コラム
「家賃800円」で暮らした学生時代 廃止も続く「自治寮」の意義とは
タヌキの写真を学生時代のスマホから掘り出しました

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タヌキの写真を学生時代のスマホから掘り出しました
大学の「自治寮」と聞いてどんなイメージを浮かべますか?私は5年前まで、京都で大学生として「家賃800円」の寮生活を送っていました。家計が苦しくても安心して学べるように、自治寮が果たしてきた役割は大きいと実感しています。しかしながら近年、全国各地の大学の自治寮への風当たりが厳しくなっています。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)
学生が自治にもとづいて運営する自治寮は、経済状況にかかわらず暮らし、学べる環境を提供してきました。
京都大学にはこうした「自治寮」と呼ばれる学生のための寮が4つあります。寮の建物の所有者は大学ですが、運営は寮生たちの自治会が行っています。
1913(大正2)年に建てられ、現存する日本最古の学生寮が「吉田寮」。数百人が暮らす鉄筋コンクリートの「熊野寮」。大学院生だけが暮らす「室町寮」。そして私が暮らした「女子寮」の四つです。
家賃は正式には「寄宿料」と呼ばれ、寮ごとに設定されています。女子寮では寮自治会と大学に400円ずつ渡していました。光熱水費は別途、寮の会計係によって月3千円~4千円ほど徴収されました。
「自治寮」とはいったいどのような寮を指すのでしょうか。
吉田寮の卒寮生で旧制中学・旧制大学の寮の歴史に詳しい近畿大学教職教育部の冨岡勝教授に聞くと、「はっきりした定義はない」と言います。
「寮の自治会があって生活に関することを話し合って決めていたら、それは自治寮と言えるのではないかと考えています。特にどのような人を寮に入れるかを選考する実権を自治会が持っていたら、それは明確に自治寮と言えます」
私が京大に進学するための条件は、自治寮に入ることでした。経済的な理由から、シングルマザーの母が決めたものでした。
私が受験している間に、母は寮を見て回り、吉田寮と熊野寮のカオスさに驚いたようで、「女子寮にしてくれ」と懇願されました。
女子寮に入るため、家庭の経済状況を証明する資料などを提出し、寮生による面接を経て選考を通過し、私は女子寮生になりました。
女子寮は1959(昭和34)年に完成。私が住み始めた2016年の時点で建設から半世紀以上が経過していました。
台所、トイレ、風呂などの水場はすべて共用で、毎日その日の当番が掃除をします。
当時の居室のほとんどは2人部屋で6畳ほど。備え付けのベッド、勉強机、押し入れが部屋の両脇に取り付けられていました。
居室に冷暖房はなく、夏は汗だくで冬は布団にくるまって過ごしました。
夜遅くに帰ると、駐輪場でよくタヌキに遭遇しました。
庭に大きな桜の木があって、春には窓越しに目の前で揺れる花びらがきれいでした。
部屋を借りて一人暮らしをしている大学の友人たちは、だいたい5万円ほどの家賃を払っていました。すなわち年間で60万円、4年間で240万円がかかります。
対して月800円の寄宿料は年間で9600円、4年間で4万円もかかりません。
私は書店やカフェなどさまざまなバイトで生活費を稼ぎました。
1日3食コーンフレークとか、3食そうめんとか、バランスの悪い食事でなんとか日々を乗り切りつつ、たまには友人たちと飲みに出かけられるくらいの余裕はありました。
記者になるために就活で東京と京都を何度も夜行バスで往復しましたが、そのお金もなんとか捻出して、無事記者になることができました。
現在の寄宿料は800円ではなく、2万5千円になりました。
老朽化による建て替えにともない、大学と自治会との話し合いを経て寄宿料は上がりました。
私が2年生になる春に建て替えが始まり、4年生になる春に新寮が完成しました。私は旧寮で1年、大学が用意した代替宿舎で2年、新寮で1年を過ごしました。
学生だった当時は、寮の「自治活動」に特に熱心だったわけでもなく、「安く暮らしていくための義務」という程度に受け入れていました。
しかし、大学卒業後に「家賃800円」だったことを周囲に話すととても驚かれ、現在も自治寮が存続していることがどれだけ珍しいことなのかを感じました。
さらに、記者として働きながら、取材で生活に苦しむ学生たちに出会うたび、経済状況によらず学べる基盤としての自治寮の重要性を感じました。
東京大学にかつて存在した「駒場寮」は1996年に大学によって廃寮とされました。
廃寮に反対して暮らし続けた学生たちを、大学が訴えた末、2001年に強制退去が行われて、駒場寮の歴史は幕を閉じました。
近年では2023年、4000筆の反対署名を集めた寮生たちの反対を押し切って、金沢大学が男子向けの「泉学寮」と女子向けの「白梅寮」を廃止としました。
そして京大の吉田寮は現在、大学側が寮の明け渡しを求めて寮生を提訴した裁判の渦中にあります。
2024年2月に京都地裁は、大学が退去要求をする前に入寮した14人は明け渡す必要がないとの判決を出し、寮生側が一部勝訴となりました。その後、明け渡す必要があると判断された学生たちと大学側との双方が大阪高裁に控訴しています。
冨岡教授は、「現在、全国に自治寮がいくつ残っているのか、正確には分からない」と言います。
経済状況にかかわらず望む大学への進学を目標にできる。
生まれた家庭の環境がさまざまでも、学びの選択肢を持つことができる。
教育の平等のため、自治寮は若者たちへのセーフティーネットとして長年機能してきました。
にもかかわらず、国内の自治寮は日々姿を消しています。
自治寮の存在意義について、冨岡教授はこう言います。
「21世紀に入ったころから、学習指導要領などで自ら課題を見つけ、考え、学ぶ『生きる力』の涵養が叫ばれています。
大学でも当然、こうした力を伸ばしていくためにどうするかを、これまで以上に考えていく必要があり、生活のなかでの学びの場になりえる学生寮でも、同様だと思います。
近年、新しいタイプの留学生と国内学生の混住寮、上級生が有償ボランティアとなって下級生をサポートする寮、学生マンションに朝食・夕食がついた学生寮など、いろいろな試みも行われています」
これらの新しい取り組みもそれぞれ貴重だと思いますが、学生が長い年月をかけて共同生活のなかで自ら課題を見つけ、自ら考える試行錯誤を続けている自治寮(主に、寮生の日常的な話し合いによって運営されている寮)の存在も、注目されてよいと思います。
「また、学生寮は経済的に困難な学生の教育権を保証する大きな役割もあります。
近年つくられた新しいタイプの学生寮は寄宿料などの費用が高額になる傾向がありますが、自治寮は、歴史的な経緯などから現在でも安い費用で生活できることが多いのも特徴です。
この点も、今後、理想の学生寮を探究しつづける上で示唆的だと思います」
私はいま吉田寮の取材を進めています。記事を通して、寮にまつわる現状や寮生のありのままの生活の様子を伝えていきたいと考えています。
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