グルメ
「世の中なめきっていた」頃の〝はたちメシ〟バイト代が入ったら…
二十歳の頃に食べていた「思い出の味」とともに、当時を振り返ると…

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二十歳の頃に食べていた「思い出の味」とともに、当時を振り返ると…
二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか?
久しぶりに食べた「はたち」の頃の好物から、あなたは何を思うでしょうか。
今回は、横浜市で洋品店を開く男性の〝はたちメシ〟です。
井本征志(いもと・ゆきむね)さん:洋品店経営。1978年、神奈川県生まれ。青山学院大学文学部日本文学科を卒業後、玩具を取り扱う会社の商品管理や家具会社勤務を経て、2015年に洋服を中心としたセレクトショップ『Euphonica』を横浜市の仲町台にオープン。30歳になる年に結婚し、現在は妻、高校2年生の娘と横浜市に暮らす。https://euphonica.yokohama/
「はたちの頃、どんなものをよく食べていましたか」の問いに対して、横浜で洋品店を営む井本征志さん(46)は「とにかくお金なかったですからねえ……」としばし考えた。
友達が「このパンまずかったんだけど、いる?」なんてくれてたこともあった、と笑って教えてくれる。そして最後に「学食ですかね」と答えたのだった。
「当時は80円だか100円だったかのハンバーガーがあって助かりました。バイト代が入ったときはビーフシチューを食べてましたね。学食の最上級メニュー。といっても、ワンコイン以下の値段でしたけど」
「バイト代が入ったとき、食べていたアレ」って多くの人にあるものじゃないだろうか。月イチのうれしい楽しみ。私も大学生の頃、給料日には行きつけのラーメン店でミニチャーシュー丼をつけていたことを、思い出しながら聞いていた。
井本さんが通っていたのは、東京・渋谷4丁目にある青山学院大学。学校側に許可をもらい、学食で取材をさせてもらう。
入口のメニューを見れば、目立つところにビーフシチューのサンプルが。27年経った今でも人気のようだ。
ちなみに現在は750円。井本さんが通っていた学食は地下にあって(現在は地上にも食堂あり)、とても横に長いつくりが印象的。
多くの学生でにぎわう中、列に並んでビーフシチューを頼む。肉がごろごろ入って、なるほど若者が喜びそう。味噌汁にサラダ、ライスが付く。
井本さんに早速味わってもらった。
「味、変わらないです。皿も多分これだったような。うん……そう、ごちそうなんです。ごちそうだった。バイト代入ったら一番高い、一番ゴージャスなおいしいもの食べようと思ってた」
胸のどこかから湧いてくるものを言葉にしようという感じで、井本さんは少し遠い目で噛むことを繰り返している。いまは質問をせず、次の言葉を待っていようと思った。
すると彼はぽつり「こんなに、脂っぽかったっけ」と漏らされたので、目を合わせて笑ってしまった。
「はたち」の日から、今年で27年が経つ。ビーフを受け止める舌も胃も、それなりに年を重ねたのだった。
「お金がなかった」と真っ先に言われましたが、バイト代の使い道といえば?
