話題
「これ食え!」とウクライナ軍人がくれた豆 〝ひとり〟ゆえの思い出
観光心理学者×旅好き若手記者の座談会〈前編〉

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観光心理学者×旅好き若手記者の座談会〈前編〉
物価高や時間的制約でひとり旅がしにくくなっているともいわれる昨今、ひとり旅を「する」側の若者はどのような考えでどのような旅をしているのでしょうか。家賃800円の寮に住んで旅費を貯めたり、安宿や旅先で出会った人の家に泊まったりしながら旅を経験した20代の記者2人と観光心理学の専門家が語り合いました。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)
○林幸史(はやし・よしふみ)
1976年大阪府八尾市生まれ。大阪国際大学人間科学部心理コミュニケーション学科教授。 大学時代にひとり旅を始めた。来年50歳になる記念にヒッチハイクでの日本縦断を計画中。
○マハール有仁州(まはーる・ゆにす)
1996年神戸市生まれ。パキスタンと日本にルーツがある。2021年に朝日新聞社に入社後、金沢、千葉の両総局を経て現在は東京本社のネットワーク報道本部員。国内は高知・熊本以外踏破済み、海外はアジア・ヨーロッパを中心に61の国と地域。小学校時代パキスタンに2年在住、高校はオーストラリアに1年間留学した。
○川村さくら(かわむら・さくら)
1997年福岡県筑後市生まれ。2020年入社後、北海道報道センター、前橋総局、大阪本社を経て現在は東京本社のデジタル企画報道部員。47都道府県は踏破済み、海外は15カ国ほど訪問。
川村)きょうは座談会というか、林先生にインタビューしてもらおうくらいの姿勢で楽しくお話できればと思います!
まず自己紹介。私は福岡の人口5万人ぐらいの田舎の出身です。母がシングルマザーで、特に大学時代はお金がない中でなんとか旅をしていました。おもに国内を1人で旅をするのが好きです。
マハール)父がパキスタン出身で、神戸で生まれ育ちました。小学生時代はパキスタンのカラチというところに2年間住んでいました。高校時代には1年間オーストラリアに留学しました。大学は東京でしたが、その時に結構1人であちこち行きました。
川村)母が自然や温泉が好きで、阿蘇(熊本)や九重(大分)への1泊2日のドライブ旅行がたまにあったぐらいでしたね。初めて新幹線に乗ったのは中2の関西への修学旅行。初海外は高2のベトナムとカンボジアへの修学旅行でした。向こうの高校の子たちと交流するという行事があって、初めて英語で人と話しました。
あと小3くらいの時に、「島にホームステイをしませんか」というチラシが学校に届いていて、幼なじみと2人で電車に乗って長崎の五島列島の島に行きました。その島には以来何度も訪れています。あの頃から、知らないところに行きたいという関心が強かったのかも。
実家は元々農家で、祖父母は完全に地元だけで生きてきた人です。次いで母は大学に行って教員になり、私は転勤族に。この代々のバトンがあって今の私は好き勝手に動き回れます。祖母は地図が好きで、一昨年実家に帰った時は、妹が高校で使っていた地理帳を眺めていました。「ばあちゃんはこの地図の中で旅をしよると」と話していて、「ああ切ない」って思っちゃって。祖父が他界して自由が利くようになったので最近は祖母とよく2人で旅行に行きます。
マハール)地図が好きっていうのは私もそうでしたね。小学校1年生の頃に喋る地球儀を持っていて、タッチペンで国を押したらその国の音楽が流れるみたいなもの。それでいろいろな国を覚えるようになりました。
川村)マハールさんのお父さんは仕事でパキスタンから日本へ?
