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手洗いとアルコール消毒、どちらがいい? 手指衛生を小児科医が解説
手をきれいにするという『手指衛生』。私達は手についた細菌やウイルスを除去することで感染症のリスクを減らせることを知っています。そこで今回は、手指衛生の歴史やどのように行うと効果的なのかを深掘りしてみましょう。(小児科医・堀向健太/ほむほむ先生)
皆さんは、食事の前に手を洗いますよね。
私達は『細菌やウイルス』の存在を知っていて、感染症の原因になることがわかっているからです。そして手指衛生が感染症のリスクを減らすことが示されたのは、細菌の存在が証明される前からでした。
ハンガリーの医師であるイグナーツ・センメルワイスは、手指衛生の提唱者として知られています[1]。
彼は、お産の前に手指衛生や消毒薬を使用することで、『産褥熱(さんじょくねつ)』の発生率が大幅に下がることを発見したのです[2][3]。
産褥熱とは、お産のときに細菌が腟や子宮などの産道に入り込んで感染が広がることにより少なくとも2日間以上の発熱が続く状態を指します。
産褥熱は19世紀半ばの病院では一般的で、死亡率は10%から35%もあったのです[4]。
お産により、多くの方々が亡くなる率が高い時代、手指衛生の考え方は、公衆衛生的にも画期的な出来事でした。もちろん現在では、センメルワイスの業績は認められ、「母親の救世主」や「感染制御の父」と呼ばれています[2]。
しかしセンメルワイスは、さまざまなバッシングに遭いました。不遇な生涯をおくることになり収容された先の精神病院に看守に殴られて右手に壊疽性の傷ができ亡くなったのです。
センメルワイスの功績が広く受け入れられるようになったのは、彼の死後数年経ってからです。
ルイ・パスツールが細菌説を唱え、ジョセフ・リスターが衛生的に手術を行い、大きな成功を収めたからです。さらにドイツの産婦人科医グスタフ・アドルフ・ミヒャエリスも、1848年に塩素による手指衛生により、死亡率が大幅に低下したと報告しました[5]。
そしてフローレンス・ナイチンゲールは1860年に、看護師は頻繁に手を洗うべきだとしていて、手指衛生の有効性を早くから認識していたことを示しています[6]。
現在さまざまな感染症が流行しています。
おもに呼吸器感染症は、飛沫感染(唾液などがちらばって感染する)や接触感染(触れたものに原因となる病原体がくっついていて、それに接触することで感染の元になる)が主な感染ルートです。
実際、手指衛生は呼吸器感染症のリスクを減らすことがわかっています。
このテーマを扱った8研究をまとめたメタアナリシス(複数の研究の結果を統合し、より証拠レベルの高い分析する統計手法のこと)があり、手指衛生は呼吸器感染症のリスクを16%下げるとまとめられています[7]。
16%…というと、そんなに効果はないと思いますか?
いえいえ、感染症は雪だるま式に増えやすい病気です。
たとえば1人のインフルエンザ患者は、周囲の免疫を持たないひと1.3人に感染させることがわかっています[8]。インフルエンザって、すごく流行りやすいイメージですよね。
増えるイメージを例えるなら、100万円の借金が、数日で130万円になるようなイメージでしょうか。
そこを16%へらす…というと、結構効果があるといえるでしょう。
個人のリスク低下を積み重ねて、その社会を守るという『公衆衛生』の考え方からみて、手指衛生は『大事な感染拡大を減らす手段のひとつ』として、位置づけられています。
でも、手指衛生は、さまざまな方法がありますよね。
たとえば、アルコールで消毒する方法と、石鹸と流水とによる方法です。
では、どちらがより優れているのでしょうか?