「使い道か……酒、服、本、音楽ですかね。地元の横浜・都筑区にあるロッテリアでバイトしてました。当時は内田百閒やポール・オースターを読んでたかな。ケルアックや織田作之助も」
「飲んでた場所は学校近くの『美弥英(みやひで)』って居酒屋がサークル御用達。服ならキャットストリート裏にあった『オクタゴン・アストニッシュ・アタック』ってショップに通い詰めてて。勉強はしてなかった、世の中なめ切ってましたね(笑)」
時は1998年前後、まだまだ消費文化が色濃く残っていた。若いうちは「とにかく様々なものに触れ、買い、遊べ」というのが推奨された時代もあったのだ。
バイト代を興味あるものに全部つぎ込む人は珍しくなかったが、井本さんはただ消費だけしていたわけでもない。
「うちは三人兄弟で僕は長男なんですけど、高校に入ったらバイトして家に金を入れるというのが決まりでした。だから大学時代も少額ですけど、毎月家に入れてましたよ」
本は高校時代から好きで、そのときは谷崎潤一郎を愛読していた。
「なので文学部を選んで受験して。洋服も好きでしたからデザイナーを志望した時期もあったんですけど、創造系は向いてないというか、そっちの道に行くのはおじけづいたんです」
とにかく正直に、自分を飾らず話される。家にお金を入れていた話も、あれこれ聞き込むうち「ついでに言えば」的に口を開いてくれたのだった。私ならいかにも孝行息子でしょうとばかり、真っ先に自慢してしまいそうなものを。
内容の「俗っぽさが面白くて」古事記をテーマにしたゼミを履修する。「書くことが好きなんだな」という先生の一言がうれしかった。
ようやく勉強に熱が入るも「卒論は通ったのに、必修を一つ落として留年(笑)。4単位のために5年生やって、塾の経理の仕事をしながら学費稼いで卒業しました」。
卒業後は、勤めていた塾の関連会社で働くことに。
「玩具の商品管理が主な仕事でしたが、だんだんと発注からクレーム対応、そして営業職もワンオペで兼任させられて、もうここは無理だなと。その後は家具会社、クレジットカード会社、革製品を取り扱う会社に勤めました」
そしてある会社では、サービス残業が連日当たり前のように強いられた。
これまた就職氷河期世代の「あるある」かもしれない。
定時で帰ろうとすると「やる気がない」そして「非常識」とすら思われた時代。さらには「そんな企業を選んだ自分も悪いのでは」と自己責任論にさいなまれる……。
「すり減るもすり減っちゃったんです。そして組織の中で働くリズムと自分は合わないんだな、と。勤めには向いてないんだと思いました」
転職活動をしようとはもう思わなかった。胸の中に湧いてきたのは「セレクトショップをやりたい」という思い。
36歳のとき、地元に近い横浜の仲町台に『Euphonica』(ユーフォニカ)を立ち上げる。今年はちょうど10周年を迎える年だ。
「コネもツテもないのに、ただ服が好きという気持ちで始めて。いまだに経営はギャンブルです、でも僕が心から興奮できる服や物を取り扱えるのはうれしいですね」
井本さんはブログやSNSの更新も熱心に行っている。彼の発信から生まれたファンが店を訪ねることも多く、客層も10代から60代までと幅広い。いま余暇の楽しみは、友人たちとのたまの山登り。
「会社員時代に始めました。人間がいやになってた時期で、ひとりで登山したくなって。山梨県にある滝子山ってところがいいんです、登っているとずっとせせらぎが聞こえるんですよ」
仲間と飲んで遊んで「楽しかった」大学時代、そして20代後半から30代後半は「すり減った」時代。そして自分に合った場所と仕事を創り出して歩む40代。
「今後はもっと安心して仕事をしたいですね。自分というレーベルをしっかりと続けていきたい」
店はずっとひとりでまわしている。それで週1の定休以外はほぼ休んだことがないというから、健康そのもの。
「定休日も展示会に行くことが多いので、実質無休みたいなものですが、会社員のときと違って休みたい欲求がない。一時期あった腰痛も最近は改善されているし、ストレスといえば売り上げだけかな(笑)」
取材を終えて帰るとき、学食の入口には「ビーフシチュー売り切れ」の張り紙があった。
近くにいた学生さんに「ビーフシチュー、好きですか?」と聞けば「大好きです!」と元気な声で即答される。
青学の人気メニューは、これからもいろんな人の「はたちメシ」になりそうだ。
取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター、コラムニスト。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)『のっけて食べる』(文藝春秋)など。近著に『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)、『はじめての胃もたれ』(太田出版)、『はじめましての旬レシピ』(Gakken)など。
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