連載
#68 イーハトーブの空を見上げて
父は憧れの〝南部ダイバー〟「継いではいけない」と言われたけれど…
父は誰より格好良かった。幼いころから憧れていた。
分厚いヘルメットをかぶり、宇宙飛行士みたいな格好をして、海に潜ってホヤを取る。
岩手県洋野町出身の磯崎貴文さん(22)の父・元勝さん(64)の職業は「南部ダイバー」。
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」で有名になった、岩手北部に伝わるヘルメット式の潜水士だ。
元勝さんは、潜水一筋46年。
「南部もぐり」は約120年前、洋野町の沖合で船が座礁した時、優れた潜水技術を学んだ磯崎定吉が地域に広めた。
元勝さんはその子孫にあたる。
重さ70キロ以上の重りや潜水服を身につけ、船上からホースでヘルメット内に空気を送り込んで潜る。
常に危険と隣り合わせだ。
仕事に出る前、父はいつもピリピリしていた。
家族もその危険さを熟知し、大きな背中を見送った。
その張り詰めた威厳も、貴文さんは好きだった。
だから中学3年の時、父から「潜水士を継いではいけない」と言われ、貴文さんはショックを受けた。
「どうして僕じゃダメなのか?」
父が決断した理由の一つが、東日本大震災だった。
あの日、元勝さんは午前中にホヤ漁を終え、自宅にいた。
船は沖に出すことができたが、倉庫で保管していた潜水服や機材は流された。
再び海に潜れたのは、約1カ月後。
「暗い……」。冬場なら20メートル先が見える海の視界が1メートルもない。
流出した土砂が光を遮り、海底のあちこちに建物の屋根や養殖施設の水槽が転がっていた。
「これが大自然の力なのか……」。家族が暮らす洋野町では犠牲者は出なかったが、若いころに仕事をした宮城県の南三陸町や女川町では、多くの人が亡くなっていた。
学業が優秀だった息子は、自宅近くで津波を見ている。
将来の夢を聞くと「潜水士か医師になりたい」と答えていた。
ならば、この東北で一人でも多くの命を救えるよう、医師の道を歩ませた方がいいのではないか。
伝統をつなぐことも大事だが、愛すべき地域を守るために、医師を育てることも必要なのではないか。
貴文さんは父の意をくみ、潜水を学べる地元の高校ではなく青森県の進学校を受験し、弘前大医学部に進学した。
元勝さんは今も、現役でホヤを取り続ける。
南部もぐりで漁を続けるのは、弟の司さんと2人になった。
医師を目指す息子に伝えたい。
1人で海深く潜っていく南部ダイバーは、勇敢に見えるかもしれない。
でも忘れちゃいけない。
船上では常に、空気を注意深く送り続けてくれる船員や、命綱を握りしめてくれている仲間がいる。
「父さんはいつも、誰かに支えられて仕事をしているんだ」
医療現場も同じだと思う。
看護師や技師に支えられているからこそ、医師は十分な治療ができる。
1人では仕事ができないことを忘れるな。
「僕がそんな、身勝手な医師になるわけないじゃないか」
貴文さんは弘前で笑う。
今だって「医師と南部ダイバーのどちらかを選べ」と言われれば、迷ってしまう。
それほど父の職業に憧れていた。
「いつか父さんみたいな、無言で語れる人間になりたい」
貴文さんは誓う。
「それまでは、伝説の南部ダイバーの息子なんだという誇りをもって、病に苦しむ患者さんたちに向き合っていくよ」
(2023年6月、10月取材)
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