か、を問題提起したのが「千円札事件」でした。1963年に千円札を実物を同じ大きさに印刷した作品を発表し「通貨偽造」の罪で有罪になりました。法廷には仲間の芸術家が前衛的な芸術作品を持ち込むという前代未聞の裁判になりました。赤瀬川さんは「法廷が展覧会場みたいになって。痛快だった」と語っています。
街角にある変わった建物や広告を観察し批評する「路上観察学会」を1986年に立ち上げました。中でも有名なのが、行き先のない階段です。階段をのぼってもあるのは壁だけ。なぜこんなことになったのか。風化した車止めの石も見方によっては「道より生える岩」という風情を感じる存在に。「路上観察学会」は、そんな手法で物本来の機能とは何か、思いを深めていきます。
「路上観察学会」の活動から生まれたのが「老人力」でした。「路上観察学会」の合宿で藤森照信さんが赤瀬川さんが物忘れをするのを突っ込んだことから、発想の転換で思いついたそうです。老人力ブームについて赤瀬川さんは「暗くない対し方がほしいという人々の気分にぴたりとはまったのかな」と語っていました。
後年、おねしょで悩んでいたことを明かしています。修学旅行にも行けないほどコンプレックスになっていたそうです。そのため、何か一つ長所にしようと思い選んだのが絵でした。しかし、美術学校をめざしていた時は貧乏で苦労をしました。麻を買って、その上に膠(にかわ)を塗り、自分でキャンバスを作っていた時代もあったそうです。
赤瀬川さんは「尾辻克彦」のペンネームで小説も書いています。そして「父が消えた」で芥川賞を受賞。父親の墓探しがテーマの重い内容でした。受賞まで2回候補になっていたため、「周りの雑音も高まる」時期だったそうです。そのため、早く受賞してしまおうと思い、今まで選んでなかった父親を主題にしました。このあたりの動機も、赤瀬川さんらしいエピソードです。
赤瀬川さんの死去には、ツイッターにも多くの著名人から哀悼の声が投稿されました。
赤瀬川原平さんはこんな若造にも気さくに話しかけてくれる方でした。
— 会田誠 (@makotoaida) 2014, 10月 27
信じられない…!赤瀬川さん…!
小さい頃から、絵本よりなにやりトマソンの写真集がだいすきだったーー!あれ、トマソンじゃね?トマソンしてるよね。というのが、親子の楽しい会話だった記憶。
本当に寂しいです。RIP…
赤瀬川原平さん死去 http://t.co/RDnKYLEZ1Q
— ネコ吸い 坂本美雨 (@miusakamoto) 2014, 10月 27
赤瀬川原平さんがお亡くなりになった。お会いしたことはないのだけれども、上京したばかりの頃、同じ画材屋さんを使っていて、画材屋のおばちゃんから彼の話を聴くのが好きだった。ご冥福を祈ります。
— yoshitomo nara (@michinara3) 2014, 10月 27