話題
1年かけて100層近く重ねる絵の具 「憲法」の条文を絵にした画家
「すべての足元には土がある、だから私は土から描く」
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「すべての足元には土がある、だから私は土から描く」
絵の具を重ねて下地をつくる、独自の手法で描く画家がいます。日本国憲法の条文を絵画にした「憲法シリーズ」110点を、およそ5年をかけて制作。ほかの作品も1年ほどかけて描きます。デジタルツールでの創作が広がっているなか、自身の手法をどう感じているのか、話を聞きました。
奈良県に住む画家の弓手(ゆんで)研平さん(55)は、筆でたたき込むようにキャンバスに油絵の具を重ねます。100層近くまで繰り返され、制作期間はおよそ1年です。
弓手さんは1970年、大阪府門真市に4人兄弟の次男として生まれました。幼少期からよく絵を描いて遊んでいたといいます。
「飛行機の絵を描いて父親に褒められたのを覚えています。奥の翼を小さく、手前の翼を大きく描くと飛行機が飛んでいるように見えることに気づいて、それをやたらと描いていました」
しかし、弓手さんが6歳の頃、一番下の弟が生まれてすぐに母親が急性骨髄性白血病を患い、家族は離れて暮らさざるを得なくなりました。
「当時小学2年の兄と、幼稚園年長の私は児童養護施設に、幼い二人の弟は祖父母に預けられることになりました。様々な事情があり、両親も苦渋の決断だったようです」
施設に入った日のことは、半世紀経った今でも鮮明に覚えています。
「一緒に行った母はよろよろしながら施設の近くで泣き崩れ、私たちを抱きしめました。母と別れるまではいつものお出かけだと思っていたのに、母だけが帰っていく姿を見て『これはただ事ではないんだな』と感じました」
当時、施設では上下関係があり、「新入り」だった弓手さん兄弟は周りの子どもたちから暴力を受けたといいます。
「6歳でしたが命の危険を感じるほどで、『強く生きていかなければいけない』『どうすれば自分が自分でいられるのかな』と考えていました」
厳しい環境のなかでも「嫌なことを忘れられた」のが、絵を描いている時間でした。
「わら半紙に鉛筆で何かしら描いていると気持ちが楽になりました。時間があれば落書きをする、そんな感じで過ごしていましたね」
この頃の経験が、画家を夢見るきっかけになりました。
母親の他界後、父の再婚を機に10歳で奈良県へ移り、兄弟は再び一緒に暮らせることになりました。高校では画家の夢に向けて美術部へ入部。夢中で絵を描きました。
「休みの日は奈良県内を自転車で回って国宝の建物や春夏秋冬の風景をスケッチブックに描く作業がとても楽しく、新鮮でした」
「自分が美しいと感じるものは、なぜそのように感じるのか。実景を見て考えながら描いていました。次第に、スケッチブック上に表面的な色から入るのはとても浅いことだと気づいたのです。もっと土台から作らないと自分が感じたようには描けません」
29歳で本格的に画家としての生活を始めました。
弓手さんの作品は、キャンバスの上で何度も四季が巡ります。
「春の色を置いたあとに夏の色を置き、夏の色のあとに秋の色を置く。例えば、紅葉の色で鮮やかになったとして、一瞬きれいなんだけれど、『これはまだ若すぎる』と考えて冬の色で真っ白に潰してしまうんです。そしてまた次の春の色を置く。その繰り返しです」
「そうすることによって、1年、2年と年輪が増していくような厚みが出ます。100層ぐらいになると、20~30年分の年月が1枚のキャンバスに隠れている。地層のような土台の上に木が生えたり、花が咲いたりして、圧倒的な存在感が生まれます」
36歳のとき、日本国憲法のすべての条文を絵画で表現する「憲法シリーズ」に取りかかりました。きっかけは一人の弁護士からの依頼です。
「日本人の足元に当たり前にありすぎて意識しなくなっている憲法を、弓手さんの感覚で描いてみませんか」
法曹でも学者でもなく、画家の解釈で自由に表現するーー。弓手さんは「いつまでかかるかわからないけれど」としながらも、挑戦を決めました。
どう描くか悩むなかで主眼に置いたのは、「憲法は人々が幸せに暮らすためのルール」という点です。
「幸せとは何か」を考えているとき、ブータンの幸福度について紹介する新聞記事を読んで現地を訪れました。しかし、「国際空港の前の道ですらガタガタ」で、衝撃を受けたといいます。
現地のガイドに尋ねると、明確な答えが返ってきたそうです。
「道を整えれば経済は発展するでしょう。しかし遠くまで仕事に出かけなければならなくなり、家族が毎日いっしょにご飯を食べられなくなってしまう。それは幸せなことではない」
弓手さん自身、幼少期の経験から家族で食卓を囲む大切さを感じていました。「ブータン人の考え方で憲法を表現できたら、大事なものを見つけられるんじゃないか」。そんな思いで、5年かけて全110点を描き上げました。
憲法を描いたことで「足元にある幸せとは何か」を意識するようになった弓手さん。
憲法シリーズの後、「すべての足元には土がある、だから私は土から描く」というコンセプトを打ち出しました。
デジタルツールを使った創作が広がる今、写真をもとに描いたり、効率よくつくられたりする「『インスタント』な表現があふれている」と感じているそうです。だからこそ、土台から時間をかけて積み重ねていく自身の作品の価値に思いを巡らせているといいます。
「何年も変わらないスタイルでやってきましたが、世の中の流行りがどんどん私の感覚と離れていっているように思っていました。しかし、今では逆に私の作品は新鮮に映り、目立つ。これが『武器』だと感じています」
現在暮らす奈良県には国宝が多く存在します。1300年以上もたたずむ塔、世界最古の木造建築、古の姿を伝える絵巻……。弓手さんにとっては、すべて身近な存在です。
「これらは、人々が守り続けようと思ったからこそ今も残っています。私も、いつの時代にも伝わるような作品、大げさに言えば100年後、1000年後にも守り継がれる『国宝』のような作品をつくってみたい。そのような領域でものづくりをしていきたいと思います」
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