マハール)そうです。神戸にはオールドカマーとして戦前からいるような中華系の人や朝鮮系の人もいれば、私の父みたいなニューカマーというか、バブル期に日本へ夢を追ってくるみたいな人もいます。父は中古車を輸出する業者で、日本に住むパキスタン人に多いパターンです。
川村)私も中古車販売業のパキスタン人に飛行機の中で出会いました。一昨年、マニラから帰る飛行機で隣になってた人で、日本語ペラペラ。イヤホンを貸してほしいと言われて有線イヤホンを貸したら「一緒に映画を見よう」と言われてイヤホンを片耳ずつはめて、彼のパソコンで字幕のないインド映画を2時間見ました。いっぱい解説してくれて面白かった。
林さん)お二人は同じ歳くらいだけど、全然バックグラウンドが違いますね。
川村)私は母や祖母ができなかったことをやろうみたいな、ある種の「渇望」があるのかもしれないです。
マハール)僕は母の「英才教育」があって…。母は旅好きな人で、父を置いてよく2人で夏休みなどには外国に行っていました。2週間とか3週間くらいかけて回るので、安めの宿を転々として、インドではエアコンもないような部屋で滅茶苦茶暑い中扇風機だけで寝たりみたいな。一泊300円とか200円ぐらいだったかな。
林さん)それって何歳くらいの頃なんですか?
マハール)インドに行ったのは11歳のときでした。お母さんが「行きたいからあんたも来る?」みたいな。
川村)お母さんは、マハールさんが生まれる前に、旅行が生活のルーティーンだったタイプなのかな?
マハール)そういうわけではないらしいんですけど、学生時代にシンガポールに1ヶ月ぐらい旅行で滞在していてすごく楽しかったらしいです。でも、それだけあっちこっち回るようになったのは僕が生まれたあとだと思います。
川村)面白い。大体の人は親になると真逆の動きになりそうだけど。
マハール)確かに。母は大学卒業後は会社勤めをしていたけど結婚を期に辞めて専業主婦になったので、行きやすくなったっていうのもあるかもしれません。
林さん)川村さんもおばあちゃんと旅行してるんですよね。外交性とか刺激への耐性みたいなものって遺伝が大きい気がします。おばあさんは元々あったけど実行できなくて、今は孫娘がサポートしてくれて行けるようになった。おばあちゃんにも話を聞いてみたいな。ここに呼んでもよかった(笑)。マハールさんのお母さんも!
川村)祖母はお見合い結婚後、旅の自由なんてない50年を生きてきました。昨年はロサンゼルスに大谷(翔平)選手を見に行ったり、車で四国を一周したりしました。今80歳ですが、元気なうちにたくさんのものを一緒に見に行きたいです。
川村)私の初めてのひとり旅は、大学2回生の終わりの春休みに行った屋久島でした。当時は本当にお金がなくて、家賃800円の寮で暮らしながら普段の生活費を削って旅費に回していました。
ひとり旅ではないですが、カウチサーフィンっていう、「家に泊まってもいいよ」という人と泊めてほしい人をマッチングするサービスを使ったこともあります。女4人でヨーロッパに卒業旅行に行った時に利用しました。事前に色んな人とチャットしてレビューもチェックして安全そうな人を見極めて。泊めてもらう代わりに私たちは日本食を作りました。
林さん)カウチサーフィンっていうのは、若い人から聞いて「すごいなぁ、知らない人、しかも外国の人の家に泊まるの大丈夫なのかなあ」って思ったけど。
川村)ウーフっていう有機農業の農家に住み込みで働くサービスの利用者も、日本のゲストハウスを回っているとたまに見かけます。安く宿泊したい人のためのツールが最近いろいろありますね。
マハール)カウチサーフィンはイランに行った時に、現地で出会ったバックパッカーと情報交換をするなかで教えてもらって。キルギスとかソマリランドとかで使ってました。
林さん)ひとり旅デビューはいつごろなんですか?
マハール)大学2年の春にリトアニア、ラトビア、エストニアのあたりに行きました。次の夏はイギリスまで飛行機に乗らずに陸路と海路で行くチャレンジをしてみたんですけど、早々にお金が尽きて母に前借りして結構お世話になりました。
林さん)デビューのときは不安とか緊張とかありました?
マハール)ありましたね。危険な目に遭わないかなとか、何かあったとき言葉が通じなかったらどうしようかなとか。リトアニアの空港に着いたあと電車に乗って、早速そこで財布を落として。でも駅員さんに聞いたら届いていて、「意外となんとかなるぞ」と気持ちが切り替わりました。
川村)振り返ると、ひとり旅初心者のころはとことん忘れ物が多くて、毎日移動しているからなのか、定期券やスマホや財布など毎回何かしらなくしてました…。
林さん)そうか、初めてのひとり旅のときからスマホがあるんですね…!
