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「息子は会社に殺された」命を絶った23歳 母と記者、6年のやりとり

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入社2年目、23歳の男性が自ら命を絶ちました。職場では、人格や人間性を否定するような言動を含む叱責(しっせき)を受けていたことが分かりました。記者が彼のお母さんに出会ったのは6年前。「話を聞いてもらいたい」と電話がかかってきたことがきっかけでした。2023年度の過労自死・自死未遂は79件で過去最高となっています。「仕事に殺される世の中にしないで」と語るお母さんとの6年間を振り返ります。(朝日新聞記者・野田佑介)
「お母さんで間違いないですか? 今、病院に向かっています」
2019年6月26日深夜。福島県二本松市で暮らす横山美津江さん(63)の携帯電話が鳴りました。
消防から伝えられたのは、富山県で働く三男・和也さんが自死をはかったという内容でした。
翌日、富山で対面した和也さんは、すでに息を引き取っていました。まだ23歳。
亡くなってから半年余が過ぎた2020年2月、工場のある地域を管轄する砺波労働基準監督署は、和也さんの死を労災と認定しました。
「息子は会社に殺された」
2021年9月、美津江さんは、和也さんの自死に対する損害賠償を求める訴えを富山地裁高岡支部に起こしました。
記者が母の美津江さんに出会ったのは、6年前の9月。大阪から富山へ転勤して、まだ半月ほどのことでした。
「話を聞いてもらいたい」。会社に1本の電話がありました。23歳の男性が命を絶ち、そのお母さんである美津江さんたちと会社で会うことになりました。
いざ話を始めると、美津江さんは泣き崩れ、言葉になりませんでした。記者はなんと声をかけていいのかわからず、その様子を見つめることしかできませんでした。
三男・和也さんはガラス製品を製造する富山の工場で働いていました。
和也さんの1カ月あたりの平均時間外労働時間は亡くなる5カ月前から、「過労死ライン」(月80時間)を大きく上回る125時間に上りました。
人格や人間性を否定するような言動を含む叱責(しっ・せき)を受け、自ら命を絶ったのは、入社から1年3カ月にも満たないころでした。
それから、美津江さんの自宅のある二本松市を3度訪れ、生前の和也さんの話を聞きました。
社会人になったばかりのころは仕事のことを楽しそうに話していたこと。1人で暮らす母を気にかけ、将来は福島の母のそばで暮らしたいと願っていたこと。
美津江さんは和也さんの話をするたび涙を流し、拳を握りしめて会社への怒りをあらわにしていました。
2020年2月に和也さんの死が労災と認定されると、翌年9月には和也さんが勤務していた会社に損害賠償を求めて裁判を起こしました。美津江さんの長い闘いが始まったのです。
「今、記事にさせてもらえませんか?」
記者は美津江さんにそうお願いしました。
前途ある青年が仕事に悩んで苦しみ、自ら命を絶たなければならなかった。そんな痛ましい出来事があったことを社会に訴え、過労死や過労自死の問題を考えてもらいたかったのです。
美津江さんからは「裁判が決着したら記事にしてください」と伝えられました。
その間、私は島根、青森と転勤を重ねましたが、美津江さんと連絡をとり続け、裁判の進み具合について話を聞いていました。
そのなかで、審理が思うように進まず、美津江さんの苦しい胸の内を聞いたこともありました。
裁判は昨年5月に会社との和解が成立しました。和解条項には、会社からの解決金の支払いと謝罪が盛り込まれています。
美津江さんから和解の連絡をもらった後、青森から福島に向かい、あらためて、和也さんが亡くなってからの日々について尋ねました。
「裁判が終わっても、あの子は帰ってこない。時間が止まったままです」
その言葉には、やりきれない思いがにじんでいました。
そして、「仕事に殺される世の中にはなってほしくない」と、美津江さんは訴えます。
過労死・過労自死を撲滅するための「過労死等防止対策推進法」が14年にできてから10年。しかし、今も過労死・過労自死はなくならず、増え続けています。
仕事が原因で心を病む「精神障害」で2023年度に労災認定されたのは883件。このうち自殺・自殺未遂は79件で、いずれも過去最多となりました。
大切な息子を失った母親の切実な思いを広く届けるには、どう書けばいいのか――。
何度も悩んで手が止まるたび、美津江さんの言葉が私の背中を押してくれました。