連載
#84 イーハトーブの空を見上げて
「ほしいものは雨」漁師の夫を津波で失った…「今度は〝火〟なんて」

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#84 イーハトーブの空を見上げて
Hideyuki Miura 朝日新聞記者、ルポライター
共同編集記者「大船渡市でまた火災が発生したみたい。どうする、戻れる?」。スマートフォン越しに盛岡総局長の緊迫した声が聞こえた。
2025年2月26日午後3時半。
その日は早朝5時から、岩手県沿岸南部の陸前高田市で火災現場の取材をしていた。
前日25日の昼に大船渡と陸前高田の市境で山林火災が発生したため、現場に駆けつけて夜通しの取材。翌26日正午にようやく鎮圧が宣言されため、盛岡市に戻る途中の遠野市の道の駅で仮眠をとっていたところだった。
「3度目の火災ですよね……」。私は眠気と疲れが入り交じった意識の中で聞いた。
大船渡市では綾里地区で2月19日にも山林火災が発生し、25日に鎮圧したばかり。
空気が乾燥しているとはいえ、1週間で3度の森林火災はやはり多すぎる。
「念のため、戻ります」
火災の現場は大船渡市の赤崎地区で、1度目の発生場所のすぐ近くだ。
取材で使っている中古のランドクルーザーで向かうと、高速道路上からも山の峰から、火山が噴火したときのような真っ白な煙がモクモクと立ち上がっているのが見えた。
「ヤバイ、これまでの火事とは規模が違う……」
現場は櫛(くし)状に海と山とが隣り合うリアス式海岸の半島だ。
海岸線に沿って延びている道路はすでに警察によって封鎖されており、近づけない。
仕方なく、湾越しに現場の写真を撮れそうな、半島の先にある外口漁港に車を止めた。
山全体がドライアイスのように真っ白な蒸気を噴き出している。
夜になると火炎は風にあおられてさらに燃え広がり、峰の随所から火柱が立ち上がって夜空をザクロ色に焦がし始めた。
大船渡市はすぐさま現場付近の住民に避難指示を出し、市中心部に設置された避難所には、着の身着のままで逃げてきた多くの住民が続々と集まってきた。
「どうして、こんなことに……」。火災現場にほど近い小路地区で暮らす炭釜サチ子さん(85)は、わずかに体を震わせていた。
「あの状況だと、もう家はダメ。これからどうすればいいのか……」
火災発生直後は、夫と約30年前に建てた木造2階建ての家にいた。
前日に陸前高田市との市境で発生した火災が鎮圧されたとの防災無線を聞いて一息ついていると、「また火災が起きたから、すぐに避難して!」と知り合いから連絡が入った。
慌てて薬と通帳を持って家を飛び出すと、外では「扉が吹き飛ばされそうなほど強い風」(本人談)が吹いており、火炎が自宅に迫ってきているのが見えた。
軽トラックに乗り込み、東方の越喜来地区へと向かって走ると、途中のトンネル内は炎と煙で前が見えないような状態だった。
トンネルを抜けると道の両側から真っ赤な炎が上がっており、その間を軽トラックで駆け抜けた。
起喜来地区の避難所がいっぱいだったため、市中心部の避難所に身を寄せた。
現場は14年前に起きた東日本大震災の激甚被災地でもある。
炭釜さんもワカメ漁師の夫(享年73)を津波で亡くしていた。
「夫は漁の道具を陸(おか)に上げようと港に戻って津波にさらわれた。あの家は夫が一生懸命働いて建てた、家族のたくさんの思い出が詰まった家なの。津波では被害を免れたけれど、まさか今度は『火』だなんて……」
「何か欲しいものがありますか?」と尋ねると、小さな声で「雨」と答えた。
「雨が降ってほしい。それが無理なら、とにかく風だけでもやんでくれれば」
(2025年2月取材)
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「イーハトーブの空を見上げて」では、岩手県大船渡市を襲った森林火災のルポを5週連続で掲載予定です。
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