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連載

#30 大河ドラマ「光る君へ」たらればさんに聞く

紫式部と清少納言、どちらがすごい? 比較されるようになったのは…

京都市北区の雲林院。『枕草子』では賀茂祭でこのあたりに物見車が立ち並んだようすが、また、『源氏物語』では光源氏がこもったというお話がつづられています
京都市北区の雲林院。『枕草子』では賀茂祭でこのあたりに物見車が立ち並んだようすが、また、『源氏物語』では光源氏がこもったというお話がつづられています 出典: 水野梓撮影

ここは、私が歌を詠みたくなるような場ではございませぬ――。大河ドラマ「光る君へ」では、皇后・定子さまに仕えた清少納言が、彰子さまの前でそう伝えるシーンが描かれました。『枕草子』と紫式部の『源氏物語』はこれまでさまざま比較されてきたそうですが、編集者のたらればさんは「優劣論になったのは比較的最近のことです」と指摘します。(withnews編集部・水野梓)

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紫式部がつづった清少納言の〝悪口〟

withnews編集長・水野梓:第41回「揺らぎ」は、喪服で現れた清少納言(ファーストサマーウイカさん)が、ずっとふさいだ表情で、見ていてつらいですね……。

たらればさん:史実では、寛弘五年(1008年)ごろから、清少納言の娘・小馬命婦が彰子さまの後宮に仕えていた、という記録があります。

おそらく『枕草子』の写本は娘が管理していて、彰子さまの許しのもと女房たちに貸し出していた…と言われています。なので、おそらくドラマのような「カチコミ」は史実ではやらなかったと思いますが……。
水野:「『枕草子』の書き手に会ってみたい」という彰子さま(見上愛さん)のセリフもありましたね。

それでも、敦康(定子さまの遺児)が東宮になれなかった状況で、ききょう(清少納言)は、楽しそうな彰子さまたちのようすが許せなかったわけですね…。

たらればさん:ききょう、「ご安心くださいませ。敦康親王さまには脩子内親王さまと私もついております。たとえお忘れになられても大丈夫でございます」と言っていましたよね…道長の一族に何かひとこと言いたくなる気持ちは分かるんですけどね……。

水野:ドラマでは「清少納言は得意げな顔をしていた」「ひどい方になってしまった」とまひろ(吉高由里子さん)がつづっていましたよね。

ここで『紫式部日記』につづられている清少納言の悪口が出てくるんだ!と思いました。

たらればさん:紫式部日記に書かれている清少納言への悪口って、本当にひどいんですよ。作品(枕草子)への批評…というより、人格批判です。
【原文】
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだい足らぬこと多かり。

かく、人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行末うたてのみ侍るは、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。

そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。
 
【たらればさん訳】
清少納言という人こそ、得意顔で偉そうに振る舞っていた人です。
あれほど利口ぶって、さかしらに漢字を書き散らしているくせに、間違いは多いし。

このように、自分は他人よりも特別優れていると思い込みたい人は必ず見劣りするものだし、将来悪いことが起こるだろうし、風流ぶるものだから、ひどくもの悲しくつまらないときでも、しみじみ感動してみせたりして、そのうえいつも「なにか面白いことはないか」と嗅ぎ回って、自然と誠実でない態度になってゆくのでしょう。

そんな不誠実な人間が行き着く先は、どうせろくなもんじゃない。

たらればさん:……ここまで書かなくてもよくないですか?(笑)

水野:たしかに……。何かいやなことでもあったのかなぁ、とか思ってしまいます。

ドラマの流れで書いたとしても、そこまで悪口言わなくてもいいのになぁって思っちゃいますね。

「新しい女性像」が登場 比較される紫式部と清少納言

水野:大河ドラマでは、ききょうがまひろの書いた『源氏物語』を読んで「引き込まれました」「『源氏の物語』を恨んでおりますの」と感想を言うシーンがありましたよね。

リスナーさんからは「物書きとしての矜持と、それを上回る『私』の感想が感じられました」という感想が寄せられています。

たらればさん:「清少納言による源氏物語の感想」として考えると、すごくよかったし、これしかないな、くらいの描き方だったとも思います。まひろのこと、紫式部自身の人格にはふれずに、源氏物語の作品性を褒めながらも「恨む」という。考え抜かれたセリフですよね。

「作品にはとても引き込まれたが、政治的な立場の違いがあって、わたしはこの物語がもたらした結果を恨む。作者ではなく作品を恨む」、それってつまり「作品として力がある」と認めているわけじゃないですか。考えれば考えるほど、そうとしか言えないよなあ…と。

清少納言は『源氏物語』について、もうちょっと悪く言ってもいいんだぞ、その権利があるぞ、と歯ぎしりしながら見ていました。『紫式部日記』で理不尽な人格批判を書いているのは紫式部ですから(笑)。
車折神社にある、清少納言をまつった清少納言社=京都市
車折神社にある、清少納言をまつった清少納言社=京都市 出典: 水野梓撮影
水野:そもそもなんですが、清少納言・紫式部はいつごろから比較されていたんでしょうか?