マハール)母親と行っていた時は観光案内所に行って地図をもらって、宿も安いところを聞いてましたね。私も最初にバルト三国に行った時はそうしてたんですけど、結局ブッキングドットコムとかの方が安いところが見つかりますね。マップでも自分の居場所がわかるし。当地のSIMカードを入れれば安くネットも使えるので便利ですよね。
林さん)うわー、ずるい(笑)。旅先で印象的だった出会いとかあります?
マハール)トルクメニスタンでの出会いがおもしろかったです。ガスが燃え続けている「地獄の門」っていう名所があって、そこで出会ったトルクメニスタン人のおっちゃんとお姉さんが泊めてくれることになったんです。車に乗せてくれたんですが、男性のパートナーだと思っていた女性が途中で降りて行って。聞いたら「今のは不倫相手だ」って(笑)。家に着いてからは本物のパートナーの方が作ってくれたご飯がおいしかったです。
林さん)危険な目に遭ったことはないですか?
マハール)キリマンジャロに登ったあと、体が動かなくなって病院に運ばれました。ベッドで寝ていたら向こうの方から修道女のような人が来て祈り始めて、「俺死ぬんや…」と思いました。後で聞くと、そこはキリスト教ミッション系の病院で女性は看護師さんでした。
川村)高山病だったんですか?
マハール)逆に高山に適応しすぎたことによる「低山病」でした。
林さん)川村さんは、女ひとり旅で危ない目に遭ったことはないですか?
川村)旅先で出会うのは40代以上の人たちが多くて、可愛がってもらうことが多いです。昨年は隠岐の島のゲストハウスで広島から来ているおっちゃん2人組と仲良くなりました。車に乗せてもらって一緒に買い物に行ったり、海に泳ぎに行ったりしていました。先日祖母と広島に出かけた時にそのおっちゃんがやっている店に行って再会しました。
川村)おもしろそうな博物館とかゲストハウスを見つけて、それを起点に決めます。そのあと公共交通の時刻表を見て徐々に色んな予定が固まっていく過程が楽しいです。パズルみたいな感覚。
あと、行くからにはちゃんと土地の歴史や風土、文化を理解したいと思っています。うわべの観光はしたくない。時に海外だと前提知識が欠如していることが多いから、せめて新書1冊だけでも読んでいくと街を歩くときのおもしろさが違う。
1回行った土地のことってすごく常に身近に感じられますよね。いろんな土地で地域の人と喋ることで、災害や事件事故をふくめて世の中の出来事を人ごとにしないようになれると思っています。
マハール)非常に同感ですね。「世界の出来事を人ごとにしない」というのは、目的というより結果としてそうなっているのかなって感じがします。
モスクワからキエフまで電車に乗っていたとき、国境を越えたあとウクライナ軍人が乗ってきました。
「お前ガリガリやなあ、これ食え!」って袋にぱんぱんに入った枝豆みたいなのをくれた彼のことを、ウクライナ侵攻のときは思い出しました。
ひとり旅は、一人でどこまでいけるかというより、どんだけいろんな人の力を借りれるか次第かなって。色んな人の優しい気持ちに触れ、親切にしてもらうので、結果的に自分も他人に優しくする、みたいな。寛容な心を持つ人間になれる気がします。
川村)特に海外から帰ってきたての日本の駅とかで困っているインバウンドの外国人とかを見かけると、こっちから向かって行ってしまう(笑)。「何で困ってる~?」って。立場が逆転したらやっぱりやってもらったことを返したくなる。
林さん)旅先で色々助けてもらうっていうのは、まず1つはお2人がまだ若いというのがあるんじゃないかと思います。逆に今度は私がする側やと。だから今だけですよ(笑)
川村)あと、受験の時に日本史とか世界史とかやるじゃないですか。テキスト上のものでしかなかったものを大人になって自分の目で見に行くことが、ある種の答え合わせっていうか、「これ知ってる!あれ分かる!」ってなるのが楽しいです。知識を経験として取り込む作業、的な。
林さん)真面目さがありますよね、お二人はすごく。そういう新聞記者さんの素質は絶対あると思います。そこまで私、真面目に旅してないもん(笑)
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