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#34 宇宙天文トリビア

「1万円の道楽で…」巧みな話術から誕生した? 市民も使える天文台

倉敷天文台の望遠鏡をのぞくと、木星や土星が見えた
倉敷天文台の望遠鏡をのぞくと、木星や土星が見えた 出典: 朝日新聞

目次

実は日本は300を超える天文台がある「天文台王国」。研究者が天体観測で使うだけでなく、市民が天体観測を楽しむことができる「公開天文台」は、約100年前に初めて日本に誕生しました。その日本初の天文台を訪ねると、誕生の背景には天文を愛する人たちの「機転」がありました。

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倉敷の中心地に100年前に誕生

岡山県のJR倉敷駅から、観光名所の美観地区を眺めながら歩くこと15分。戸建ての家が並ぶ住宅地の中に、半球の形をしたドームが見えてきました。日本初の公開天文台の「倉敷天文台」です。

公開天文台とは、「望遠鏡などの天体観測設備を持ち、天体観望会など一般への公開業務を行っている施設」を指します。

100年ほど前まで日本にある天文台は国立で、一部の研究者しか使うことができませんでした。そんな中、一般市民が誰でも使うことができる公開天文台が1926年に日本で初めて誕生しました。

倉敷の市街地にある倉敷天文台
倉敷の市街地にある倉敷天文台 出典: 朝日新聞

倉敷天文台の敷地内にはドームの他に、ブックカフェや望遠鏡を備えた観望室もあります。望遠鏡をのぞかせてもらうと、土星の輪や木星、木星の周りにあるガリレオ衛星も見ることができました。

実は倉敷天文台の誕生について「面白いエピソード」があるというのです。天文台理事長の原浩之さんが教えてくれました。

「天文台設置せよ」と地元紙に論文

まず、エピソードの登場人物は3人います。

一人目は、岡山商業学校(現・岡山南高校)の教諭でアマチュア天文家の水野千里さん。当時、国立だった東京天文台(現・国立天文台)を訪れて、望遠鏡を使った観測を願い出たのですが門前払いにあいました。

そのことをきっかけに、1921年に水野さんは地元紙に3日連続で「天文台 岡山に設置せよ」という論文を掲載しました。

「『岡山に天文台を設置せよ、設置せよ、設置せよ』って、当時、しつこく地元紙に掲載していたんですよ」と理事長の原さんは話します。

「天文台を設置せよ」と掲載された地元紙の写し
「天文台を設置せよ」と掲載された地元紙の写し 出典: 朝日新聞

天文台の敷地内にある記念館にも、水野さんが「天文台を設置せよ」と要望した新聞の写しが掲示されていました。どれだけの熱量だったのか、そこから感じることができます。

二人目は「日本のアマチュア天文学の父」としても知られる、市民への天文学普及を熱心に説いた京都帝国大学の山本一清教授。こちらの山本さんも、講演のために岡山を訪れた際に、天文台の設置に尽力するよう、さらに水野さんに勧めます。

そして、その水野さんの熱意と山本さんの後押しに触発されたのが、当時の倉敷紡績(クラボウ)の専務である原澄治(すみじ)さんでした。倉敷紡績は日本の繊維製品の大手メーカーで、地元の大地主。天文台を建てる土地を貸すことができたのです。

この3人の熱意と協力で倉敷天文台は誕生したのですが、もう少し詳しく誕生のいきさつを紹介します。

当時から無料で開放 観望会には600人も

誕生の経緯については、1959年の天文系の月刊誌「天文月報」にも「できたいきさつが面白い」との文言とともに書かれています。

山本教授を迎えて、倉敷で天文講習会をしたときのこと、控室を訪れた原澄治さんは、山本教授からこんな話を聞きます。

「最近、アメリカが欧州の天文学界をふり離して世界で一流になったんだけど、それは民間人の協力のたまものなんだよ」と。

このときの山本の話術がたくみで、原さんは感動してしまい、思わず、「今、日本で望遠鏡を買うとすればどれくらいかかりますか」と尋ねたそうです。

山本教授は「1万円もあれば、英国の立派な反射鏡が買えるでしょう」と答えます。そして、その直後の講演で、「非常にうれしいニュースがあります。原さんが立派な望遠鏡を買って、天文台を作る意向があります」と思い切った話をしたといいます。

原さんは驚きましたが、「1万円の道楽で天文台ができるとすれば」と、天文台設立を引き受けました。

天文台設立時に購入した望遠鏡。今は敷地内の記念館に飾られている
天文台設立時に購入した望遠鏡。今は敷地内の記念館に飾られている 出典: 朝日新聞

ただ、天文台を作るとなれば、望遠鏡だけでなく敷地や観測所も必要。当時の観測室は地元の工務店が建てた木造のものだったというが、「結局、全部で7万円ほどかかったようです」と、澄治さんのひ孫である理事長の原浩之さんは笑っていました。ちなみに、当時の公務員の初任給は75円ほどでした。

こんな感じで、日本初の公開天文台ができたとは、なんとも面白い話だと感じます。ただ、こうした山本教授の「はったり」がなければ、倉敷天文台は生まれなかったといわれています。

倉敷天文台は当時から無料で開放され、1〜2カ月に1度は観望会が開かれていました。1927年に彗星を観測するために600人が訪れたという記録も残っています。

倉敷天文台は2026年に設立100年を迎えます。今でも変わらず、倉敷天文台は無料で公開され、会員やサポーターからの寄付で運営しているそうです。

理事長の原浩之さんは「100年といっても通過点の一つです。澄治の思いである『いつでもだれでも来てもらえる天文台』を200年、300年と守っていきたいですね」と話していました。

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