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感動

「お父さんはもうお馬にはなれません」29歳、特攻直前の手紙

息子へ、弟へ、家族を思う気持ちは、戦時中も今も変わりません。家族に宛てられた「手紙」にまつわるエピソードを紹介します。

幼い頃の久野正憲さん(中央)の家族写真。右が戦死した父・正信さん
幼い頃の久野正憲さん(中央)の家族写真。右が戦死した父・正信さん 出典: 朝日新聞デジタル 妻へ子へ、遺された言葉 忘れない、戦時中の手紙

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 息子へ、妻へ。家族を思う気持ちは、戦時中も今も変わりません。家族に宛てられた「手紙」にまつわるエピソードを紹介します。

「お馬にはなれませんけれども」

 1945年5月、特攻隊の一員として沖縄で亡くなった久野正信さん。29歳の若いお父さんでした。5歳の長男正憲ちゃんとその妹が読めるよう、全文カタカナの手紙を送り、もう2人を背に乗せてお馬さんごっこができないことを伝えていました。

久野正信さんが子どもにのこしたカタカナの手紙
久野正信さんが子どもにのこしたカタカナの手紙 出典:朝日新聞デジタル 妻へ子へ、遺された言葉 忘れない、戦時中の手紙
正憲さんの心をとらえている一文がある。
《オホキクナッタナレバ ヂブンノスキナミチニ スヽミ リッパナニッポンヂンニナルコトデス》
「親の言いつけを守るのが当然の時代。自由に生きろ、とは心の広い人だったんだなと思います」
「特攻は犬死にでも、華々しい死でもない。我々遺族にとっては大切な肉親の命が奪われたという事実があるだけです」。(岩崎生之助)
朝日新聞デジタル 妻へ子へ、遺された言葉 忘れない、戦時中の手紙

4歳児抱き漂流3日、力尽きた父

 高良政勝さんには、大切に保管している古い手紙があります。1944年8月、当時4歳だった高良さんを乗せた疎開船「対馬丸」は魚雷で沈められました。3日間漂流しながらも4歳児が助かったのは、お父さんが抱いてくれていたから。手紙は船に乗っていなかった高良さんの兄がそのことなどを祖父母に伝えるために書いたものだそうです。

 《勝ちゃんははじめ父に抱かれていたが、ボーイが強いて受け取ったとの事です。父のイカダは縄が切れたとのことでした。》「父は3日間私を抱きかかえ、船乗りに渡した瞬間に力尽きてしまったんだろう。手紙が残っていたおかげで父に感謝できた」と政勝さんは言う。(以下略)(木村司)
朝日新聞デジタル 妻へ子へ、遺された言葉 忘れない、戦時中の手紙

 高良さんと妹は助かりましたが、船に乗っていた高良さんの両親やきょうだい計9人が亡くなったそうです。

橋田正吉さんが旧満州の戦地から妻子の無事を願って書いたはがき
橋田正吉さんが旧満州の戦地から妻子の無事を願って書いたはがき 出典:朝日新聞デジタル 妻へ子へ、遺された言葉 忘れない、戦時中の手紙

 31歳だった橋田正吉さんが新婚1年ほどの妻節子さんに戦地から送った手紙も残っています。2人は1944年に結婚。翌年2月に長男眞蔵ちゃんが生まれましたが、橋田さんは5月に軍隊に入り、終戦後、シベリアの捕虜収容所から運ばれる途中に亡くなったようです。

眞蔵も大きく成った事と思う 病気させぬ様頼む
もう歯が出来たとの事 早い事だ。隊に居れば便りが唯一の楽しみだ ちょい●(●は繰り返し記号の「く」)近況を知らせてくれ

内地に引き揚げた節子さんは、夫の死を知らされた後、別の男性と再婚した。手紙は節子さんの死後、病床の荷物の中から見つかった。30年前のことだ。(奥村智司)
朝日新聞デジタル 妻へ子へ、遺された言葉 忘れない、戦時中の手紙

 山口県周南市の大津島にある人間魚雷「回天」の記念館にも特攻隊員たちの遺書が保管されています。記念館前には「回天」のレプリカ。戦争末期、これに乗り、たくさんの若者たちが敵の船に体当たりを仕掛けて亡くなりました。筆者はここに幾度か足を運びました。

回天記念館前にある人間魚雷「回天」のレプリカ
回天記念館前にある人間魚雷「回天」のレプリカ 出典: 朝日新聞

 「幸福の条件の中から、太郎を早く除いてください」と記されているのは、21歳で亡くなった塚本太郎さんの遺書。茨城県出身の若者です。

 写真からは「正直な処、チョット幼い頃が懐かしい気がします」という文字が読み取れます。途中は「母上」とつづりながら、末尾では「ママ、パパ。私のすることを信じて見ていてください」という文字が読み取れました。最後の最後だけは、子供に戻りたかったのかな。

回天記念館に展示されている塚本太郎さんの手紙
回天記念館に展示されている塚本太郎さんの手紙 出典: 朝日新聞

「母さんの涙が怖いのです」

 氏名不詳で手紙は残されていませんが、その内容が伝えられている遺書もあります。記念館長の松本紀是さんは全文を暗記し、訪れた人に暗唱してくださいます。

回天搭乗員(氏名不詳)が書いた手紙

 お母さん、私はあと3時間で祖国のため、散っていきます。胸は日本晴れ、本当ですよ。お母さん、少しも怖くない。

 しかしね、今、時間があったので考えていたら少し寂しくなってきました。それは今日私が戦死する。通知が届く。お父さんは男だから、分かっていただけると思います。が、お母さん、お母さんは女だから、優しいから、涙が出るのではありませんか。また、弟や妹たちも兄ちゃんが死んだと言って寂しく思うでしょうね。

 こんな事を考えていたら、私も人の子、やはり寂しい。しかし、お母さん考えてみてください。今日私が特攻隊で行かなければどうなると思いますか。戦争が日本本土まで迫って、この世の中で一番好きだった母さんが死なれるから私が行くのですよ。母さん、今日私が特攻隊で行かなければ、歳を取られたお父さんまで銃を取るようになりますよ。

 だからね、母さん。今日私が戦死しても、どうか涙だけは耐えてくださいね。
 
 でもやっぱり駄目だろうなあ。お母さんは優しい人だから。私はどんな敵だって怖くありません。私が一番怖いのは母さんの涙が一番怖いのです。
2012年5月13日付朝日新聞 「愛する母よ 回天搭乗員の遺書~きょう母の日」

 日本中が巻き込まれた戦争です。両親や祖父母からじっくりと話を聞いてみると、これまで知らなかった御家族の物語が浮かび上がるかも知れませんね。

 朝日新聞西部本社は、戦時下の生活を見つめ直す記事を掲載していきます。当時を物語る品々の情報をもとに記者が取材を進める読者との双方向企画です。戦争によって離ればなれになった家族に宛てた手紙や、当時の生活がしのばれる写真などを大切にお持ちでしたら、情報をお寄せください。住所、氏名、年齢、連絡先と、どんな物をお持ちかを明記の上、お手紙でお寄せください。内容に応じて、取材させていただければと思っています。宛先は、〒812・8511(住所不要)朝日新聞福岡本部社会グループ「戦後70年取材班」。ファクス(092・461・0607)、メール(s-shakai@asahi.com)でも可。
朝日新聞デジタル 妻へ子へ、遺された言葉 忘れない、戦時中の手紙
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