医療従事者23人を、アルコールによる手指衛生と殺菌性石けんによる手洗いにランダムに分かれてもらい、手の細菌の減少率を比較した研究があります。
するとアルコールによる手指衛生は、細菌の減少率(83%)は、石けんによる手洗いによる細菌の減少率(58%)よりも高かったのです[9]。
別の研究もあります。
医療者62人を、石けん洗浄、アルコールによる手指消毒、消毒用ウェットティッシュによる手指消毒の3群にランダムにわかれてもらい、8時間の勤務後の手の菌量やの皮膚バリア機能を比較した研究です[10]。
すると、手の細菌や真菌は、石けん洗浄よりもアルコールや消毒用ウェットティッシュで手指消毒する方が少なくなったのです。なお、皮膚のバリア機能は、消毒用ウェットティッシュを使った人は、石けん洗浄やアルコールによる手指消毒をしたひとよりも悪化していました。
すなわち、アルコール消毒による手指衛生は、手を傷めにくく、細菌を減らしやすいといえるでしょう。
ここで、『え、アルコール消毒って、手の皮膚を傷めにくいの?』と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
せっけんによる手洗いと、アルコール消毒のどちらが手湿疹を起こしやすいかという検討がいくつかあります。意外かもしれませんが、アルコール消毒の方が手の皮膚を傷めにくいことが分かっています[11]。
商品によっては、皮膚のバリア機能を補強する保湿成分が含まれているためです。アルコールが乾いたあとに、手に保湿成分が残る…ということですね。
すなわち、石けんで手洗いした後も、手に保湿剤をしっかり塗っておくとよいということともいえます。
では、手指消毒のためのアルコールの濃度はどれくらいが良いのでしょう?
WHOの手指衛生ガイドラインでは、最良の効果のあるアルコール製剤は75~85%とされているものの60~80%でも良いとされています[12]。
しかし70%以上の製剤は思ったより入手しにくい場合がありますよね。70%の製品と60%の製品とはどれくらい細菌を減らす能力に差があるのでしょうか。
アルコールによる手指衛生に関し、0%(対照)、62%、70%、85%のアルコールジェルを比較した研究があります。すると、検討のために事前に手に塗られた細菌量に影響を受けたものの、アルコール濃度が62~85%の範囲内であれば細菌を減らした程度に統計的な差はなかったそうです[13]。
日本の厚労省からも、アルコール消毒液の濃度は60%台も差し支えないとしています[14]。
ただし、『アルコールにより消毒をする時間』も大事です。あまりに少ないアルコール量だと、あっという間に乾いてしまい、有効性が下がるのですね。
一般に、WHOの基準では20~30秒という時間が提示されていますが、15秒でもなんとかなる…という報告もあります[15]。逆に数秒で乾いてしまう量では少ないということです。
では、手指衛生はアルコールであれば、どのような場合でも問題ないのでしょうか。
そういうわけではありません。
いくつかの条件では、流水と石けんの手洗いのほうが良い場合があります。
1つは、アルコールによる手指消毒では汚れを効果的に除去できない場合です。たとえばトイレの際や、手指が汚れているときは石けんと流水により、洗い落とす必要性があります[16]。
2つ目は、ノロウイルスなど、アルコールによる手指消毒の効果が低い相手の場合です[16]。
アルコールは、ウイルスに『エンベロープ』がある場合に有効性を発揮します。エンベロープとは『封筒』という意味ですよね。すなわちエンベロープとは、ウイルスを包む膜のような構造のことです。
このエンベロープを持つウイルスは、アルコール製剤が効きやすい性質があります。
エンベロープは、コロナウイルス、インフルエンザウイルス、ヘルペスウイルス、風疹ウイルスなどが持っています。これらはアルコールによる手指衛生が有効ということですね。
そしてエンベロープを持たないウイルスは、アルコール消毒の効果がひくいという傾向があります。
たとえば、咽頭結膜熱などを起こすアデノウイルス、胃腸炎の原因ウイルスとして多いノロウイルス、風邪の原因となるウイルスとして最も多いライノウイルス、手足口病の原因ウイルスであるコクサッキーウイルスなどです。こう見ると、結構おおいですよね。
これらには、石けんによる手指衛生のほうが有効ということです。
さまざまな感染症が広がりをみせています。日々の感染対策により、しなやかに乗り越えてまいりましょう。
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