たられば:「清紫(せいし)対比論」というのは、研究者や平安ファンがたくさん論じているテーマです。

二人が揃って登場する二次創作の小説やマンガやゲームもたくさんありますよね。歴史をひもとくと、主に古文の注釈などさまざまな文献で、紫式部と清少納言はどちらもすばらしい、平安時代の双璧だ、と言われています。

いっぽう並び立てたうえで「どちらがすばらしいか」という優劣論になったのは150~200年前ぐらいで、作品成立時の千年前から考えると、わりと最近のことです。
2019年、新たに見つかった源氏物語「若紫」の写本「定家本」の冒頭部分。大ニュースになりました
2019年、新たに見つかった源氏物語「若紫」の写本「定家本」の冒頭部分。大ニュースになりました 出典: 朝日新聞、2019年10月、京都市上京区、佐藤慈子撮影
たらればさん:これは1993年に出版された宮崎荘平著「清少納言と紫式部」に詳しいんですが、与謝野晶子著『源氏物語』現代語訳が出版されたのが今から120年前ぐらいで、そのあたりに文学界で「新しい女性像」というのが出てきたんですね。

それまで「男性はこうあるべき」、「女性はこうあるべき」というステレオタイプに対して、明治から大正・昭和とジェンダー像が変化していって、「賢い女性とはどんな人か」「働く母とはどういう女性であるべきか」というような「新しい女性像の議論」が出てくるなかで、紫式部と清少納言の人格・性格のありようが「優劣」で対比されるようになってきたんです。

水野:なるほど! 比較に使いやすかったんですね。

たらればさん:御簾の奥に隠れて古き良き価値観を愛し、「漢字の一も書けないふりをする」紫式部と、女性だって男性と対等にやりあい働くべきだし、愚かで浅はかなまま言い寄ってくる男は嘲笑ってもかまわないと指摘する明るく生意気な清少納言、という比較ですね。その頃から、対比だけでなく優劣で語られる論説が増えてきたそうです。

「世界に誇る源氏物語を書いた偉大な紫式部に比べると、軽薄で生意気な清少納言は文章でも数段劣る、間違いも書いている、紫式部自身も日記でそう書いている」と言われるようになっていきます。

水野:わ~……それって、二人がずっと政争の具に使われてしまっているというわけですよね。

たらればさん:その時代その時代の人々にとって都合がいいように解釈されるんですね。
 

「日本の偉大なオリジナル作品」を探した背景

水野:たらればさんは、実際の清少納言は『源氏物語』を読んだと思いますか?

たらればさん:きっと読んだでしょうね。あれだけ好奇心旺盛な清少納言が、宮中で話題になっている物語を読まないでいられるわけがないと思います。

当然、脩子(しゅうし・ながこ)内親王(定子さまの娘)も読んだでしょうし、一条天皇が読んでいる作品だったら、どんな手段を使っても読んだと思いますよ。

その上で、個人的な妄想ですが、読んだけれどもそのことをどこにも書き残さなかった。そのほうが「枕草子」や中関白家にとって効果的だと思った、ということでしょうね。

水野:清少納言のイメージってそんな感じですね。今みたいにSNSがあったとしても「紫式部マジむかつく」とか書いちゃうと、中関白家の損になっちゃうから、書かないほうがいいと。

たらればさん:そうですね。何も言わないほうが「枕草子」の効果を最大化しますよね。しかも、残念ながら大量の紙があるわけでもないし、静かにしっかり書く環境も用意できなかっただろうし、書いてもそれを広める手段もなかったでしょうしね。

水野:そうか、権力のあるところに紙や筆や書く時間がたくさんあるわけですもんね…。
水野:清紫対比論について、リスナーさんから「明治時代、紫式部びいきの研究者ばかりで、清少納言は『青鞜』の新しい女と並べられてさげずまれていましたね」というコメントがありました。

「女性は良妻賢母でいてほしい」という保守的な男性が紫式部を持ち上げていた、ということはあるのでしょうか。

たらればさん:もう少し複雑な事情があって。明治時代って「世界に冠たる日本」を示すために、国策で「日本の偉大なオリジナル作品」となる文化を探していたんですよね。

水野:「日本のここがすごい!」みたいなことを国を挙げてやっていた、ということでしょうか?

たらればさん:そうなんですよ。富国強兵を掲げ、その一環として「かつて日本には千年も前にこんなすばらしい作品があった」と国内外にアピールするのに源氏物語はすごく都合がよかったんですよね。本居宣長先生も褒めているし、アーサー・ウェイリー先生も翻訳していて海外でも評価されているし。

その大先生である紫式部が「批判しまくっている女がいる」「どうもそれが生意気な女だ」となると、もうね、銅鑼とかがばんばん鳴っちゃって「攻めろーー!」ってなっちゃったんだと思うんです。

そうやって「紫式部はすばらしく、清少納言は軽くてイヤな女」みたいな流れが1970年ぐらいまで続くんですよね。今でもうっすら残っているらしい、という話を研究者から聞きました…。

水野:そもそもの始まりは、紫式部の悪口だったわけですね……。

たらればさん:国文学の歴史にものすごい燃料を投下しましたからね……。

ただ、一周回って……これ、一周回るのが大事なんですけど、清少納言ファンとしては、紫式部さん、あのとき悪口を書いてくれてありがとう、と思ってもいますよ(笑)。

大河ドラマ「光る君へ」は全体で48回ぐらいだと思いますが、そんな中で、清少納言を40回を超えて出してもらって、感謝、感謝です。

『源氏物語』の成立に、それだけ中関白家と清少納言が大事な存在だったということだと思います。最後までついていきます!
 
◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。
次回のたらればさんとのスペースは、11月17日21時~に開催します。

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